ナミビア・ウインドフック~南アフリカ入国~ケープタウン~アグラス 2019/8/17~8/23  | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

2019/8/17(土)ウインドフック 3泊目 市内観光

 

前日ヤマハの代理店を訪れていたが、点火プラグの交換をしていなかった。 中型バイクでは走行距離2万kmが点火プラグの交換タイミングとインターネットの記事で知った。

 

海外では代理店や部品販売店が常時部品の在庫をもっているとは限らないので、在庫があるときに確保したりするほうが賢明だ。 正午の閉店直前のヤマハの代理店を訪れて点火プラグを買い求め、工具を借りて店先で自分で交換した。 

 

使用済みの点火プラグの火花(電気)が出る先端部分は焦げて茶色の錆のような化合物が付着していた。 代理店のスタッフは「劣化寸前にギリギリ間に合って交換した」と絶妙な交換タイミングを褒めてくれたが。

 

独立記念博物館を見学。 ナミビアの植民地時代から1900年初頭の宗主国(ドイツ)への抵抗運動(軍事力で宗主国にねじ伏せられるが)から1970年代から1980年代の独立戦争に至る過程が写真パネルや壁一面に描かれた絵画で説明している。 入館料無し。

(独立記念博物館の壁画: 20世紀初頭の旧宗主国=ドイツに対する反乱の様子。反乱は多数の犠牲を伴って鎮圧された。)

 

(20世紀後半の独立戦争の様子を書いた壁画=独立記念博物館)

 

最上階(5階)が展望レストランになっており、高台に位置する博物館のレストランから市内が見渡せる。 ウインドフックは約人口35万人の中規模都市ゆえ、 市街地は小さい。

 

2019/8/18(日)ウインドフック~キートマンズフープ(Keetmanshoop) 521km

 

(ナミビアの首都ウインドフック~キーツマンフープ~南アフリカ入国後のスプリングボック~ケープタウン~喜望峰~アグラス(最南端)までの約2,000kmのルート図)

 

南アフリカへ向けてウインドフックから南下する。 ただし、南アフリカとの国境までは900km程度あるので、2日間は必要だ。

 

まずはウインドフックから約500km強南下してキートマンズフープ(Keetmanshoop)を目指してウインドフックを午前8時過ぎに出発。 ウインドフックは熱帯地域にあるが標高が1700mの高地に位置するため、朝方は寒い。 日本の晩秋位の感じだろう。

 

元々車の通りが少ないが、日曜日の朝とあって車の通行はほとんどない。 4km5km市内を走行すれば郊外へ出る。

 

殺伐とした荒地の高原を一直線に伸びる道路が通っているだけだ。 ウインドフックから100km程度南下したところに南回帰線(Tropic of Capricorn)が通る。 観光中の家族づれが車を止めて記念撮影しているので南回帰線の標識だと気づいたが、そこに誰もいなかったら南回帰線とは気づかずに通り過ぎていただろう。

(川は乾季には枯れてしまう)

 

(南回帰線)

 

小さな町が100km間隔である程度で、何もない荒涼とした大地はアルゼンチンのパタゴニアの大地と似ている。 更に南下すると、木々が無く、高さ30cm程度の草ぐらいしか生えない厳しい乾燥地帯になる。

(ウインドフックから南へ向かう荒野)

 

町が少ないためガソリンスタンドが少ない。途中のガソリンスタンドへ寄ったが、在庫切れだった。75km先の次の町のガソリンスタンドでガソリンを給油した。 200km230km区間ガソリンの給油が出来ない。

 

目的地のキートマンズフープを走行中、オートバイに乗る男が当方の後に付いてくる。当方が停車すると声をかけて着た。 当方のオートバイ(セロー250)の姉妹モデルであるXT250の新車に乗った白人のナミビア人だった。 大陸横断のライダーに憧れて、情報収集中だと言う。 当方がバイクに装備している大型荷物キャリアやエンジンアンダーガードを見て、自分も同じような装備を取り付けたいがナミビアでは手に入りにくいと言う。

(ヤマハXT250に乗る白人系ナミビア人)

 

投宿はRachel’s Backpakers 個室共同シャワー 180ナミビアドル(約1,500円)

 

2019/8/19(月)キートマンズフープ~南アフリカ入国~スプリングボック(Springbok) 451km

 

投宿したキートマンズフープから南アフリカとの国境まで320kmあるが、今日は国境を越え南アフリカへ入国後出来るだけ進みたいと考えていた。

 

4ヶ月程先行してスペインからモロッコ入りして西アフリカを南アフリカに向けてツーリングした日本人ライダーM氏がケープタウンから今週帰国すると聞き、ケープタウンで是非とも会いたいと考えたからだ。 またしても当日朝に前日まで計画したルート案を変更してしまった。

 

ナミビアの地方都市のキートマンズフープは静かな町だった。 前日は日曜日のため店はほとんど閉まっていた。人通りもほとんど無くゴーストタウンのようだった。 月曜日の朝の人通りも少ない。

 

そんな町中をバイクで更に南へ向けて走り去った。100km程度進んだ道路脇の休憩所にサイクリストが腰を下ろして食事をしている。 一旦は通り過ぎたが、引き返してサイクリストへ挨拶をした。

アフリカを自転車でツーリングするのはかなり難易度が高い。そんなことにあえて挑戦する人たちには脱帽する。 

(自転車ツーリング中のスペイン人)

 

サイクリストはバロセロナ近郊に住む55歳のスペイン人だった。 当方がスペインのバロセロナからアフリカツーリングをスタートしたことを伝えると、同サイクリストは日本を自転車ツーリングした経験があると言う。 すっかり意気投合して、お互いのツーリング話で時間が過ぎ去るのを忘れてしまった。 

 

すっかり長話をしてしまったので、先を急いだ。 ナミビア南部は岩山があり、地形が起伏に富んでいて面白い。南アフリカとの国境が近い場所になると渓谷のような大きな断崖になっている。 遠くから見るとアメリカ・アリゾナ州のグランドキャニオンのようだ。

(ナミビア南部ではテーブル・マウンテンのような高台や山を見かけた)

 

(ナミビアから南アフリカへ向かう途中の標識)

 

国境手前のガソリンスタンドでバイクでは給油をする傍ら、ナミビアドルから南アフリカの通貨(ランド)への両替をお願いした。 ナミビアドルを南アフリカランドと1:1の同等価値で交換してくれた。

 

ナミビアの国境の場所はNoordoewerと言う。 当方以外の旅客がいないこともあり出国手続きは10分程度で済んだ。 イミグレーションオフィース手前の警察の検問所で荷物検査があり、その後イミグレーション・オフィースでパスポートに出国印を押してもらう。  イミグレーション・オフィースと道路を隔てた反対側の税関(Customs)でカルネの出国欄に押印してもらう。

 

 

ナミビアの出国ゲートを出て300m400m先へ進み、長さ200m程度の橋を渡ると南アフリカ領に入る。 旅客がほとんどいないにも拘わらず、入国手続きに30分程度時間がかかった。

(道路の先が国境の橋となっている。 手前はナミビア領。 崖がある方は南アフリカ領となる)

 

入国ゲートでTraffic Ticketと呼ばれる整理券のようなチケットをもらう。 そのチケットに手続きを行なう各窓口の係官が手続きが行われたかどうかチェックをして、手続き漏れがないか確認するチケットだ。

 

まず、イミグレーション・オフィースでパスポートに入国印押印後、その隣の警察窓口にパスポートを提出。その後、税関(Customs)にてカルネの輸入欄に押印してもらう。

 

その後オートバイの荷物検査を行う。 厳密に荷物を中身を調べるので時間がかかる。

最後に出国ゲートにて整理券のようなTraffic Ticketを提出して終了する。

 

国境には両替人や携帯電話のSIMカードを販売する人がいない。 南アフリカの現金を事前に両替してもらっておいて正解だった。

 

国境から120km程先へ進んだスプリングボック(Springbok)という町で宿を探した。一軒目は満室で断られた。 2軒目の宿は予算より高かったので断念。 2軒目で紹介された少し郊外のキャンプ場のロッジに投宿した。 

 

周囲に町の明かりがともらない郊外のため、意図せず夜間奇麗な星空を眺めることが出来た。

 

投宿はSpringbok CaravanParkロッジ素泊まり220ランド(約1,800円) 別棟に共有トイレ・温水シャワーあり。WiFi無し

(投宿したキャンプ場)

 

2019/8/20(火)スプリングボック(Springbok)~ケープタウン(Cape Town) 602km

 

アフリカツーリングで一日では最長の走行となってしまった。

ケープタウンに本日中に到着するつもりで本来なら朝早く出発せねばならなかったのだが、ケープタウンにいるM氏とは連絡が取れていない。

 

前泊したキャンプ場にはWiFi施設が無く、当方も南アフリカ入国時に携帯電話のSIMカードを買いそびれていた。 M氏は明日帰国なのでケープタウンで今夜是非とも会いたいと考えているものの、M氏は当方が本日ケープタウンを目指していることを知らない。 すれ違いになるリスクもあるので、朝一番にスプリングボックの町の携帯電話ショップでSIMカードを購入した。

 

そのためスプリングボックを出発したのは午前9時を回っていた。いつもの時速80km90kmでは途中の休憩等を入れると10時間以上かかってしまうので、今日は時速90km100kmのペースで先を急いだ。 オートバイの速度計はGPSの測定値より約8km10km多めに表示される。どちらが正しいか知らないが、250ccエンジンの軽量オートバイで巡航速度を時速100kmに保つのは疲れる。 

 

道路面に膨らみがあるとオートバイが飛ぶように跳ねてしまう。

 

南アフリカに入国してからの地形は変化に富む。 岩肌をむき出した山々が迫っている。 全て禿山だ。

裾野はブッシュが生えている程度の荒地だ。 降雨量が少ないため農業生産は出来ない。従って、人も住めない荒野だ。

 

スプリングブックとケープタウンの中間地点(ケープタウンの約250km300km手前)ぐらいから幅2km3km程度の平地の谷底を走行するが、この谷底は広大なブドウ畑になっている。 南アフリカは短期間でワインの一大生産国になり、そのワインは世界中に輸出されるまでになっている。 日当たりのよい地形と谷を流れる川の水を灌漑に利用している。

(ブドウ畑)

 

更に先に進むと広大なオレンジとみかんの畑となっている。 西アフリカ諸国では高価だったオレンジやみかんがここでは安い。 ガソリンスタンド併設のみかんの直売所ではこぶし大の大きなミカンが15個で10ランド(約80円)だった。 荷物になるが、ケープタウウン到着後たっぷり食べようと思わず買ってしまった。

 

更に先へ進むと谷から平野になった。平野には広大な小麦、菜の花等の農地が地平線まで続いていた。南半球の8月は日本の2月に相当するが、菜の花が咲く春の時期となっていた。 見渡す限り黄色い菜の花畑が広がっている。こんな広大な菜の花畑を見るのは初めてで、圧倒された。

 

(平地には広大な菜の花畑があった)

 

朝は冬の身支度で出発したが、午後陽が高くなると暑くなる。 しかしケープタウンが近づくと海流のせいかまた朝方のように寒くなる。ユニクロのウルトラライトのダウンジャケットをライダーズジャケットの下に着こんでいたが、夕方の走行風は朝方より冷たく感じた。

 

ケープタウンに入ったころは日没後となってしまったが、 走行する車の運転マナーが非常に良い。オートバイを運転していても、全く緊張を強いられず安全に運転できる。 町並みも、交通マナーも北部欧州と同じだ。 

 

19時過ぎにM氏が待つ宿に到着。 宿近くのレストランでM氏の13ヶ月に及ぶユーラシア大陸横断とアフリカ西ルート縦断、更に当方の第一目標だったアフリカ西ルート縦断の祝杯を上げる。

 

投宿はAtlantic Point Backpackers 5人のドミトリーで朝食付き285ランド(約2,300円)。欧州の若者向けの宿として評価が高いようだ。

(ケープタウンのパノラマ写真=Atlantic Point Backbackers提供。写真背後の山がテーブル・マウンテン)

 

2019/8/21(水)ケープタウン2泊目 エンジンオイル交換時にトラブル発覚

 

M氏が朝から米を炊き、鶏の出汁で炊き込みご飯を作ってくれた。 朝からご飯を食べられるとは思ってもいなかったので嬉しい。 

 

帰国の途に就く同氏を見送った後、ケープタウンの裏手にあるテーブルマウンテンへ登り、その後喜望峰までオートバイで日帰りツーリングをする計画だった。 前回のエンジンオイル交換から約4,200km走行していたので、オイル交換をすべくM氏に教えてもらったオートバイ屋(Woodstock Moto)へ行くが、ここで思いがけないトラブルを発見した。

 

前回のエンジンオイル交換時にオイルパンの底穴を閉めるボルトが強く締め付けられていた。

筋肉隆々の白人男性が工具を使ってボルトは緩めようとするが、ボルトが緩まない。そのうちボルトの頭が滑ってきてボルトが変形してくる。 お手上げだ。

 

オートバイショップの工具ではボルトを緩められない。 オートバイショップ紹介の鉄工所で、頭が壊れたオイルパンの底穴ボルトの上に他のボルトを溶接してもらい、他のボルトの頭を工具で回してオイルパンの底穴をあけた。

(オートバイ底部のエンジンオイル抜きのボルトに別のボルトを溶接でつける)

 

エンジンオイル抜きは出来たが、オイルパンの底穴を塞ぐ新たなボルトが必要だ。 オートバイショップのオーナーがヤマハのディーラー等複数の業者を当たってくれたが、当方のオートバイに合うボルトがなかなか無い。 複数の業者に問い合わせする中、 オートバイの中古部品も扱う業者がオイルパンの底穴にちょうど合うサイズのボルトを持っていることを探し当ててくれた。

 

エンジンオイルの交換が半日仕事になってしまった。 交換費用は鉄工所での作業を含め650ランド(約5,000円)。 

 

ここのオートバイショップのオーナーは日本製のオートバイを中心に個人でオートバイを8台所有している。 かっては日本で中古バイクを仕入れて、南アフリカに持ち込み販売していたが、新車のみを取扱うオートバイの販売店が結束して法律で中古バイクの輸入が出来ないように規制してしまったとこぼしていた。

(ケープタウンのWoodstock Motoでエンジンオイル交換)

 

 

中古バイクの輸入規制により中古のオートバイマーケットが縮小すると、新車の売り上げも縮小し、結局新車のディーラーも痛手を被むっているとのこと。 目先の自分の利益のみを追及すると長期的には誰の利益にもならない事例だろう。

(ケープタウンの海岸沿い)

 

(ケープタウンのテーブル・マウンテン)

 

2019/8/22(木) ケープタウン3泊目 喜望峰(Cape of Good Hope)へ日帰りツーリング (140km

(ツーリング出発点のスペイン・バルセロナから南アフリカの喜望峰まで約18,000km強の距離があった。バロセロナから約100日間で喜望峰へ到達した。)

 

南アフリカの喜望峰(Cape of Good Hope)を聞いたことが無い人はいないだろう。 15世紀の大航海時代にポルトガル人のバスコ・ダ・ガマ率いる船隊が欧州からインドへ至る海上ルートとして喜望峰を発見したことになっている。

 

喜望峰をアフリカツーリングの第一目標地点にしていたので是非とも訪れてみたかった。 喜望峰はケープタウンの南のケープ半島最南端にある。ケープタウンから70kmの距離でバイクで片道1時間半程度かかる。

 

喜望峰へ至る道は神奈川県の三浦半島の逗子や葉山を通る雰囲気に似ている。 小さな入り江には砂浜の海岸や磯があり、丘から海岸線の丘陵地には別荘や邸宅が立ち並ぶ。 一見保養地のようだ。

春先だからまだ人出が少ないが、夏になれば海水浴やサーフィンを楽しむ観光客が多く訪れる場所だろう。

(ケープタウンから喜望峰へ向かう途中の浜辺と町)

 

喜望峰がある岬は国立公園となり、近隣諸国以外の外国人は南アフリカ人の4倍の料金を入口で支払う。 外国人は303ランド(2,400円)。近隣諸国の外国人は156ランド(約1,200円)、南アフリカ人は78ランド(640円)となっている。 外国人に4倍高い入場料を課すのは納得いかないが、クレジットカードで入場料を支払い入場した。

 

観光客はCape of Good Hope Pointと言う灯台がある大きな場所を目指す。 観光バスも来て、土産店やトイレ、休憩所、見晴らし台等の設備が整っている。しかしながら、喜望峰(Cape of Good Hope)は灯台がある場所から3km4km程度離れた目立たない所にある小さな岬だった。 訪れる観光客も少ない。 世界的に有名な地名にしては、観光客が少ない質素な場所だった。 スペインのバロセロナから喜望峰まで約1.9km弱の走行距離だった。

喜望峰ポイント=Cape  of Good Hope Point。写真奥に灯台が小さく見える)

(喜望峰ポイントの灯台から喜望峰を眺める。写真奥の海上に突き出た部分が喜望峰だ)

 

(喜望峰=Cape of Good Hopeはアフリカ大陸で最南西地点)

 

南アフリカでオートバイの保険の扱いが気になっていた。 自動車保険は強制ではなく任意になっているようなので、無保険のままでも法律的には問題がないようだ。

 

しかしながら、前日交差点で停止中に後方から来た乗用車が当方のバイクに軽く追突して来たので、保険に加入しておこうと思った。 宿のスタッフに聞いた大手の自動車保険会社(Budget Insurance)の事務所を訪ねて保険加入の申し込みを試みた。

 

しかしながら、営業レディーが最初は愛想よく対応してくれたが、話しているうちに南アフリカに住所が無いと保険に加入できないことが判った。 午前中は保険会社を探して、やっと行き着いたバジェット保険会社で保険加入が出来ないと分かり、がっかり。 

 

2019/8/23(金)ケープタウン~アフリカ大陸最南端アグラス(Agulhas) 284km

 

喜望峰(Cape of Good Hope)はアフリカ大陸の最南端ではない。 最南端の場所はケープタウンから東方面へ陸路で280km離れたアグラス(Agulhas)と言う小さな岬だ。

 

このアグラス岬を目指してケープタウンからファルス湾(False Bay)を周遊しながら進んだ。

 

ファルス(False)湾沿の高台を通る道路を進む。この辺りには別荘のような比較的大きな家が多い。どの家も周囲は電気フェンスで警備されている。ファルス湾にはクジラが来ると言うので、道路沿いの休憩スペースには双眼鏡を手に湾を眺めるツーリストもいる。

 

この周遊道路は三浦半島(神奈川県)の葉山周辺の景色に似る。 海となだらか丘の斜面には別荘が立ち並ぶ風景だ。 日本の2月に相当する季節だが海からの風は冷たくない。 日本の3月下旬から4月上旬の陽気でツーリングにはもってこいだ。

 

海辺の通りから広大な農地がある平野を通りアグラス(Agulhas)の岬まで来た。 最南端の町にふさわしい寂寥感がある小さな町がある場所だ。 喜望峰のように観光客は多くいない。

ここは海の分水嶺的な場所でもある。 アグラスの西側の海が大西洋、東側がインド洋になる。

(アフリカ大陸の最南地点 アグラス=Agulhasの町を灯台から見る)

 

 

(アフリカ大陸の最南地点のモニュメント。 写真左側がインド洋、右側が大西洋となる)

(アグラスの海岸は1982年に座礁した日本のマグロ漁船のMeisho Maru 38の船首部分ある)

 

 

南アフリカをツーリングしていて気になることがあった。 観光地では黒人の姿をほとんど全く見かけないのだ。多くの観光客は欧州からの観光客だ。まるで欧州にいるかのようだ。街の通りでバス等の公共交通機関を利用する人達は黒人ばかりだ。 

 

黒人系の南アフリカ人が働く道路工事の現場やビルの管理・清掃現場では白人系の人達を見かけない。

 

ケープタウンの郊外の小ぎれいな新興住宅街に隣接した粗末なトタン屋根と壁で出来た小さな住居群を見かけた。 たぶん白人系南アフリカ人と黒人系南アフリカ人とでは住む場所、働く場所が違うのだろう。 果たしてこんな状況を未来永劫続けられるのだろうかと疑問が浮かぶ。

 

懸念はやはりあるようだ。 アグラスではオランダとドイツを先祖に持つオーナー夫妻のゲストハウスに宿泊した。 アグラスの町の住人は中産階級(アッパーミドル)の白人系が中心だが、若者達は国を出ていくという。 夫妻の子供達も一人はイギリスに住み、一人は他の外国にいるという。他の白人系住民の子供達も同様に外国に出て行ってしまうと言う。

 

投宿はL Agulhas Main@51 (Booking.comで掲載されているが、予約せず直接現地で宿泊。 Booking.comでは400ZARの表示だったが、350ZA=約2,800円で宿泊) リビング、キッチン、バスルーム付きの50m2の個人住宅の離れのような広い部屋だった。

(アグラスの宿は個人の住宅の離れだった。写真右側の棟が離れのゲストハウス)

(ゲストハウスの50m2の広い部屋からインド洋が見える)