束東(Sokcho)〜ソウル(Seoul)〜群山(Gunsan) 670km  5/22~28 | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアを周回ツーリングを行う。

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束草(Sokcho)〜ソウル(Seoul)230km


雨が2日間降り続いたので束東(Sokcho)には結局4泊した。韓国ツーリングは従来のツーリングに比べ時間に余裕があるので、雨天の日はなるべく走行しないようにしている。

当初の予定では束東から西方面のソウルへ向かう前に中間地点に位置する春川(Chuncheon)に寄るつもりだった。しかしながら春川に寄るのは止めて、天気が良いうちにソウルへ移動することにした。

束草からソウルまでの距離は約230kmある。束草を出発後15km程度の山道を走行したが、その後は日本の高速道路のような立派な国道だった。そのため束草から約3時間ぐらいでソウルに到着した。

ソウルは想定したより大きい街だった。大きいと言うより高層マンション群がソウルのスカイラインを形づくり今までに見たことのないような近未来都市のように見えた。

ソウルの道路はオートバイでも走りやすい。

片側4~5車線ある広い通り、立体交差が重なり合うサーキットコースのような道路だが、意外とオートバイでも安心して走行できる。むしろ東京の方が道路が分かりづらいし、運転マナーがよくないと思った。

当方は大都市に滞在するすることは避けていた。交通渋滞や人混みが嫌だからだ。                               しかし、ソウル及びソウル近郊では3箇所訪れたいところがあった。 韓国証券取引所(Korea Exchange)、朝鮮王朝時代の宮殿である景福宮(Gyeongbokgung Palace) とソウル郊外のパジュー(Paju)にある北朝鮮が見渡せる展望台へは訪れたいと思っていた。


韓国(証券)取引所=Korea Exchange

インベストメントライダーを自称していることもあり、訪問する国々では証券取引所を訪れることにしている。 しかしながら最近は電子取引が浸透しているため証券取引所を一般に公開している国々が少なってくなっている。そんな状況で、韓国の証券取引所は見学が可能だった。

ソウルにある韓国証券取引所は株式や債券等の証券以外にも貴金属や穀物等の先物を取引する総合取引所として韓国取引所(Korea Exchange)に名前を刷新していた。

取引所ビル内には1920年代に取引所が開設されて以来の歴史的な写真や証券取引に関わる書類等が解説付きで展示されているコーナーがあり、当方の興味を引いた。

年代は特定できないがソウルの街中を撮った古い白黒の写真があった。 その写真には<キリンビール>とカタカナ文字が書いてある看板がかかったビルがあった。戦前の日本統治時代の写真ではないだろうか。

韓国株式市場の代表的指数(KOSPI=韓国株式総合指数)は1980年を基準時100ポイントとしてスタートした。その指数は現在は8,000ポイントまで上昇している。

1992年には外国人投資家に保有投資枠のに制限付を付け韓国株式の購入を許可した。1998年には外人投資枠の制限を撤廃し、証券取引のグローバル化が進んでいる。

Pajuの統一展望台(Odu Sanseong Unification Tower)

ソウルの北西約40kmに位置する標高100m程度の小高い鳥頭山(Odusan)の頂上に北朝鮮が見渡せる3階建ての展望ビルが建っている。

北朝鮮は国境となる幅500mくらいの川を挟んだ向こう側だ。国境から一番近い北朝鮮の集落は展望台から2km程離れているため人の姿は見えない。

4階建て程度のアパートと思われる建物、学校や民家が見える程度で住民の姿は見るには遠すぎる。韓国と北朝鮮との関係が緊張している割にはのんびりとした風景だ。

週末とあって多くの韓国人観光客が訪れて、北朝鮮側を眺めている。展望台前ではグループで記念撮影できる椅子も並べてある。

数十台車停められる展望台の駐車場は満杯で、展望台がある鳥頭山へ上る坂道の入口で一般車両は行列を作って順番待ちをしていた。

そんな時でも、オートバイは待たずに展望台がある小山の頂上までスイスイと行けた。

その展望台で当方と同世代の韓国人2人が当方のオートバイに興味を持ったのか、当方に話しかけて来た。当方は韓国語が解らない。身振り手振りと片言の英語と韓国語で当方が日本から来た事が理解された。

この2人に展望台から2km程離れた街道沿いのレストランでの昼食の誘いを受けた。チョー・ヒョム(Cho Hyoum)さんとホウ・ヨンさんだ。

2人は高校時代の同級生で展望台へ観光に来ていた。スマホのグーグル翻訳を介して家族のことや趣味のことを話した。 スマホの翻訳を介しての会話では多くのことは話せないが、二人とも元オートバイライダーであったことが会話の始まりであった。

当方と同世代であることで、チョー・ヒョムさんは日本で1970年代の流行歌謡曲であった<ブルーライト横浜>を知っていると口ずさんでくれた。

朝鮮時代の王宮・景福宮(Gyeongbokgung Palace)

朝鮮王朝の太祖、李成桂(イ・ソンゲ)により14世紀に建てた正宮だ。日本で言えば皇居(Imperial Palace)だろう。韓国人や外国人観光客が訪れたいソウルの観光スポットだ。

韓国の民族衣装をまとった観光客姿が目を引く。民族衣装をまとった観光客は思い思いのポーズで歴史的建物を背景に写真を撮っている。

近代的ビル群に囲まれたこの一角だけが、タイムマシーンで過ぎ去った朝鮮王朝時代に戻ったような錯覚を感じさせる場所だった。

また、明治・大正期の日本政府が朝鮮半島を政治的な影響下に置こうと軍事行動を駆使した歴史的な現場でもあった。当時、日本政府との協力に反対的だった朝鮮王朝の明成皇后(Empress Myeong Song)が日本軍関係者に暗殺された現場だった。


酷かったソウルのゲストハウス YaKorea Hostel

当方はソウルの下町のゲストハウスに2泊滞在した。それぞれ異なる宿に一泊づつだった。下町では庶民の日常生活がうかがえる。八百屋あり、大衆食堂や飲み屋、コンビニ等生活に必要なものも揃っている。超近代的な都市の趣とは異なる。

3連休の初日だったため、宿泊の予約確保が難しかった。ゲストハウスは外国人も含め多くの若い観光客で満杯状態だった。

宿泊したのはドミトリー(二段ベットの共同部屋)形式の地下室のタコ部屋だった。それでも宿泊料金は高く、日中でも床にわずかな照明しかない暗い部屋だった。宿泊予約サイト大手のAgodaでは高評価を得ていたが、全くの外れだったので、早々に退散した。

三歩(Sanchoek)や束草(Sokcho)のドミトリー形式のゲストハウスはパン、ゆで卵とコーヒー程度の簡単な朝食付きで平日料金一泊25,000~30,000ウオン(約2,600~3,100円)程度と安かったが、設備も悪く超大部屋のソウルのYaKorea Hostelの宿泊代は2倍であった。

当方は他の旅行客(特に現地の人達)との交流を期待しているので、ゲストハウスに頻繁に宿泊するようにしている。三歩(Sancheok)や束草(Sokcho)では設備が整ったゲストハウスで、若い韓国人旅行者やオーナーとの交流があり、韓国を知るうえで参考になった。

ソウル〜水原(Suwon)50km

大都市の喧騒から早く離れたい気持ちも手伝い、ソウルから水原(Suwon)へ向かい、同地で一泊した。水原はソウルから通勤圏の距離に位置する。ソウルの市街地が続いている感じである。しかしながら、ユネスコ世界遺産である水原華城(Hwaseong Fortress)がある都市だ。また、華城行宮(Hwaseong Palace)という朝鮮王朝時代に王が地方巡行する際に滞在する別荘もある。

当方は華城行宮を訪れた。ソウルの景福宮に比べるとずっと簡素で小さな規模だ。

歴史書で知った話だが、この王宮の別荘は朝鮮王朝時代のある皇太子が父の王に人間が座って入れるぐらいの米を保管する木製の保管箱に閉じ込められて死んだ場所でもあった。韓国では有名な話らしい。

ソウルを離れると宿泊代は
安く、また、予約も取りやすくなる。因みに宿泊した水原のビジネスホテルSuwon SR Hotelは素泊まり一泊45,000ウオン(約4,600円)だった。

水原(Suwon)〜公州(Gongju)120km

韓国の国道1号線とあって車の交通量が多く、また、信号機も多いため街中では道路が渋滞気味だった。国道1号線ルートを約100km移動するのに3時間かかった。

通過した地方都市の街中では道路は片側3〜4車線程度と多く、注意が必要な道路だ。交差する道路との交差点を避けるため地下道(アンダーパス)の立体交差になっている。センターラインに近い2車線がそのまま地下道をくぐる走行車線となり、歩道に近い一番右の車線は交差点で信号待ちになるか、右折専用となる。そのため、一番左側(対向車線に近い道路中央部)車線を走行するように心がけた。

公州(Gongju)は朝鮮半島三国時代の紀元1世紀〜7世紀末に百済(Baekje Dynasty)の初期の都が置かれた場所なので、その当時の遺跡が多い。

当方は公州に午後の3時頃に到着したので、ホテルにチェックインする前にユネスコ世界遺産の遺跡を2つ見学した。

公州(Gongju)の見どころ

武寧王陵(Tomb of King Muryeong)だろう。百済王だった武寧(Muryeong)の墓が、無傷のまま1990年代に発見された。その間、墓は盗掘等の被害や損傷もなく、当時の埋葬品もそのままだった。まさに約1,500年の歳月を経て黄金の装飾品等の埋蔵品等が現代に蘇った(もちろん王は蘇らないが)。

興味深いのは当時の日本(飛鳥時代)と共通した文化があったことが判った。例えば王の遺体を安置した棺は日本の当時の習慣と同じく松の木が使われていた。 また、棺や埋蔵品を配置した地下室の東西南北の壁には邪避けとして玄武(亀とヘビ)、朱雀、青龍、白虎の四神が色彩豊かに描かれていた。日本の奈良県明日香村の藤原京跡で発掘された7世紀から8世紀と考えられるキトラ古墳でもで同じ様な四神の壁画が発見されたと記憶する。

三連休後の翌日は観光客の姿がまばらとなり、街は静けさを取り戻したようだ。

当方は公州から20kmほどの山の中に位置するユネスコ世界遺産の麻谷寺(Magoksa Temple)を訪れた。

西暦640年に創建されたと言われる寺だったが、日本の戦国時代に日本を統一した豊臣秀吉軍が領土を拡大しようと韓国へ進出した時の戦い(西暦1592年の文禄・慶長の役)で寺を構成する複数の建物が焼け落ちた経緯があった。

その後、寺は規模を縮小させ再建された。この寺で祈願する人は殆どが女性だった。日本では女性の方が圧倒的に信心深いと思うが、韓国でも同様らしい。 当方が交通安全祈願のため本尊に祈願していたら、寺の関係者から日本の草餅に似た食感ともぐさ(食用草)の匂いがする蒸しパンのような供え物をもらった。少し甘い味がした美味しい供え物だった。

公州にはビジネスホテルのHotel No.25に2連泊した。

公州(Gongju)から扶余(Buyeo)〜群山(Gunsan)90km

公州は百済時代の初期の都であったが、その後は扶余(Buyeo)に都が移った。

扶余の博物館には韓国の最重要の国宝である高さ60cmくらいの百済金銅大香炉(Great Gilt Bronze Insence burner of Baekje)が展示されている。

当方はこれを見学しようと博物館内を探すが、見つからず諦めかけようとした。博物館の案内係に聞いたら、この大香炉のみは単独で特別展示場に有るという。

特別展示場は博物館の3階の暗くした広間の中央部でガラスケースの中に保管されていた。そのガラスケースの大香炉はスポットライトで照明され、闇の中で浮き上がっていた。

最重要の国宝とあって特別待遇の扱いだ。見学者は少なかったが、一見の価値が有る。

扶余には宿泊せずに、博物館を見学後、更に南に位置する群山(Gunsan)へと進んだ。

群山(Gunsan)は日本統治時代の建物が多く残っていた。

錦江(クムガン)河口に位置して、黄海に面した群山は日本統治時代に米の輸出港として発展したと言う。

旧市街には日本統治時代に日本人商人の広津吉三郎が建てた日本家屋や第18銀行、朝鮮銀行や朝鮮半島で唯一の日本の寺であった東国寺(DongguksaTemple)が一般公開されている。
 
また日本式の家屋が宿泊施設やカフェ等として使用され、日本の町の雰囲気を醸し出していた。

そんな旧市街を歩いて回ると昭和時代の日本の街にいるような錯覚に陥る。

群山では韓国式の床に敷いたマットで宿泊体験をしたいと思いGunsan Wolmyeongdong & Guesthouseに宿泊した。

陶芸家の奥さんと夫が切り盛りするゲストハウスで宿泊予約サイトのAgoda上では評判が良い。

2連泊しようとオーナーに打診すると2日目は休館予定だという。陶芸家の奥さんの実家へ夫婦で里帰りするという。 群山2日目の朝、当方は連泊を諦めて、荷物をまとめて雨の中をチェックアウトしようとする時、オーナーが<自分たちは留守となるが、当方一人で留守番をしながら宿泊しても良いよ>と言ってくれるのではないか。

オーナーからの申し出に当方はありがたく感じた。一人で静かにゲストハウスで過ごすのは悪くない。おまけにオーナー夫婦は翌朝の朝食や果物まで用意してくれるではないか。

オーナー夫妻のおもてなしには深く感謝した。

以上