カストリと言うのは、焼酎を生産するときの正常な一工程だと言うので、焼酎が賤しい酒だという誤った偏見が払しょくされた現代では、カストリが焼酎を連想するから、下賤な飲料であるという論理は成立しない。しかし、そういう偏見が支配していた昔に、この言葉がそこから成立した。現代では、見かけ上はほぼ死語になっているのだろうか。しかし、戦後の特定の時代の状況を象徴する言葉として、この語はある意味で永遠の存在になっているだろう。カストリと言うのは形容詞として、品質の悪い雑誌にも使われた。もちろん、何が低俗で、何が高尚かとか、何が価値があって、何が価値がない、あるいは有害かと言うような話は、簡単に決められるものではなく、また、ある時代に信じられていたその価値基準が、後の時代に完全に逆転したり、価値基準自体が崩壊したるすることは非常に頻繁に起こることである。
第二次世界大戦の戦中戦後の日本で、酒を生産する材料が不足したので、工業的に合成したアルコールを飲料用の清酒に混ぜて、提供していた。工業的に成分を合成したアルコールには、エチールアルコールとメチールアルコールという二種類があり、エチールアルコールは突き詰めてみれば普通に飲まれている酒と同じ成分なのだが(化学的にはそういうことなのか)、メチールアルコールは有害で、失明するので「目散るアルコール」なのだという。私の高校時代の話なので、数えきれないほど昔のことだが、化学の授業で、実験用のアルコールにも「目散る」とエチールがあり、メチールは飲んではいけない、エチールは自分も時々飲んでいるなどと教えてくれた先生がいた。どうして、私はこういうくだらないことばかり、いつまでも覚えているのだろう。その教師が教えてくれていた授業の本体をちゃんと覚えていたら、私のその後の人生も別のものになったのかもしれないのだが。
それはともかく、アルコール飲料が不足すると、人間はメチールアルコールにまで手を広げて、それを欲するのだが、こういうときに人が感じる命の底から湧き出てくるような欲求こそ、酒類が人間と言う存在に有用であることの最強のあかしだと思う。だから、毒物は困るのだが、カストリ焼酎を飲んで、苦痛に満ちた日々の生活の救いとしていた戦後の人々のイメージにおいて、酒類の本源を垣間見ることができるような気がするのだ。カストリ焼酎というのは、どういう飲料だったのか、今ではこれも幻になっているかもしれないが、興味が尽きない。
とりあえず、私の頭の中に描かれているその姿の像は、ガード下の赤提灯で、カウンターに並んで座って、話をしている二人の男性。カストリ焼酎を飲み、酒の肴は串焼きといったところだろうか。焼き鳥などとして、売っているのだが、本当は何の肉なのかは分からない。二人は仕事仲間だったり、赤提灯で出あった飲み友達だったりする。そこで、酒を飲みながら、酒飲み話をしているのだが、飯場労働者のつまらない話などと馬鹿にしてはいけない。そこで話している人たちの思いは深く、鋭い社会批評、大志に満ちた夢、人生観や世界観を語り合っているのだ。そして、このような人々が時代と社会を支えていたのだ。