天国へ届け 『浮浪雲』『銭ゲバ』『アシュラ』他、 「業」に挑み続けた男 ジョージ秋山さん逝く① | 20世紀漫画少年記

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 『浮浪雲』『銭ゲバ』『アシュラ』など数多くの話題作で知られる漫画家のジョージ秋山(本名・秋山勇二)さんが5月12日に死去していたことがわかった。享年77歳。死因は公表されていない。告別式は近親者で済ませた。

 

 ジョージ秋山さんは東京都日暮里生まれ。 父は在日朝鮮人の造花職人。 姉、兄、弟、妹それぞれ1人ずつの5人兄弟の次男として生れる。 大戦中に栃木県に疎開。 10歳のときに栃木県足利市転居。 子供の頃から漫画を描き出し、中学2年生で漫画本を自作したという。

 

 中学卒業後に上京。神田の貸本漫画の取次店、芳明堂に就職。 芳明堂に勤務しながら、取次として担当した若木書房に原稿を持ち込んだり、「ロボット三等兵」で知られる漫画家の前谷惟光氏へ日参し 漫画家を目指した。 芳明堂を退職後 、講談社へ持ち込みを続け、やがて編集者からの紹介で1年半ほど「丸出ダメ夫」で知られる漫画家の森田拳次さんのアシスタントを務める。

 

 「少年画報」1965年2月号に「トッピナ作戦」を掲載。この作品が商業誌デビューと思われる。翌1966年「別冊少年マガジン」にて「ガイコツくん」で初連載。この作品がヒットして翌1967年には「週刊少年マガジン」でほのぼのギャグ漫画「パットマンX」を連載。

 

 同作品は前作以上のヒットとなり、1968年の講談社児童まんが賞を受賞した。このヒットから以降は『ざんこくベビー』『コンピューたん』『ほらふきドンドン』 『デロリンマン』など多くのギャグ漫画を発表していった。

 

 だが1970年から一大転機を迎える。 それまでの作風からは想像もつかない描写で、人間の善悪やモラルを問うような作品を連続して発表した。3月から「週刊少年サンデー」で極度の貧困から殺人と悪事を繰り返しながら金と名誉を求める蒲郡風太郎が主人公の 「銭ゲバ」。 8月から「週刊少年マガジン」で平安時代末期、飢饉によって屍が累々と横たわり、人々が人を殺して人肉を貪り食らい地獄絵図のようになった世界を描いた「アシュラ」など問題作を発表した。

 特に「アシュラ」は第1話から、空腹に耐えかね、我が子を焼いて食おうとする母親の描写があり、これを掲載した1970年32号の『週刊少年マガジン』は神奈川県で有害図書指定され、未成年への販売を禁止。各自治体もそれに追随し社会問題にまで発展した。 

 作者の秋山氏にも取材が殺到し、氏は一躍時の人になった。これを受けて企画意図の釈明文が1970年34号で掲載され今後の主人公が宗教的世界に目覚め人生のよりどころを確立することが説明されていたが、結局、描かれないまま最終話をむかえた( しかし「週刊少年ジャンプ」1981年26号に読み切りで完結編が掲載されその結末では実現している)。  

 

 翌1971年「週刊少年サンデー」11号の『週刊少年サンデー』にて『告白』を連載開始した。自分が混血児で人を殺した過去があるという告白を掲載した。翌週には先週の告白は嘘であると書くという行為を繰り返して虚実ない交ぜの過去をつづった後に、数多く持っていた連載を全て終了させ、一時引退を宣言。6月より日本一周の放浪の旅に出る。

 

 3ヶ月後、「週刊少年ジャンプ1971年34号の『ばらの坂道』で復帰。以後は青年誌にも活動の場を広げ、

 73年からは青年漫画誌「ビッグコミックオリジナル」で幕末の品川宿を舞台に、風習や物事に一切囚われず飄々と生きる男を描く「浮浪雲」の連載を開始。同作は一躍ヒットとなり、 第24回(昭和53年度) 小学館漫画賞青年一般部門を受賞した。1978年(テレビ朝日・渡哲也主演)と1990年(TBS・ビートたけし主演)に2度TVドラマになり、1982年には劇場用アニメとなった。同作品は「ビッグコミックオリジナル」の看板作品となり2017年まで44年続く長期連載となった。

 

 また 「浮浪雲」連載中にも他社で多くの連載・読み切りを発表。

 

 

 

 「週刊少年チャンピオン」 では1974年から1979年まで「花のよたろう」(当初のタイトルは「よたろう」)を連載。当初はギャグ漫画としてはじまったが、ちょっとおバカだけど正義感が強く、友情に熱い主人公よたろう君の人情ドラマ路線となった。 単行本も全15巻と当時の少年誌としては長期連載となり、 2009年「週刊少年チャンピオン40周年特別企画・ 『創刊40周年記念名作読切シリーズ』 」では新作読み切りも発表された。

 

 

 

 「週刊漫画ゴラク」では1980年から1984年まで「ピンクのカーテン」を連載。「愛と性」をテーマに、三組の男女の性を描いた同作品は成人向けとして大ヒットとなった。1982年7月、同年10月、1983年に日活ロマンポルノ作品として美保純主演で映画化(余談ではあるが美保純さんはこの映画でブルーリボン新人賞を獲得し、この作品が出世作となった)。1987年にVIP社からOVA化。当時の人気AV女優の小林ひとみが主人公の声優と主題歌を歌い話題となった。1991年、1992年にはジャパンホームビデオ社から「新・ピンクのカーテン」のタイトルで安原麗子主演でオリジナルビデオ作品としてリメイクされる。 2009年には エルトポ社から現人気タレントで当時人気AV女優の蒼井そら主演でアダルトビデオ化された。

 

「週刊アクション」では1985年から1992年まで「恋子の毎日」を連載。若手ながら有望株のヤクザのサブとハワイ育ちで天真爛漫な同棲相手の恋子の日常を描いた同作品は1986年、1988年にTBSでドラマ化し、1988年に東映で映画化。1989年、1990年にOVA化するヒット作となった。

 

 漫画家としては間違いなく成功者の部類に入るであろう。

 

 しかし、そうした数々の成功の一方で、 第二次世界大戦の頃のヨーロッパをモデルに擬人化された動物たちが繰り広げる残酷な物語を描いた「ラブリン・モンロー」 弘法大師の生涯を描いた「弘法大師空海」 聖書を漫画化した漫画版「聖書」など、数々の問題作も発表し続けていた。

 

 なぜ秋山氏はこれだけの成功をおさめながら問題作に挑み続けていたのか。

 

 思えば1970年の「アシュラ」「銭ゲバ」騒動からそうだった。秋山氏は「パットマンX」で1968年の講談社児童まんが賞を受賞し、既にギャグ漫画家として地位を確立していた。

 

 にも関わらず秋山氏はそれまでの作風とは真逆の、そしてギャグ漫画家としての成功をかなぐり捨ててまで、「アシュラ」「銭ゲバ」という人間の善悪とモラルを問う問題作に挑んだ。

 

 特に「アシュラ」は人肉食描写が問題となり、同作品は有害図書指定され、社会問題にまで発展。秋山氏は当時5本あった連載を中断。「本当のマンガをさがしに放浪の旅に出ます」と引退宣言まで行った(2ヶ月後に復帰)。

 

 普通、ここまでの経験をすれば作家生命を断たれるのを恐れ、その後は自主規制したり、問題化しないように無難な路線に行くものだ。

 

 だが秋山氏は復帰後も「浮浪雲」が大ヒットしながら、それでも問題作に挑み続けた。

 

 なぜ、そこまでして問題作に挑み続けたのか。

 

 再び作家生命が断たれかねないというのに。

 

 私はそこに漫画家・ジョージ秋山氏の真実の姿があったように思えてならない。

 

 (この項 続きます)