ポトシ(ボリビア)~スクレ~ウユニ塩湖~オルーロ (1/9~1/12 817km) | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

1/9(火)ポトシ~スクレ(Sucre) 165km

 

ホテルを午前9時前に出発したものの、トラック輸送業者によるポトシ市内の主要道路封鎖に遭遇した上、ガソリンスタンドを探すのに時間がかかりポトシ市内を抜け出せたのは10:30過ぎになってしまった。

 

ボリビアでは外国人向けのガソリン販売価格(8.68ボリビアーノ=約150円)はボリビア人向け価格(3.74ボリビアーノ=約65円)より高い価格と法律で決められている。ボリビア人向け価格は政府の補助で安く据え置かれているからだ。ガソリンスタンドは外国人の車両の登録国、ナンバープレート、氏名とパスポート番号をコンピューターシステムに入力することが義務づけられている。しかしながらシステム上の外国に日本が無い。近隣諸国の外国を想定しているからだ。

 

そのため、当方のオートバイが日本での登録だと知るとガソリンスタンドのシステム上に入力できないとの理由で販売を断られることがある。

 

ただし、ちょっと気が利くガソリンスタンドではシステム上で入力が可能なアルゼンチンやチリ等の近隣諸国のオートバイ登録としてガソリンを販売してくれる。

 

本日最初に寄ったガソリンスタンドは改装のため閉鎖中、2番目のガソリンスタンドでは販売を断られ、3軒目のガソリンスタンドへはトラック輸送業者による道路閉鎖のためたどり着けず、一度断られた2軒目のガソリンスタンドに引き返し、頼み込んで何とか販売してもらった。

 

ポトシ~スクレ間はワインディング(曲がりくねり)が多い道路のため、バイクツーリングには面白い。日本の道路のような急なカーブが多い。また坂道も多い。標高4千メートルのポトシから2,750メートルのスクレを目指し高低差1,300mを下る。交通量が非常に少ないので急カーブが多い道でもストレス無く走行出来る。

(ポトシ~スクレの高原には畑が広がっている)

 

(ポトシ~スクレ間では牛を使って畑を耕していた)

 

(ポトシ~スクレ間のジャガイモ畑で肥料を撒く女性)

 

(ポトシ~スクレ間の広い耕作地と集落)


(高原から長い坂を下りスクレへ進む)

 

スクレはボリビア独立当初の首都だ。憲法上では首都だが、政府機能のほとんどはラパスに移管されている。最高裁判所だけが依然スクレに残されている。

 

町にはスペインの植民地統治時代の影響が強く残り、スペイン南部のアンダルシア地方の町のように白壁とレンガ色の瓦の建物に統一されていて美しい。旧市街の街並みはボリビアの町とは信じがたい。

 

投宿はHotel Sermal (料金160ボリビアーノ=約23米ドル)

(スクレの旧市街中央部の5月25日広場前)

 

(ボリビア独立の文書が作成された自由の家。5月25日広場前)

 

(スペイン植民地時代の面影が残る自由の家の中庭=パティオ)

 

(ボリビアを独立に導いた南米生まれの白人シモン・ボリーバル。シモン・ボリーバルの名前から国名をボリビアとした)

 

(旧市街の建物は白壁にレンガ色の屋根で統一されている)

 

(通りで物を売る先住民系女性達)

 

1/10(水)スクレ~ポトシ~ウユニ(Uyuni) 343km

 

昨日に続き本日も輸送業者のストのためスクレ市内の道路がトラックで閉鎖されている。ウユニの宿を予約しているため、何とかスクレを脱出しなければと思い、迷路のような住宅街の道路を走る。崖のような坂道や崖の上の細いけものみちのようなダート道を走ったりして何とか市内から幹線道路へ進む。

 

幹線道路もトラックが道路を封鎖しているが、バイクがすり抜けられる隙間があった。

長距離バスは先に進められないため、幹線道路途中で旅客をバスからおろしている。

(トラックが幹線道路を閉鎖している)

 

(道路閉鎖のため動けなくなった長距離バスから降りて歩く人たち)

 

ウユニへ行くためには途中にポトシの市内を通過せねばならない。ポトシの市内も

道路が閉鎖中だが、トラックでの閉鎖でなくてピケで閉鎖している。ピケをくぐり苦労無くポトシ市内は通過できた。

 

ポトシ~ウユニまで約170kmの距離だ。この区間のほとんどが下り坂と上り坂のワインディング道路(曲がりくねった道)だ。手持ちの道路地図ではほぼ直線道路となっているが、実際は全く異なっていた。

(ポトシ~ウユニ間はワインディングの岩山のルートが続く)

 

(ポトシ~ウユニ間は耕作地が少なく荒地が多い)

 

(ポトシ~ウユニ間で雨宿りした村のガソリン販売店。ガソリンスタンドではなく店の中で

ガソリンを販売している)

 

このあたりの放牧は羊とリャマだ。リャマは砂漠やステップ気候のような水が少ないところでも生きていける動物なのだろう。

 

山岳道路からウユニに下る坂道の途中からウユニの町と更にウユニの先の広大な塩湖が見渡せる。

(山を下った先にウユニの町が小さく見える)
 

ウユニの町のガソリンスタンドでは外国ナンバーの車両に販売するためのレジのシステムが無いという。ガソリンの販売を拒否されると思ったが、抜け道としてペットボトルにガソリンを入れて内国人と同一の価格で販売してくれた。ペットボトルに入れたガソリンを自分でバイクのガソリンタンクに注いだ。 

 

本日2回ガソリンを入れたが、2回とも料金を過大請求された。当方が過大請求を

指摘するとガソリンスタンド側は間違いを訂正したが、簡単な足し算なのに何故間違うのか不思議だ。

 

投宿はCilos Hotel (一泊117.60ボリビアーノ=17米ドル)

 

(ウユニの町)

 

 

 

1/11(木)ウユニ塩湖日帰りツアー

 

雨期のためウユニ塩湖に水が張っていると前日地元のガソリンスタンドで聞いた。そのため、バイクで行くのは無理だろうと考えて、ウユニのツアー会社で日帰りツアーを申し込む。 料金は昼食付150ボリービアーノ(約2,600円)。

 

前年11月下旬にアルゼンチンのサンアントニオ・デ・オエステにて滞在した宿で見かけた東洋人の夫、西洋人妻と幼児の家族にウユニの同じ宿で偶然再会した。 夫は中国系オランダ人で弁護士だという。夫婦と2歳の幼児の家族で一年間の世界旅行中だという。

 

日本へも1ヶ月滞在して気に入ったと言っていた。この家族からウユニ塩湖への日帰りツアーの旅行会社を紹介してもらった。

 

ウユニ塩湖へのツアーはウユニの町を11時頃に出発後、まず19世紀末にウユニからチリのアントファガスタへ塩や鉱物の輸送に使用された汽車が廃棄されている場所(汽車の墓場と言う)を訪れ、更に民芸品のマーケットに寄った後、ウユニの町から約20キロ離れたコルチャニ村(Colchani)から塩湖に入る。

(ウユニの町はずれにある汽車の墓場)

 

(ウユニ塩湖ツアーで一緒になった北京からの中国人グループ等と記念撮影)

 

雨季のコルチャイ村の道路は泥が深くバイクでの走行は難しそうであった。バイクで来なくて正解だった。

 

この時刻にはウユニ町から観光客が乗るウユニ塩湖ツアーの車が一斉に出発する。ツアー用の車はトヨタ・ランドクルーザー等の日本製の四輪駆動車だ。

 

ウユニ塩湖にはやはり5cm~10cmの深さの水が張っていた。観光客が乗った四輪駆動車がゆっくりと塩湖の中にある塩のブロックで建設されたホテルを目指す。ウユニ塩湖は琵琶湖の約18倍の広さ故、対岸は遠すぎて見えない。

(水が溜まり鏡張となったウユニ塩湖を進む四輪駆動車)


(水が引き表面が塩の陸地になっていた場所もあった)


 

(塩のブロックで建設されたホテル前には各国の国旗が建っている。背後の建物が塩のホテル)

 

(塩のホテル内部のホール。壁は塩のブロックで出来ている。昼食を取る観光客グループが多数いた)

 

水が張った塩湖に持参したテーブルを設けて、当方を含めツアー客13名が一緒にランチをとる。ツアー客の半分以上は北京からの年配の観光客だった。水が張った塩湖は鏡のように反射する。空や人が塩湖に鏡のように映るのが面白く、思い思いのポーズで写真を撮る。大胆にビキニ姿で写真をとる中国人女性もいた。

(塩湖に設けたランチテーブル)

 

(おもちゃの恐竜を使って恐竜に食べられる人の写真を撮ろうとしたが難しかった。カメラを湖面すれすれに置かねばならないので

撮影画面が確認できない)

 

(ツアー参加の水着姿の中国人女性)

 

(塩湖上をトラックの荷台に乗り塩のホテルに向かう現地の人達)

 

日帰りツアーはウユニ塩湖に映る日没を見るため19:30頃まで塩湖に留まる予定であった。しかしながら、日没を待たずにウユニの町へ引き返したい希望者が半分いたため、2つのグループに別れた。当方は日没を待たずウユニの町へ帰ったが、中国人グループは日没まで塩湖に残った。


 

乾季であれば、バイクで塩湖へ行ったほうが無駄な時間が省ける。また、ツアーの車より自由自在に遠出も可能だろう。

 

ウユニの町へダカールラリーの競技者や関係者が翌々日に到着する予定であるので、ウユニ市内の宿は満室だ。また宿の料金もうなぎ上りだ。

 

当方はダカールラリーの到着を待たず、翌日約300km強離れたオルーロ(Oruro)へ移動することにした。

 

1/12(金)ウユニ~オルーロ(Oruro) 309km

 

ウユニ~オルーロまでポトシを経由せずに舗装道路で行けることが判った。ウユニのガソリンスタンドでも、ウユニ塩湖ツアーのドライバーもオルーロまでの道路は舗装されていると言っていたのでまず間違いないと踏んだ。

 

朝方まで雨が降っていたが、当方が出発する午前8時台には晴天になっていた。

それでもウユニの町中は未舗装の道路が多いため、道路の穴ぼこにおおきな水たまりができバイクの運転に手こずる。

(ウユニの町の未舗装道路は雨が降ると大きな水たまりが出来る。町の中心部以外は未舗装道路だ)

 

ウユニからオルーロまでは標高約3600mの高原のほぼ直線の一本道だ。舗装化されてから日が浅いのだろう。道路のアスファルトがきれいである。この道路沿いの所々にキヌア(quinua)と呼ばれるアワやヒエ類の穀物が栽培されている。高地で水が少ないため、それ以外の作物は育たないのだろう。

(ウユニ~オルーロ間は直線道路)

(道路沿いの耕作地にはキヌアが栽培されている。収穫は5月)

 

道路沿いの所々に集落がある。道路沿いに20名位の地元の人たちが集まっているのでバイクを止めて何をしているのか聞いてみた。土地について話し合う集会だと言う。当方が日本から来たと言うと、地元の人々から日本についての質問が集中した。

(道路脇に集まった現地の人たちと一緒に撮影。村にはまだインターネットは普及していないようだ。

写真を送りたくても方法が無い)

 

このあたりの道路から数キロ奥に入った原野を翌日ダカールラリーの競技バイクや車が疾走するという。

 

オルーロに向かうこの先の道路は14時以降閉鎖されると聞き、先を急いだ。既に道路はトラック等で封鎖されていたが、トラックとトラックの隙間や、道路端の空いているところを通り抜けて先へ進んだ。

 

オルーロの町手前まで十か所位の封鎖地点を何とか通り抜けたが、オルーロの町では500m毎にトラックやバス等の大型自動車が道路を塞いでいる。

 

バイク走行を躊躇するような砂地の土手を何とか通り過ぎると、今度は大きな石がゴロゴロしている道路の端だ。バイクのエンジン底を石にぶつっけならが進むがバランス崩して転倒。 

 

こんなに苦労しながらバイクを進めている当方を笑いながら見ている連中がいた。頭にきた。日本語で道路を閉鎖している連中に怒りをぶつけた。政治的な権利を勝ち取るための道路閉鎖だと言うが、首都ラパスの政治家には痛くも痒くもない。迷惑しているのは一般市民だ。

 

300kmの移動距離しかないので、14時頃には宿に到着すると考えていたが、オルーロ市内で複数の道路閉鎖場所を通り抜けるのに時間がかかった。宿に到着したの16時を回っていた。

 

投宿宿はResidencial Vergara(一泊118ボリビアーノ=約17米ドル)

(道路閉鎖中のウユニ~オルーロ間の道路)

 

(写真ではわかりずらいが砂地の窪地になっているので通過は緊張した。

土手の横は川になっていた)

(砂地の抜け道。荷物も含めると重量が270kg~280kgとなるバイクでは

深い砂地の走行は前輪がふらついて難しい。)