ACIDMANの新譜聞く。


「FANTASIA」は、プロモで見たらいけてなかったけど、曲だけで聞いたら良かった。あのずっと鳴っているリフレインが心地よい。


ライブでは「UNDER THE RAIN」からのつなぎで聞きたい曲。雨が降りそう。


ところで、私は「Loop」のころが一番すきだったんですけど、「O」とか。最近は、世界は細胞でできている、とか、「飛光」で語られているようなメッセージとか、複雑なインストとかは、無くなって来ましたね。


よく言えば突き抜けた感じ、悪くいえば、わかりやすくて面白みがない、といったところでしょうか。


大木伸夫氏の英語の発音がいやだ、という声をよく耳にします。


私はアレで味があっていいのではと思います。個性的だと思います。曲調や歌詞が明確になればなるほど、あの発音の存在感が増すような気さえします。


錯覚でしょうか。


今週末はMonster bash に行きます。


彼らが急遽出ることになったので、参加決めました。


仕事とライブの絶妙なバランス感覚の中、危うい平均台から落ちないよう、しっかりと前を向いて生きていたいと、このアルバムを聞いて思いました。


A beautiful greed
¥2,280
Amazon.co.jp

先日温泉に入りに行って、そこのリクライニングスペースで漫画「ザ・ワールド・イズ・マイン」を読み漁る。


途中までは学生のころ読んでて、そのまま縁なく止まってしまっていたが、この機会にと、一気に読み終えること三時間。


マリアが友人のヤンママと出会い、トシに惨殺されてからのマリアの発狂ぶりがすさまじい。


まずこの漫画には善悪の基準がない。というより、一般的な善悪の価値基準が、たった一人の男、モンによってあっけなく破壊されているところから始まる。


最終巻で明かされる主人公モンの哀しみに満ちた過去。母親に見放され、くまのぬいぐるみとともに与えられた母親からの最後の言葉は、「死ね」。


なにがよくてなにが悪いのか、その判断をもたないモンはなすがまま、現実を生き抜いた。


「俺は俺を肯定する」という言葉は、キルケゴールに感化されたイカれた空手親父からの受け売りだったが、モンにしてみれば、それは真実だったように思う。


ただ母親の面影をマリアに感じていたモンは、彼女の死後、静かに覚醒する。


世界中のテロリストと結託した彼は、最終的に、彼らに自発的に、核ミサイルのシャワーという、世界の終末を促す。


アメリカ大統領は、あまりにも素直すぎる最後の言葉を残し、全人類および、地球とともに消える。


世界はだれのもの。自分のものであり、同時にあなたのものでもあるのだ。


その強烈なメッセージとともに、漫画は終焉を迎える・・。



一方でもう一人の主人公トシは、最後まで一般人の代表だったように思う。(自分でも言っていたが)


モンの所業に右往左往し、殺人にまで手を染めてしまう彼の人間性は、あちこちに心が移ろう現代人の意識のありようを、見事に表現している。


一体人が人を殺すということはどういうことなのか。なぜ殺人はいけないのか。その答えをあざ笑うかのように、モンは大量殺戮を行う。


まるで呼吸をするように。


村上龍はその著書「イン・ザ・ミソスープ」の中で、フランクという外国人に、その所業をさせた。


息を吸って吐くように、まるでそれが当たり前であるかのように殺人を行う彼には、一般的な常識は通用しない。


その意味で、モンとフランクは酷似している。


また、幼いころに捨てられた(見放された)子供が、後に世界にとって脅威となる行動に出る、という意味でも、モンは同じく村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」のキクとハシに重なる。


生まれながらにして、神に見放された子は、殺人を犯す権利を有している。


とでもいわんばかりの作風は、二人の著者に共通するテーゼだ。


そこに世間の常識は通用しない。


あるのは、矛盾と、混沌と、わずかに見える美しい景色。


人類に少しでも希望が残されているとするなら、それは、その景色を見るために、悪戦苦闘しながら、何度も過ちを犯しながら、裏切り裏切られながら、それでも前へ進もうとする、考え続けようとする、ヒトの意志なのかもしれない。


そしてそれは、絶対的な暴力、超自然的な、科学では計れない悪意の元でしか、産まれないものなのかもしれない。





真説 ザ・ワールド・イズ・マイン5巻 (ビームコミックス)/新井英樹
¥1,344
Amazon.co.jp




余談


最後まで人を殺すことをためらい、運命に抗いつづけた塩見警部補こそが、あるいはこの残酷な物語の中で、一番まっとうな生き方だったのかもしれない。



「抗うな、受け入れろ、すべては繋がっている」


そのアンチテーゼこそが、人が人であるための最後の希望だったのかもしれない。




立ち読みで偶然見つけて、はまりだした大人の絵本。

「不幸な子供」は、ある少女の悲劇を徹底的に冷めた視線で描ききった、なんともクールな絵本である。


少女の両親は死に、親戚も死に、一族に引き取られるも、寄宿舎ではいじめられ、脱走しては気を失い、思い出のロケットは盗まれるわ、酔っ払いのゴロツキに身を売られるわ、目は見えなくなるわ、しまいには逃げ出した先で、実は生きていた父親に、車で轢かれて死んでしまう。


ありきたりな勧善懲悪に疑問を抱いている若者諸君に、ぜひ読んでもらいたい。これこそが世の中の理なり。


この人は他にもAからZまでの頭文字を持つ子供の死因を順番に描いていく作品などもあり、徹底して不条理を突きつけたものが多い。


あと絵がヤバイ。


病的なまでに細い線描で、子供を取り巻く暗い運命を、これでもかと刷り込んでいる。その傍らには、「不幸」をイメージする一匹の悪魔が添えられている。


この画力と、淡々と進む語り口が相まって、なんともいえない奇妙さ、不気味さをかもし出しているのである。



この訳者も、作者の世界感が出るよう、うまいこと日本語を選んで訳すなあ。




不幸な子供/エドワード ゴーリー
¥1,050
Amazon.co.jp