10/6(金)マドリッド12日 アルゼンチンへのバイク輸送業者へバイクを持ち込む
午前中はブログの更新で終わる。マドリッド連泊を重ねると目新しい出来事が無く、また、目新しい写真も無くなる。
午後ブエノスアイレスへバイク輸送を任せた輸送業者へオートバイを持ち込み、ウインドシールドを取り外して梱包できる状態にする。
(ウインドシールドとバックミラーを取り外したオートバイ)
当方は輸送業者へ運送料の値引きをを求めるが、輸送業者のアルゼンチン人は当方の値引き依頼に対して急に声を荒げて、<俺が知っている八木さんという日本人はそのようなことは決して言わなかった>と言い出して、値引きが可能かどうかの返事も言わない。
返事がないので当方がもう一度<値引きは無いのか?>と返事を督促するとむっつり黙って内金100ユーロの領収書を示して値引きがない旨を書面で当方に示す。
日本人であろうがなかろうが値引きが可能かどうか聞くのは当たり前だと思っている当方にはこのアルゼンチン人が<今の価格がベスト価格故、値引きできない>と何故返事しないのかと不思議に映る。それともアルゼンチン人は直接Noと言えない気性なのか。
10/7(土)マドリッド13日目 バイク輸送業者でのバイクのガソリン抜きとレティーロ公園散歩
輸送業者の倉庫兼事務所では輸送業者がバイク空輸のための荷作り梱包をしている。バイクの梱包には鉄枠を使う。空輸の料金は重量あるいは容積に基づく容積重量の大きい数値が適用される。
(オートバイ梱包用の鉄製の枠)
空輸の場合、通常の重量より容積換算の重量が通常大きくなるため、バイクの梱包容積をできるだけ小さくするようにコンパクトに梱包する。
バイクを梱包した箱の空いているところにパニアケースやバッグを押し込み無駄なスペースが無いようにする。
ガソリンは危険物故、バイクを飛行機に乗せる前にバイクのガソリンタンクからガソリンを抜き取る。
ガソリンを抜き取るためのホースをガソリンタンクに入れるが、タンク内の構造が複雑でタンクの底までホースが届かず。従って、ガソリンをすべて抜き取ることはできず、若干量がタンク内に残留するが、それで良しとする。
これでバイクの梱包はほぼ終了。
マドリッド市内中心にあるレティーロ公園に10年ぶりに訪れ、散策する。レティーロ公園は王家の庭として17世紀に作られたものだ。約120ヘクタールの面積がある広い公園内にはボート遊びができる池や、元王家の宮殿もある。平日でもジョギング、パフォーマンス、散策等で市民の憩いの場になっている。
(レティーロ公園内の池)
10/8(日)マドリッド14日目 長男の出迎えと旧友たちとのテニス
社会人となっている長男も休暇を利用して10年ぶりにマドリッドを訪れた。
マドリッドは長男が中学生時代の3年間を過ごした場所だ。
日曜日は商店が閉まり買い物ができない日であるが、借りたアパートがある市内中心部の百貨店・食料品店は日曜日でも開店しているので重宝する。
午後は長男も交えて郊外のテニスクラブで旧友たちとテニスを楽しむ。長男は10年前にこのテニスクラブでテニスを習い、その後地元のジュニアテニスチームで練習をした。
(マドリッド郊外のテニス・パデルクラブのエル・エストウディアンテ=El Estudianteのクラブハウス)
長男が日本から持ってきてくれた明太子が有難かった。炊きたてのごはんに明太子をのせて夕食をとる。うまい。質素な夕食だが、ひさしぶりにおいしい夕食を味わったと感謝。
10/9(月)マドリッド15日目 輸送業者(Aki Servicios)で荷作り梱包の立会と懐かしの場所を家族で訪れる
バイク輸送業者でのバイク梱包がほぼ終了したので、梱包の蓋を閉める前に当方が最終確認を
してほしいと連絡を受け、バイク輸送業者に出向く。初回訪問から5回目の訪問だ。
バイクの梱包は梱包の蓋を閉めるのみとなっていた。蓋を閉める前に、預けた荷物が全て収納されているかどうかと梱包状態を確認。その後残金の支払いを現金で済ます。バイクの輸送費は1,680ユーロ(約22万円)。バイク梱包代が180ユーロ(約2.4万円)。
(上蓋を閉める前のオートバイ梱包箱)
(オートバイが入ったを梱包箱)
午後には家族と10年前に住んでいた懐かしの場所を訪れる。10年しか経っていないので、周囲の景観はほどんど以前と変わらず何故かほっとする。住んでいたマンション前のスーパーも健在だ。
(住んでいたフーリオ・パラシオス通りから見たクアトロ・トーレス=4棟の超高層ビル)
(住んでいた近所のノルテ公園内のプラタナス並木道)
(フーリオ・パラシオス通りのスーパーの生オレンジジューズ絞り器。1リットル2.89ユーロ=約380円)
ただし、よく通ったケバブの店はオーナーと店の名前が変わり、すこしかっがりした。当時は味が良く量も多くて繁盛した店であった。しかし今はケバブの量が当時の半分程度と少なくなり、あまり繁盛していない様子だ。
(住んでいた近所の商業施設 ラ・バグアダ=La Vaguada)
10/10(火)マドリッド16日目 プラド美術館見学、プエルタ・デル・ソル周辺散策
マドリッド観光の目玉はプラド美術館だろう。スペイン三大画家と称賛されているエル・グレコ、ベラスケス及びゴヤの絵画を中心に数多くのコレクションが展示されている。
平日は10時~20時開館している。朝から観光バスで多くの旅行者が訪れる。11時頃にブラド美術館へ行った。約15分位の待ち時間で入場券(大人15ユーロ)が買えた。平日のためか美術館内はそれほど混んでいない。ゆったりと絵画鑑賞が楽しめる。
ベラスケスの傑作であるラス・メニーナスやゴヤの裸のマヤ・着衣のマヤ等の人気の絵画の前で多少の人だかりがあった程度だ。プラド美術館ではガラスの中に展示されている絵画はない。文字通り手で触れる距離で観賞が可能だ。ただし、写真撮影が禁止されているのが残念だ。
(プラドー美術館正面)
(「ラス・メニーナス」=王女を世話する女官 あるいは「フェリーペ四世の家族」 1656年 ディエゴ・ベラスケス作)
(「裸のマハ」 1797年頃 フランシスコ・デ・ゴヤ作)
地上階(日本の一階に相当)のカフェテリアと絵画の写真集等の土産品販売スペースが大幅に拡大されたので、絵画観賞に疲れたらカフェテリアで一休みも出来る。
マドリッドの中心地にプエルタ・デル・ソル(太陽門)という場所がある。実際には門は無く、広場になっている。東京の日本橋に該当するスペインの国道ゼロkm地点である。周辺には中世の時代には宗教裁判が開かれたマヨール広場やオペラハウス等観光スポットがある。
(マドリッドの中心のプエルタ・デル・ソル)
(プエルタ・デル・ソルのスペインの国道0km起点)
(プエルタ・デル・ソルからマヨール広場へ続く歩行者専用道)
(マヨール広場)
(マドリッドの街で見かけた往年のホンダCB750 走行距離は10万キロ近くだった)
10/11(水)マドリッド17日 南米ツーリングルートの計画とスペイン人の友人一家との夕食
南米の地図を睨めながらブエノスアイレス~イグアス~ブラジル~ウルグアイ~アルゼンチンパタゴニア~チリのサンティアゴまでのツーリングルートと宿泊予定地の目途を決める。
サンティアゴから先のボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア等の南米諸国は後に検討することにする。
ブエノスアイレス~サンティアゴまでのツーリングルートの距離は1万2千km以上となる。期間約2カ月強。計画通りにブラジルへ入国できるかどうかはブエノスアイレスでビザが取得できるかどうかにかかっている。
(南米全体の地図)
夜はアンダルシアのコルドバ出身のダニー一家と夕食だ。ダニーとは学生時代からの知り合いだ。
おっとりした性格でスペイン人らしくない。大の日本食好きであるためダニーが予約した日本食レストランで会うことにした。夜の9時に待ち合わせして、その後夕食だ。
ダニーの奥さんと長男も来た。約10年ぶりの再会だ。長男は15歳になっていた。4歳からバイオリンを習いだして今は音楽学校(コンセルバトリー)のプロ養成コースに籍を置き毎日演奏練習しているという。
10/12(木)マドリッド~ペドラサ(Pedraza)への日帰りドライブ 200km
マドリッドの北約100km地点のセゴビア県にペドラサ(Pedraza)という中世からタイムスリットしたような人口400人強の村がある。マドリッドに長年住む知人の案内で日帰りドライブをした。
ペドラザは旅行ガイドブックには掲載されていないので、外国人観光客と思われる人はめったに訪問しない。村は丘の上にあり、城壁で囲まれている。城壁で囲まれた村に入る唯一の道は車一台がやっと通れる城門だ。
(マドリッドからペドラサへ行く途中のブルゴス街道=A1)
(丘の上の城壁に囲まれた村がペドラサ)
(外部から村へ入る唯一の城門)
城門から中へはいると車一台がぎりぎり通れる石畳の道を進む。村はどこのスペインの町や都市と同じようにマヨール広場(中央広場)、教会を中心に形成され、その周りを民家が囲む。
(ペドラサのマヨール広場を囲む古い建物)
この村には他に城と刑務所(博物館)がある。中世の刑務所はどんなものか見学してみた。窃盗等の軽犯罪人は太陽がほどんど入らない3x3m四方の留置場に最大15人が一緒に閉じ込められたという。
(中世の刑務所)
殺人等の重犯罪者の扱いはひどかった。重罪人は建物地下牢へ数メートル上の穴から投げ込まれ死ぬまで出られなかったという。地下牢に投げ込まれた衝撃で、骨をおったり怪我をして逃亡ができなくなるようにしたという。
軽犯罪者用の留置場が地下牢の真上にあり、軽犯罪者の汚物が地下牢に流れる仕組みになっていたという。
重犯罪者は地下牢で汚物まみれとなり、メタンガスや投げ込まれた時の傷が化膿して死亡したという。中世らしい残酷な仕打ちだ。
昼食のためレストランを訪れた。村に10軒ほどあるレストランは村を訪れたスペイン人観光客で一杯だった。この村の名物料理は子羊の丸焼きだ。肉汁に浸り骨付肉が大皿に盛られて出てくる。
(名物の子羊の丸焼きの1/4が盛られる)
10/13(金)マドリッド19日目 バイク輸送業者で輸送貨物の書類受け取り
10/19にマドリッドからブエノスアイレスへ空輸されるバイクの書類(Airway Bill)を受け取る。マドリッド滞在中に今回も含め6回輸送業者を訪れているが、これが最後だ。
同社から紹介されたブエノスアイレス空港での通関業者への当方の問い合わせに対して、通関業者から的確な返答がない。
その旨を輸送業者へ苦言するが、運送業者はそれどころではない。別件で荷物を積み込むことになっている海運会社と電話越しで怒鳴りあっている。
両社間で約束した日程で荷物が運べなくなっているようだ。この国では物事が問題なくスムーズに進めば<よくやった>とほめてやるぐらいのことだ。当方は頭を切り替え、多少の問題には目をつぶることにした。
同輸送業者が当方に見せてくれた他業者が作成した船荷書類には多くのミスが朱色で訂正されていた。これでは物事がスムーズに進まないと輸送業者に同情したくなるほどであった。
家族が買い物をした付加価値税の払い戻し用の申請用紙を買い物をした百貨店で作成依頼した。百貨店の書類作成担当者はパソコンに入力する項目の見直し・確認を行わない。
当方が指摘しない限り間違ったままのデータで書類が手渡される。当方が書類掲載項目をチェックすると、国名やパスポート番号を間違えたりしている。
書類作成者が交代して3回目で間違えが無い書類が出来上がった。
(ゴヤ地区の百貨店)
(百貨店内の売り場)