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 予想されたことだが、井山裕太九段が大三冠になってしまった。なんということだ。


 大三冠とは、棋聖、名人、本因坊の三つの囲碁のタイトルを同時に制覇すること。江戸時代に囲碁界は、4つの家元が幕府から補助金(禄)をもらって、職業棋士を養成して、お城碁で名人の地位を争っていた。名人になると(実際には碁所とか言ったのかもしれない)、いろいろな特権があるので、家元の間の争奪戦は激しいものだったようだ。4つの家元とは、本因坊家、安井家、井上家、林家。その中の最有力の家が本因坊家で、明治維新後幕府の補助金が支給されなくなった後でも、新聞碁とかいろいろあって、援助する人がいて、本因坊家が存続し、実質的にその家の当主が名人でもあったらしい。


 ところが、家元というのは勝敗のはっきりしている囲碁の勝負の世界にはあまり適しない制度だ。家元の当主が、自由に跡継ぎを指定しても、弟子のうちの誰かがその後継者よりも強い打ち手だったら、名人の位は非常に不安定なものになる。それで、二一世本因坊秀哉が引退したときに、本因坊家の名跡を日本棋院に譲渡し、実力の本因坊戦が始まった。これが囲碁のタイトル戦の元祖というべきだろう。


 ところが、名人というのと、本因坊というのは概念的には別のものなので、のちに名人戦というタイトルも創設され、伝統あるタイトル戦として、この二つが並立していた。さらに、ところが、1976年に、それまで読売新聞社で主催していた名人戦が、朝日新聞社に移ってしまった。朝日新聞社というのは、名人戦を横取りするのが好きな新聞社のようで、のちに将棋名人戦も毎日新聞社から横取りしようとして、現在は共催になっている。


 名人戦を横取りすることができたのは、読売新聞社が支給していた名人戦の資金よりも多くの資金を朝日新聞社が提供すると囲碁界に持ちかけたからだ。そこで、名人戦を奪われた読売新聞社が新たに棋聖戦という棋戦を創設し、名人戦よりも高い賞金を提供したので、伝統ある名人戦、本因坊戦よりも、棋聖戦の方が上位の棋戦になってしまった。囲碁界というのも、結局はお金で格式を決めるのだから、何かいい加減な気がする。


 現在の囲碁界は七大タイトルというが、その中の棋聖戦、名人戦、本因坊戦は別格である。どういう風に別格かというと、第一に賞金額が他の棋戦よりもはるかに多いこと。それから持ち時間が長く、二日制だということ。昔の囲碁の勝負はほとんど持ち時間なしで争われていて、名人位の人が不利になると勝手に『打掛』とか言って、勝負を中断し、そのまま継続しなかったり、何か月も時間を置いたりもしたらしい。新聞囲碁の時代には、棋譜を新聞で紹介するので、持ち時間が設定されるようになったが、最初は16時間とか非常に長い持ち時間が配分されていたようだ。囲碁が国際化した現在、国際ルールでは持ち時間は大体3時間くらいで、1日で勝負を決する形態になっていて、他の日本の棋戦はこの傾向に合わせているのだが、上記に別格のタイトルは持ち時間8時間で、二日制で行われるのだ。


 これまで大三冠を実現した棋士は趙治勲のみで、井上は二人目。しかし、大三冠のタイトルが出そろったのが1976年だから、それ以前に全盛期を迎えていた棋士には、このような実績の実現は不可能だった。例えば、坂田栄男などは、全盛期には当時のタイトルを総なめにしていたのだから、大三冠に匹敵する成績ではないか。たとえば、呉清源は打ち込み10番碁というので、当時の一流棋士を全部打ち負かしたのだから、第一人者だった。


 ようするに、大三冠というのは、これを実現したもう一人の大棋士、25世本因坊の趙治勲が属している木谷門下の時代に、出そろった棋戦の体系の中で、可能になったものだから、木谷門下全盛時代以降の棋士たちだけが挑戦できるものである。


 それにしても、井山裕太、なんてやつだ。