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 麺類というのは、日本ではそばの形状をしているものだが、中国では麺は小麦粉のことで、中華そばだけでなく、餃子も包子(パオツ)、つまり中華まんじゅうも麺だということは、ちょっと詳しい人なら知っているはず。かつて、ずっと前のことだけど、東京の千代田区の東西線の最寄り駅某地に革命派のアジトがあって、そこに出入りしていたころ、そこから坂を上がったところに、五十番という肉まん屋、実は中華料理屋なんだけど、店の前でお肉屋さんのようなケースに肉まんを並べて売っていた店があり、値段は少し張ったのだが、とてもおいしかったので、何かにつけて肉まんを食べていた。後から知ったのだが、そのころの周りの仲間の革命家たちは、私のことを肉まんと呼んでいたらしい。少なくとも、肉まんが好きな男と共通認識していたことは確かなようだ。料理の世界は中華料理だけで十分だと信じていた時代のことである。


 世界の○大料理とか言うが、一応、フランス料理と中華料理の存在は揺るがせられないものではないだろうか。中華料理は4千年とも5千年とも言う歴史の中華帝国の宮廷料理をバックボーンにもつ、なるほど信頼できそうな料理で、それに対してフランス料理というのはローマ帝国の伝統を受け継ぐものだということを、かつて聞いたような気がする。しかし、西洋料理というのは、やたらにマナーばかりうるさくて、近づきがたい。なお、日本料理のそのころの評価であるが、量が少なくて満腹できない悲惨な料理だった。


 それはともかく、ヨーロッパの料理では、フランス料理は評価が高く、料理がまずいのはイギリスと言うことになっている。しかし、ローマ帝国のもともとの中心地のイタリアでも、その伝統を引く料理はなかなかのもので、イタリア人も食べることにこだわる人々のようだ。イタリアの経済や政治を観察すれば、そのことは確かだと自信を持てる。イタメシなどと呼ぶ。


 そこでだが、中国で小麦粉の料理を麺と総称して、いろいろなバリエーションを楽しむのと同様に、イタリアでも小麦粉から作るいろいろな食べ方が豊富なようだ。ところが、かつての日本では、イタリアの小麦粉料理を一面的に理解し、スパゲッティーだけがイタリアの麺類であるとぼんやりと認識していたのではないか。少なくとも、だいぶ年をとるまでの小生はそうだった。


 スパゲッティーというが、スパゲッティー・プログラム(spagettei code)などという形容も純正英語としてあるのだから、イタリア式麺類の一分類として、それが間違った理解ではないはずだ。しかし、かつてイタリア製の西部劇を形容するときに、映画評論家の淀川長治はスパゲッティーウェスタンという用語をあえて避けて、マカロニウェスタンとした。マカロニは、スパゲッティーに比べるとマイナーな食材で、当時、スパゲッティーにはナポリタンとミートソースの二範疇しかなく、マカロニはサラダの食材でしかなかったのだが、スパゲッティーという用語が長すぎるから、マカロニを選んだらしい。もちろん、マカロニがイタリアの麺製品、麺食品を総称する用語ではない。しかし、ここでも、麺とは穀物の粉を棒状に加工した食品であるという、日本語の語感が強固に生きているのである。


 それで、話が分からなくなってしまったのだが、イタリア式、というか欧風の麺類の広がりは、だんだんと経済大国になった日本にも浸透してきて、私に断りもなく、断る必要はもちろんないのだが、欧風麺類を「パスタ」と形容するようになっていた。それでも、当初は冒険の幅は小さく、ナポリタンのような「本物」ではないスパゲッティーを廃して、少なくとも乗り越えて、スパゲッティーにタラコをまぶすぐらいで、あるいはスープで食べるくらいで、満足していたようだが、パスタはそば状の形態を克服して、進展したのである。ピザとか、グラタンとか、そういうものも、パスタの一種なのだろう。もう少し古典的なパイは、分類的にはパスタなのだろうか。パイは小麦粉食材だが、どうもパスタには分類しないようだ。アメリカのどたばた喜劇で、パイ投げのシーンに伝統的に使用されているが、イタリア起源でもないのだろう。そして、ラザニア、なんだそれは。ラザニア・・・・。私にとっては究極のイタリア麺類に思えるのだが。




なぜか、人生には越えられない何かがあることを感じさせる。