天国へ届け 『8マン』『まぼろし探偵』 孤高なる天才漫画家 桑田二郎さん死去 | 20世紀漫画少年記

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 『8マン』『まぼろし探偵』で知られる漫画家の桑田二郎(旧PN・桑田次郎)さんが去る本年7月2日(木)に亡くなっていたことが、秋田書店の発表で分かった。享年85歳。死因は老衰だった。

 

 桑田さんは1935年4月17日生まれ。大阪府吹田市出身。幼少時は「少年倶楽部」(講談社)などの児童向け雑誌、『のらくろ』(田河水泡)『タンク・タンクロー』(坂本牙城)などの漫画を愛読していた。13歳の時に病気で失職した父親の代わりに家計を助けるため『奇怪星團』(青雅社)で貸本漫画デビュー。これはプロ漫画家として史上最年少のデビューであり、現在でもこの記録は破られていない。現代とは社会情勢が違うとはいえこれは驚愕に値する。

 

 1957年に『まぼろし探偵』(「少年画報」連載)、1958年、『月光仮面』(「少年倶楽部」連載)がテレビの特撮ドラマの人気と相まってヒット。一躍、人気漫画家となる。

 

 1963年より「週刊少年マガジン」で連載した平井和正氏原作による『8マン』が大ヒット。同作品は「週刊少年マガジン」創刊後の初の大ブレイク作品となった。テレビアニメ版は『鉄腕アトム』『鉄人28号』にも匹敵する国産テレビアニメの草分け的存在でこれもまた高視聴率を記録し大ヒット作品となった。

 

 だが1965年、拳銃の不法所持により桑田氏が銃刀法違反で逮捕されたため連載は打ち切りとなった。この拳銃の不法所持については当時は「桑田氏がガンマニアだったのでマニアとしての興味から購入していた」と言われていたが、現在では「若い頃から自殺願望があった桑田氏がいつでも自殺できるように拳銃を購入した」という説が定説になっている(桑田氏自身が生前、この件に関して語ることがなかったので真相は不明)。

 

 桑田氏の逮捕により急遽打ち切りとなった『8マン』の最終回は桑田氏のアシスタントだった楠高治氏と小畑しゅんじ氏が代筆した。『8マン』の最終回は単行本には収録されていないが、桑田氏が復帰後は「週刊少年マガジン」「別冊少年マガジン」において読みきりとして数回掲載された。余談ではあるがこの「幻の最終回」は1989年にリム出版から出版された『8マン 完全復刻版』により初めて収録された。ただし、この最終回は小説版を基に桑田氏が描き下ろした直筆によるもので、楠氏と小畑氏による代筆版は未収録であり、内容も代筆版とは異なる部分も多い。

 

 復帰後は『ウルトラセブン』のコミカライズ作品やパイロット版のみで終わった幻の特撮番組『豹マン』のコミカライズ作品を手がけたり、平井和正氏、梶原一騎氏、真樹日佐夫氏、史村翔氏、牛次郎氏の原作作品や自身による完全オリジナル作品を執筆した。

 

 そして1977年に42歳の厄年を機に少年漫画から身を引き、以降は般若心経や仏教経典を漫画化した作品や精神世界を題材にした作品を執筆していた。

 

 

 桑田氏のシャープで美しい描線と格調の高い画風は後進の漫画家にも多大な影響を与えた。当時から描線の美しさは手塚治虫氏と双璧と呼ばれ、病床の手塚氏にかわり『鉄腕アトム』の「アルプスの決闘」の後半部分を代筆したこともあった。手塚氏が他の漫画家に自作品の代筆をまかせたのは異例なことだった。それだけ桑田氏の画力を認めていたことの証左であろう。

 

 近年は月刊誌チャンピオンREDで連載中の「8マンVSサイボーグ009」で原作者の1人となっていた。老衰で亡くなるまで現役だった。漫画家としては大往生だったのかもしれない。桑田氏は最後の最後まで漫画家だった。

 

 桑田氏は『8マン』を含め、原作つき作品からオリジナル作品まで「心に影を潜めながら孤独に戦うヒーロー」を描くことが多かった。

 

 安易に作者とそのキャラクターを重ねるべきではないかもしれないが、波乱に満ちながらも漫画を執筆し続けていた桑田氏の漫画家人生は自身が描いてきたヒーローたちとどこか重なってしまう。

 

 謹んでご冥福をお祈りいたします。