クロスカのブログ -10ページ目

クロスカのブログ

ブログの説明を入力します。

 5月11日にウォルト・ディズニー映画「シンデレラ」を観に行きました。これを題材にブログ記事を書こうという意図がありましたので、仕事ではないけど取材のようなものです。第一の感想ですが、映画は総合芸術だということで、さまざまな分野のカルチャーショックのようなものに襲われて、一回のブログ記事ではそこで感じたものを話しきれない、書ききれないと思いました。たとえば、

・ アメリカのアニメは絵が動いているという従来のアニメではなく、三次元の画像が動いているのだわあ(スタジオジブリとの差です)。映画の前座みたいな形で、昨年大ヒットした「アナ雪」を素材にした短編映画が上映されていました。
・ アメリカ人は、少なくとも童話関係のアメリカ人はどうしてねずみが好きなんだろう。
・ 人間はどうして恋をするのだろう
・ 人間はどうしていじめをするのだろう
・ 最近の映画館について
・ どうして映画館ではポップコーンを食べたくなるのだろう

とかです。言葉を変えると、この一本の映画を観たことで、たくさんのブログ記事を書くための材料を手に入れたということでもあります。ということで、言い訳がましい前置きを終えます。

 さて、少なくとも児童文学や芸術なんかでは、アメリカ人はねずみに同情的です。『トムとジェリー』とか、ドリトル先生物語とか、ねずみが主役に近い重要な役割を演じて、ねずみを狩ってくれる猫が、どちらかといえば敵役だったり。その理由はいろいろあるのですが、それでもいつも不思議だと思っています。映画『シンデレラ』でも、ねずみが主人公のシンデレラの大切な友達で、王子様が開催する舞踏会へシンデレラを送るかぼちゃの馬車の馬の役割を果たします。

 たしかに、ねずみというのは、それだけで見るととてもかわいらしい動物です。しかし、ねずみは人間の生活に害をもたらし、また、ペストという中世ヨーロッパの人口を半減させたという恐ろしい疫病を媒介して伝染させるので、駆除しなければならないといつのころか、人間が決めたようです。また、人間はねずみに対してずいぶんひどいことをしている。医学などの研究で、ねずみは実験用の道具として、当たり前のように使用されています。こういう、人間のねずみに対する非道への贖罪の気持ちも。ねずみに同情的な構成の作品につながるのでしょうか。

 昔、小さいころ、罠でねずみをつかまえた場面に遭遇したことがありました。そのねずみ捕りの罠は、金属製の上部が丸天井のようになった、細長い檻のような、ケージのような器具で、中にねずみの好きそうな食べ物を仕込んでおいて、入り口からねずみが入っていって、その食べ物を取ると、ケージのドアが自動的に閉じて出られなくなるというものです。今でも、どこかで売っているかもしれません。

 私が見てたら、わなの中で捕らえられたねずみが、狂ったように駆け回っていました。それを数人の子供たちが囲んで、なんかいやに冷静そうにみていて、ねずみの殺し方を相談していました。バケツに水を張って、ケージごとバケツに沈めて、窒息死させるというようなことでした。

 そんな風に生き物をころすことが悪いことだとは、考えられませんでした。ねずみがかわいそうという感情はあったと思いますが、それを口に出して言うことはできない状況でした。そんなことを言ったら、笑われるだろうし、そういう考え方は間違っているのだと、冷静にお説教されたと思います。その説得の理屈は間違っていない、たとえば、現在、それを議論しても、正しいと認めざるを得ないものです。しかし、罠にはまって、狂ったようにケージの中を走り回っていたねずみのことを思うと、どういう気持ちだったんだろうと考えてしまいます。私も、立ってその罠を見ていたので、ねずみと目が合うことはありませんでした。目が合っていたら、苦しい感情はもっと大きかったかもしれません。そうやって、多分、その直後に殺されたんだろう、ねずみのことを思い出すと、複雑な気持ちになります。

 ということで、楽しい映画の感想としては、暗い話になってしまいました。次回には、もっと明るい記事が書けるようがんばりたいと思います。