【第23回】広布の本舞台 山﨑地域部女性部長

 

高橋殿御返事

その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。「仏種は縁より起こる。この故に一乗を説く」なるべし。(新1953・全1467)

 

勇気の指標

「其の国」(全1467・新1953)の「国」とは、門下の住む地域一帯のことです。

また、現代でいえば、自身が居住する地域や職場、家庭など、自分自身の関わる場所全般と拝することができます。

妙法を持つ人が“今いる場所”こそ、広宣流布の本舞台です。自分にしか切り開くことのできない広布の曠野が必ずあります。(中略)

最も重要なことは、この地域の広布を担うのは、誰かではなく自分なりと、深く自覚することです。

 

一人一人の仏の生命を触発する人間主義の対話こそ、私たちが大聖人から直接、託された大聖業であるとの大確信で進んでいきたい。

わが使命を晴れやかに自覚し、地域の人々の繁栄を願って、勇んで足を運んでいきたい。

地味なようでも、私たちの一対一の「対話の拡大」こそが、「幸福の拡大」を実現し、「民衆勝利の拡大」を築きあげていく確かな道だからです。

 

「友情の開拓」が「広布の開拓」です。「励ましの拡大」が「善縁の拡大」です。

勇敢に、朗らかに語り抜き、友のことを祈り、行動すれば、互いの生命に「幸福の花」が必ず咲き薫っていくのです。

 

総本部がある信濃町の外苑東通り。左手には民音文化センターが(2019年3月、池田先生撮影)。

先生は愛する信濃町の発展を願い、自ら近隣を歩き、信頼と友好の絆を結んできた

 

わが町に友情の灯りを点そう

「あなたにお任せいたします」――日蓮大聖人が、門下に地域広布の使命を託された御文です。

この御書は、私自身も深く命に刻んできました。地域部の役職をいただいた会合で、池田先生がメッセージでこの一節を引かれて、地域部の友にエールを送ってくださったからです。

今回は、この「高橋殿御返事」を拝し、池田先生が講義された指針を学んでいきます。

 

自分から声を

私は経済苦に負けず、信心一筋で広布に走る両親の背中を見て育ちました。夜学に通っていたある時、信濃町で先生との出会いが。

“夜学生か? 私と同じだね”“何があっても自分に負けるな。生涯学会から離れちゃいけないよ”――先生の慈愛の一言一言は決して忘れません。

先生は本抄の講義の中で、「妙法を持つ人が“今いる場所”こそ、広宣流布の本舞台です」と教えてくださっています。

私自身も、地域部の先輩たちに続こうと、“今いる場所”の繁栄を祈り、町会活動に取り組んできました。

どんな時も元気に挨拶し、自分から声をかけるように。現在、町会女性部の副部長と会計を務めています。

まだまだコロナ禍以前のように活動や行事はできませんが、それでも最近開催した町会のイベントには、多くの方が参加されました。

皆さんの笑顔や、にぎやかな様子を目の当たりにして、皆が“つながり”や“触れ合い”を求めているのだと肌で感じました。

信心を根本に、人々の絆を結びゆく地域部の使命の大きさを痛感しています。

 

「頼んだよ」

先生は講義の中で、次のようにたたえてくださっています。

「『地域と社会を大切に』し、『生き生きと体験を語る』中で、信頼と友情の絆を結び、わが地域の幸福責任者となり、『立正安国の柱』となっている同志の姿は、今や世界中に広がっています」

この言葉の通り、わが使命の舞台で、仏縁を結び広げる地域部の友が各地で輝いています。

東京・大田区のある女性部の先輩は、30年以上にわたり地域で活躍。86歳の今も、町会の副会長兼総務部長として、元気に活動されています。

原点は1969年(昭和44年)の池田先生との記念撮影。

「糀谷から来ました」と報告すると先生は、「そうか、糀谷だね。頼んだよ!」と激励を。ご夫妻で“先生の故郷を世界一の仏国土に”と誓われました。

学会活動に奔走する中、地域の発展のために何かしたいとの思いが募り、町会の活動にも自ら率先して尽力してこられました。

その後、突然の病で若くして夫を失うという悲哀に直面しましたが、不屈の信心で立ち上がられます。

苦難を乗り越え、明るく前向きな姿を間近で見てきた町会の方々からは、厚い信頼が寄せられています。

中には「あなたのような学会の人たちと生きていけば、必ず幸せになれる」と進んで入会された方も。

誓いを貫き、自他共の幸福のために尽くす“生き方”が共感を広げています。

埼玉・ふじみ野市では、“わが町に信頼の拡大を”との志で、地域部の一人一人が開かれた友情の語らいを展開しています。

ある女性部の友は、10年前から地域活動に参加。

防犯防災推進委員や公園の花壇の手入れ、また、社会福祉協議会では支部長を務め、七夕祭りなど、各種行事に携わってこられました。

そんな彼女の人生は、夫の大病や3人の子どもの持病との闘い、父の介護と、険難の連続でした。

心が折れそうになるたびに思い起こしたのは、79年(同54年)に参加した本部総会での師の姿。

“生涯、師弟の道を”と決めた誓願を胸に、全てを信心で勝ち越えてこられたのです。

「地域の皆さんが喜んでくださる顔を見るのが、自分にとって何よりの喜び!」

――そう声を弾ませるその方は、20年以上、町会長を務めた夫と共に、貢献の道をはつらつと歩まれています。

 

信頼の根を張る

先生は地域部の深い使命を、次のように教えてくださいました。

「地域に深く信頼の根を張った人は、どんな苦難の嵐が吹き荒れようとも、絶対に揺るがない。

地域に友情の灯りを点した人は、どんな暗闇の時代も、生き生きと照らしていくことができる」

師の深いご期待を胸に、地域部の偉大な先輩方と共に、さらに誠実に、忍耐強く仏縁を結びながら、わが使命の舞台で、地域貢献に徹していきます。

 

メモ

「高橋殿御返事」は、日蓮大聖人が、駿河国(静岡県中央部)の富士方面で、門下の中心的な役割を担っていた弟子に与えられた、お手紙の一部(断簡)と考えられている。

そこからの推定により、高橋六郎入道に宛てられた御消息文とされているが、詳細は不明。「米穀御書」ともいう。