総集編その③最終回 欧州・中央アジア周回ツーリング(北欧~英国・アイルランド~スペインへ戻る) | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアを周回ツーリングを行う。

総集編その③ 最終回  欧州・中央アジア周回ツーリング (スカンディナビア半島~英国・アイルランドを経てスペイン・マドリッドまで)

 

ロシア西部から今回のツーリングの終盤であるヨーロッパ地域のエストニアに入った。

 

エストニアからフィンランドへ渡った後、欧州最北端のノルウェーのノールカップを欧州ツーリングの目標地点の一つとした。

 

そしてノルウェー・スウェーデン・デンマークを経てドイツ・オランダ・ベルギーを走行後、イギリスとアイルランドを一周する計画を持っていた。

(赤線は欧州地域でのツーリングルート。青色の矢印の方向に進んだ。欧州地域ではタリン~ヘルシンキ間を始め10回くらいフェリー船を利用した。地図の一番上=北がノールカップ)

 

スカンジナビア半島の北欧諸国は学生時代のバックパック旅行や会社員時代の商用で訪れていたこともあり、オートバイツーリングには惹かれない地域であった。また、物価が高いこともツーリングを遠ざけていた。

 

しかしながら、オートバイライダーの性分で最北端という場所は心に響く。この機会を逃したら、北欧へは行かないだろうと考えて、その目標地にふさわしい最北端のノールカップを訪ずれることにした。

 

ロシア・ウクライナ戦争の影響で、ロシアのサンクトペテルブルグからフィンランドへの国境は閉鎖されていた。そのため、フィンランドへ行く最短ルートを辿り、エストニアの首都タリンから国際フェリーでフィンランドの首都ヘルシンキへ渡った。

 

エストニアの首都タリンで準備

 

フィンランドへ行く前に、北欧諸国より物価が安いエストニアのタリンで、病院での体調検査、オートバイのエンジンオイルの交換、キャンプ用ガスバーナーのガス缶の購入等を済ませた。

 

特にロシア走行中に風邪をこじらせ、咳が止まらないまで悪化した健康状態を当方は肺炎でも起こしていないかと心配した。 病院で胸のX線写真の撮影や血液検査等を行ったが、心配した状況ではなくてほっとした。

 

タリンからヘルシンキを結ぶ国際フェリーにはポーランドからのオートバイライダーグループ、ドイツからのライダー達等ノルウェーのノールカップを目指すライダー達が複数乗船していた。

 

スカンジナビア半島では風光明媚なノルウェーが期待以上だった。

 

 

フィンランドをひたすら北上して北極圏(北緯66度以北)内に入ると夜がない白夜となる。人家もほとんどないラップランドと呼ばれる森林地帯となる。更に北上してノルウェー領に入ると海岸線にでた。

 

樹木があまりない殺伐とした海岸線ながら、思ったほど寒くない。最北端へ向かう道路にはオートバイライダーやキャンピングカーが意外と多い。中にはサイクリストの姿も見かける。

ノールカップへ向かう途中には海底を通過する7kmほどの寒くて薄暗いトンネルがあるが、その海底トンネル内を一人で歩いている旅行者を見かけた時は驚いた。

 

氷河が長い年月をかけて山肌を削りとったU字谷のフィヨルドは圧巻だった。

 

フィヨルドは海に面した海岸線を形成するU字谷だと思っていたが、陸上のフィヨルドもあった。ノルウェーの最大級の陸上のフィヨルドを見てその大きさに圧倒された。

 

フィンランドとノルウェーでは5回キャンプ泊をした。キャンプ場には蚊が多くでる。虫よけスプレーはあまり効果がないため、特にテントの設営時や撤収時には蚊に悩ませれられた。

 

そんなわけで、テント泊はなるべく避け、キャビン(宿泊ロッジ)が備わっているキャンプ場ではキャビン泊にした。キャビンは2人用、4人用とあったが、当方一人用として借りることが出来、快適に過ごせた。

 

ノルウェーの北海沿いは雨が多くて夏でも寒いだろうと思っていた。しかしながら、予想に反し、連日晴天であったことも、風光明媚な自然の中を走るオートバイライディングを楽しませてくれ、期待以上の好印象を残してくれた。

(赤線はスカンジナビア半島のツーリングルートを示す。エストニアの首都タリンは地図の右下の赤丸印の場所。地図左最下部の赤丸印はノルウェーの首都オスロの場所を示す。)

(フィンランド・ラップランドの州都ロヴァニエミエにある北極圏入口のモニュメント。北緯66度33分以北が北極圏となる。)

 

(フィンランドの北極圏を北上すると、森林の樹木は小さくなる。)


(欧州最北端のノルウェー・ノールカップは北緯71度。道路が整備されているため観光バスでも訪れられる。)

(ノールカップの海岸線は断崖になっている。)

 

(ノルウェー北部の海岸線には海からそびえ立つような雪山があった。)

 

(ノルウェー・ロフォーテン諸島にあるヘニングヴァールの港)

 

(ノルウェー南部の陸上のフィヨルド、トロスティンゲンは長さ20km~30kmとノルウェーでも最大級だ。)

(カランゲル・フィヨルドを高さ約500mの高台から見る。写真奥の入江には10階建て位の巨大なクルーズ船が停泊していた。)

(Gjerde キャンプ場のバンガロー)

(ノルウェーの首都オスロにあるムンク美術館。個人の作品を展示する美術館としては世界最大級規模。6~7階建て建物の3フロアにムンクの作品が多数展示されている。)

 

(ノルウェーの代表的な画家ムンクの代表作<叫び=Scream>の油絵)

 

イギリスとアイルランド一周

 

会社員時代ロンドンには数カ月滞在したことがあったが、イギリスの地方は全く知らなかった。

 

昨年日本国内ツーリング時に知り合ったオーストラリア人ライダーからイギリスでのオートバイツーリングは良かったと聞いていた。美しいカントリーサイド(田舎道)の情景を想像して、イギリス本土北端のスコットランドを目指すことにした。

 

フランスのカレーからドーバー海峡をフェリーで渡った。

EU脱退後、イギリス入国時のオートバイの通関には時間がかかるのではと懸念した。

 

しかしながら、フェリー乗船前にフランス側でEUからの出国手続きとイギリス側の入国手続きを行う対応だった。税関の検査らしきものはなく単にオートバイの登録証(オートバイのパスポート)を見せるだけだった。

 

ロンドンは素通りして、友人が住むオックスフォードへと向かい、その後東海岸のウィットビーを経由して、スコットランドのエディンバラ、アバディンと進み、イギリス本土最北端のトーソーまで北上した。やはり最北端という場所には興味が沸く。

 

日本の幕末に薩摩藩の英国留学生の一人がアバディーンに留学したことをテレビ番組で知った。何故スコットランドのアバディーンを留学地としたのか?と興味をもった。

 

同地の博物館を訪れて知ったことは、幕末に武器商人として長崎を拠点に薩摩藩や長州藩と関係をもったグラバー商会のグラバー氏がアバディーンの出身で、同氏が若き薩摩藩士や長州藩士の英国留学を手助けしたことを知った。

 

そんな縁でアバディーン市は長崎市と姉妹都市関係を築いている。

 

イギリスは長距離を走行するオートバイライディングには難しいと感じた。緑の牧場や草原の中の道路を走行するのは気持ちがいい一方、一般道は幅が狭く片側一車線で交通量もあるため、道路脇にオートバイを止めるスペースがない。

 

景色が良い場所なら、オートバイを止めてその景色を眺めたり、写真を撮りたいと思った。しかしながら、後続車を気にしてオートバイを停止できない。

 

曲がりくねった一般道でも制限速度は60マイル(約100km弱)と速く、後続の車にせかされ、田舎道をのんびり走行して景色を楽しむという風にはいかない。

 

スコットランドを北上するに従い、交通量は少なくなってきた。

また、道路沿いには農地が多くなっているように見えた。

 

夏でも肌寒いスコットランドでイチゴがハウス栽培されている光景を眼にした時は驚いた。

 

スコットランドはノルウェーのフィヨルドに似たU字谷の渓谷や地平線に遮るものがない広大な湿原等ワイルドな自然がある地域だった。

 

かって怪獣ネッシーが生息しているのではと世界の注目を浴びたネス湖の周囲も走行した。ネス湖は意外に狭く、川のように見えた。

 

大型海洋動物が棲むには小さすぎるので、ネッシーについてはガセネタであろうことは当時も容易に想像できただろうと思った。

 

 

英国領北アイルランドの州都ベルファーストからアイルランドの首都ダブリンへと移動した際、国境らしきものが無かった。その逆のアイルランドからベルファーストへ進んだ際にも国境らしきものが無かった。

 

アイルランドはEUにとどまっている一方、イギリスはEUを脱退している。そのため本来は両国間を移動する際はパスポートコントロールと税関での検査が課せられるべきところを、実際はその手続きを省き、両国間の人と物の往来を自由にしている。

 

アイルランドの一人当たりのGDPは10万米ドル以上(約1400万円)以上と世界最高水準だが、見た目上はその豊かさが確認できない。街に高級車があふれているわけでもないし,広い屋敷に住んでいるわけでもない。

 

低い法人税率をてこにグーグル、マイクロソフト等の外資導入に奏功して、外資が稼ぐ利益が統計上では一人当たりのGDPを高くしているのではと思った。


(赤線はイギリスとアイルランドのツーリングルートを示す。)

 

(イギリス中部・東海岸にあるウィットビー。ブラム・ストーカー原作のドラキュラの映画にも使われた199段の坂。階段坂を上りきるとセント・マリー教会の墓場に出る。)

 

(アバディンの海洋博物館にはグラバーを称えた日本コーナーがあった。そのコーナーに展示されていた1905年に撮影された集合写真には東郷元帥=中央2列目、グラバー氏=中央4列目、岩崎弥太郎氏の弟であった岩崎弥之助=2列目、右端から3人目が映っている。 グラバー氏は岩崎氏=三菱グループ創始者のアドバイサーとして活躍していた。)

 

(アバディーン付近のイチゴのハウス栽培)

 

(ネス湖=Lock Nessの中央付近。ネス湖は細長い。幅は2km~3km程度しかない。)


(1960年代、世界にグループサウンズブームを引き起こしたリバプール出身のビートルズは無名のころ

リバプール市内中心部マシュー通りのカラバン・クラブ=写真左の建物で演奏をしていた。)


(イギリス最南端のペンザンスにあるマウント・セイント・マイケル(城)は中世の時代にはフランスのモン・サン・ミッシェル修道院が保有していた。干潮時には陸から島まで歩いて渡れる。)

(アイルランドは人口500万人足らずだか、国外にはアイルランド系の人たちは3000万人いると言われる。1800年代中ばの大飢饉をきっかけにアイルランドから大量の移民が北米を中心とする国外へ渡った。この写真はカナダの農場へ移民を勧める過去のポスターだ。)

 

(アイルランド西部の海岸線。場所によっては海面からの高さが200mあるモヘーの大断崖)

 

(アイルランド北部の城のような形の山)

 

フランスとポルトガルを経てスペイン・マドリッドに戻る。

 

イギリスの厳格が感じられないフランスは何故かホットした心持ちになった。

多分自由な雰囲気のフランスとフランス人のラテン気性だろう。

 

イギリスのブライトンからフェリーでフランス・ノルマンディー地方のディエップに到着した。ブライトンは雨が降っていたが、ディエップは晴れていただけでフランスには好印象を持つ。

 

ディエップ~ルーアンと進み、かねてから行きたいと思っていたモン・サン・ミッシェルを見学した。モン・サン・ミッシェルは海の中にあると想像していたが、実際は砂州が堆積して陸上とつながりかけていた。

 

フランスで一番観光客が訪れる場所と聞いていたが、観光客で混みあっている

状況ではなく、余裕をもってモンサン・ミッシェルの修道院内を見学でき、当方は満足した。

(フランスの西海岸ノルマンディー地方にあるモン・サン・ミシェル=修道院)

 

(スペイン北部ゲルニカの町にあるピカソが描いたゲルニカの絵画のレプリカ。ゲルニカは第二次世界大戦前のスペイン内戦で

反政府軍の要請を受けたドイツ軍とイタリア軍の空爆を受けて、町が破壊され多くの一般市民が犠牲になった。ピカソはその惨事の様子を描いた。)

(スペインの首都マドリッドに向かって最後の150kmを進む。)
 

以上