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クロスカのブログ

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 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンという音楽祭が日本で毎年開催されていて、今年(2015年)のゴールデンウィークにもあるというので、さっそく、5月2日、初日のしょっぱなのヴィヴァルディの141のプログラムのチケットを入手してちょっと見に行ったのである。経済合理性と競争と闘争に明け暮れて、数十年もすごしてきてしまったような、残念な人生の中で、なぜ、このような催しを知ったのかというと、高野麻衣さんという、大変すばらしい、西洋古典音楽、まあ、クラシックというのだが、それを紹介したりしている職業の女性と、もう一人、ええ、誰だったか、まあいいや、トークショーがあって、そこで、この企画を教えてもらったからである。

 かなり前のほうのS席をまあまあリーズナブルな値段で買えたのは、ラ・フォール・ジュルネだからであろう。このプログラムを選んだのは、単にトークショーで推薦していたからという単純な理由からであり、それ以外には選択する基準も自分にはなく、当然の行動なのだが、ヴィヴァルディーという名前以外の予備知識がなく(そのヴィヴァルディーという名前についても、ほとんど無知であるままに)会場に行くと、歌詞を配っていた。まさか、客席が一緒に唱和することを求められるのではと一瞬怖れたが、幸い、そういうことではないようだった(なにかと、人が多く集まる場所では、政治集会であれ、卒業式であれ、フォークコンサートであれ、宗教的な会合であれ、最後に歌を全員で合唱などということになりがちである。ときに、これは迷惑な傾向だ)。指定席に座ったら、早くなにが始まるかを見たくて、期待が高揚しているところで、主催者側の係員が、会場を歩き回っていて、「会場で飲食するな」とか「録音撮影するな」とか、なんども触れ回っているのだが、そんなこと一度言えばいいじゃないかと思っているところで、繰り返し聞こえてくるので、「うるさいなあ」と最初はつぶやいていたのであるが、そのうちに、我慢できなくなって、係員に聞こえるように「うるさいな」とか「興ざめだな」とか「独り言」を言った。客だからといって、えばる気はないけど、コンサートの演奏の前に、あれはないだろうと思うのだが、どうなんだろう。他のお客さんはそういう風には感じなかったのか、そうだったら、自分がなんかおかしかったのだろうか、まあいいや。

 演奏するのは割と小規模の楽団で、バイオリンが5人くらいで、大きな弦楽器がいて、オルガンのようなものを弾く人がいて、それから、なんといっても主役は歌手。カウンター・テナーのカルロス・メナという人だ。このカウンターという部分を無視して読んで、テナーだということで、男性の割と力強い歌を予想していたら、とても高音の柔らかい歌い方をしていて、少し驚いたのだが、後で調べてみたら、男性がソプラノに相当する高音を歌うカウンター・テナーという分野があるということで、初めて知った。楽団の中央の位置に、主のいないチェロらしき大きめの弦楽器がおいてあって、これは何か意味があるのだろうと思っていたが、途中で指揮者がこれを独奏に近い形で演奏して、それがこの日のプログラムのクライマックスの一つなのであったらしい。何しろその辺の演奏の抑揚に関する共感の素材が貧弱なので、後追いで解釈することしかできないのが情けない。

 うたわれていた楽曲の歌詞は、フランス語ではないラテン系の言語のもので、横に日本語訳も書いてあったが、そんなものは無視して、「これはイタリア語かな」とか「いやスペイン語かな」などとぶつぶつ言いながら見ていたのだが、最後のほうで、ラテン語であることに気付いたのは、もっと早く気付くべきものかもしれないが、気付いただけましというものである。とにかく、私の無知が舞台の上の音楽家たちに不快な思いをもたらさないよう、私はそれなりに努力していたのである。

 しかし、演じる人たちとそれを鑑賞する人たちが、手を触れられそうな距離感で、演奏(唱)を共有するこういう空間は格別なもので、レコードとかCDでは想像もできないものを実現する点が特筆されるべきだ。私も、向かって左側のほうにいるヴァイオリン奏者の表情から、何を考えているのかなんとなく想像できそうだったり、途中で歌手のカルロスと目が合ってしまい、ドギマギしたりしていた。カルロスの表情を見てたら、なぜか、小学校から高校時代くらいまで、仲が良かったマセガキの友人を思い出してしまった。そいつともずいぶんあっていないが、どこかの税務署長になっているという話をずいぶん前に聞いた。この先もあうことはないかもしれない

 それはともかく、こういう素晴らしいひとときを紡ぎだしているような演奏会の場に、わけのわからない人がチケットを購入して紛れ込んでいて、雰囲気をぶち壊してしまうかもしれない可能性について、会場はまったく無防備であり、テロの恐れまで言わずとも、インターネットで簡単にチケットを購入できるこのような催しでは、係員がサービス員である以前に、見え見えに警備員の性格を感じさせるとしても、仕方のないことかもしれない。

 今年はプログラムを一つだけ味わったのだが、来年、同じイベントが続いていたら、今度はもう少しいろいろと試してみたいと思ったのである。