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 徳川家康公没後400周年を記念して、本年の第70期本因坊戦決勝7番勝負の第一局は、静岡県で開催されたのだと、囲碁中継のテレビで言ってた。
 この家康という人物であるが、正直な話、私は個人的な人物像としても歴史上の人物としても好きではない、嫌いだというほうが近いだろう(嫌いな人も多いと思いますが)。だれが好きなのかというと、秀吉は、朝鮮侵略で、近現代の日本の歴史の暗部の行為を先駆けしているし、妄想老人として、無様に死んだし、信長となると、ほとんど理解不能の狂人にしか見えないし、信長の野望のゲームは面白いけど、やはり権力者は、好きにはなれない。敗者のほうには、好ましい人物も少なくなく、たとえば、石田三成とか、真田幸村とか、直江状を書いた人とか、いろいろいるのだが、やっぱりこの時代の人物で、一番好きなのは浅井茶々だ。淀殿とか淀君とも呼ばれるが、生前、そのように呼ばれていたことはないらしい。秀吉は、晩年、茶々にメロメロになって、それが豊臣氏の滅亡のきっかけになったとも考えられ、こういう女性を中国の儒教的な歴史観では「傾国」「傾城」などという。しかし、史記など、中国の歴史本をぱらぱらと眺めても、傾国、傾城には魅力的な人物が多い。もちろん、魅力的だから、傾国になれたのだけれども。秀吉は、どうしようもない妄想老人として死んだが、浅井茶々にメロメロになるだけの感性を、晩年まで残していたというところで、狸親父よりは好感が持てるというものだ。
 しかし、家康公のために本因坊戦の第一局を静岡県で開催した日本の囲碁界が、公に負うものがあると意識していることは、理由のない話ではない。江戸時代、幕府が補助金を出して、囲碁棋士を保護した話は、以前のブログで書いたが、その奨励金の制度を始めたのが、つまり、碁所と将棋所を創設したのが徳川家康であるといわれる。そもそも、この時代の権力者たちは、信長、秀吉、家康と、みな囲碁将棋というゲームを愛好し、そのゲームに熟達している人士を雇っていたのだろうが、囲碁・将棋という技芸について、専門的に補助金を出すという制度の確立で、職業棋士が存在することが可能になったのである。秀吉や信長も戦国時代を終焉させて安定政権を確立していたら、同じことをしたのではないかという反論も考えられるが、そうだったかもしれないし、別の形になったかもしれないし、歴史に”IF”は意味がないのである。
 なぜ、戦国時代の権力者たちが囲碁・将棋を愛したのかは、彼らが戦いの専門家であり、勝敗を競うこういうゲームが性に合ったのだろう。もちろん、囲碁や将棋の有能な専門家が有能な軍事戦略家や将軍の素養をもっているということではない。囲碁や将棋の名人が作戦などを立案したりして、いくさに勝ったなどという話は、今のところ聞いたことはない。家康が囲碁の達人を援護して、棋士の養成の予算を保証したのは、為政者としての文化奨励策であり、その点は素直に評価すべきだ。文化の奨励に予算を回すということは、無駄遣いだと批判されることもあり、戦争の職業人である武士の建前から、戦争の能力を向上させるかもしれないなどと口実をつけて、この政策を正当化したものではないだろうか。その効果は、仮に家康が囲碁の家元の保護政策を採用しなかった場合、現在の囲碁界はどういう風になっていたのかを検証することで、確認できる。囲碁のルールの統一とか、囲碁というゲームの権威づけなどで、囲碁は現在の状態とは、相当、異なるものになっていただろう。政府に公認された名人というのは、強力である。なお、囲碁・将棋というが、家康は将棋よりも囲碁のほうが高尚なゲームだと考えていたので、囲碁の家元のほうが将棋のそれよりも格が上だったらしい。
 ところで、70期本因坊戦の決勝7番勝負の一、二局では、私の期待に反して、井山裕太本因坊(他に棋聖、名人、碁聖)が山下敬吾九段に連勝した。このまま一方的に、終わってしまうのはやめてほしいが、第三局は山下九段の故郷である北海道で開催されるので、山下九段が勝つのではないかという見方がある。しかし、第5局の開催地は井山4冠の故郷である大阪で、このときは井山4冠が有利ということなので、山下九段はすでに3敗しているようなものだということになりかねない。遅くとも、この数か月の近未来には結果が分かることなので、注目しているのである。