6月29日の記事
神経症が「早く良くなる人と」「なかなか治らない人」の違いはどこにあるのでしょうか?
それは
「症状にとらわれているか否か」
「症状にとらわれている時間が長いか短いか」
 
では、なぜ「とらわれるのか?」
その原因について5年前の記事を再掲載します。

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「神経症は病気ではないのだから、あまり気にしないように」
このように医師から言われる方が多いのではないでしょうか。
そして、「なぜ症状がでるのか」その原因が気になり、
より症状を強く感じるようになっていませんか。
森田療法では、原因の一つに「外因」と「内因」があることを教えています。
「外因」とは、症状にとらわれてしまったキッカケのことです。
例えば、
①「緊張して手が震えて字が思うように書けなかった」
②「緊張から顔が赤くなったことを友達にからかわれた」
③「授業中、トイレに行ってはずかしい思いをした」
その結果
①「手の震えが気になり人前で字が書けなくなってしまった」
②「赤面するのが気になり人前に出れなくなった」
③「トイレのことばかりが気になり、授業の前には毎回トイレに行くようになった」
人によって「とらわれ」となったキッカケは様々です。
次に「内因」とは、持って生まれた神経質の性格です。
1、自己内省が強い
  (プラス面)まじめで、責任感が強い
  (マイナス面)自意識が強く、ささいなことを気にしたり後悔する
2、執着性が強い
  (プラス面)何事にもねばり強く努力する
  (マイナス面)失敗したり、恥ずかしかった思いをいつまでもクヨクヨと引きずってしまう
3、心配性
  (プラス面)気遣い、思いやりがある
  (マイナス面)先のことを心配し、慎重になりすぎ行動に出れない、
4、欲望が強い
  (プラス面)より良い人生を、人に認められたいといった強い欲求がある
  (マイナス面)欲求が強い分、その裏側にある不安を強く感じる
4つの性格特徴がプラスに働けば問題ないのですが、マイナス面に働くと、
「外因」とくっ付いた時に、神経症の原因になってしまいます。
そして、本人に「幼弱性」の傾向が強ければ、症状へとらわれて苦しむことになります。
 
「外因」「内因」が神経症発症の原因となり、
「幼弱性」の傾向が強いと、症状にとらわれ神経症に苦しむ結果となります。

「幼弱性」とは
①観念的傾向
  「症状はあってはならない」「人前で緊張してはいけない」といった考え方
②自己中心的な傾向
  人を傷つけないよう気を使う⇒自分が悪く思われたくないから =自己中心的な考え
③依存的傾向
  小さいころから両親や祖父母に甘やかされ、過保護に育つ
                    ⇒困難に立ち向かう経験が不足する
「外因」「内因」に「幼弱性」が重なり神経症に苦しむ結果となります。
神経症とは、器質的な病気ではなく、誰にでもある症状(違和感・不安感)を異常視し、
症状はあってはならないものであるという人間性に対する誤った考えから、
これを取り除こうとする心のはからいから生じるものです。
自分の「外因」「内因」「幼弱性」をしっかり見極めることが大切です。
症状はあってなはならいものと考え、治そう治そうと努力すればするほど、
症状に注意が向いてどんどん深みにはまってしまいます。
これが、精神交互作用といわれるものです。
例えば、動悸が気になると、なんとかしなければと考えれば考えるほど、
動悸は激しくなってしまい、病院へ駆け込む結果になることもあります。
手の震えも動悸も、「外因」があれば誰にでも起きることです。
「内因」を見つめ、症状のある自分はだめな人間だと誤った考えを正すこと。
「幼弱性」を認め、自己中心から周囲の人たちへの「感謝」「思いやり」へ気持ちを変えていくこと。
症状はクセとして固着してしまいます。
症状を取り去ることが「目的」となっていないか、じっくり考えてみること。
症状はあってもいい、しかたのないものと認めること。
症状のクセは一朝一夕にはとれないもの、苦しくてもなすべきことは実行すること。
失敗しても次に生かせばよいこと、物事本位に考えていくと、気持ちは外に向いていくもの。
症状はなくならないもの、でも症状がありながらも行動ができるようになれば良しです。