ふぅ、明日の講義の資料や、教材を用意していたらこんな時間です。
数日前に、そろそろ規則正しい生活に切り替えないとと、就寝時間の設定をしたのですが、
早速ヤヴァイです。
これも、すべて自分の時間の使い方が「悪い」のが原因。
まだまだアマちゃんです
さて、最近ある会社の案件で、それについて取り組んでいる中で、よく聴く言葉がある。
というか、その会社ではこの言葉が、ある種「常識」となっている傾向があり、前から
気になっていたのだが。
それは、自分の役割の仕事に対して
「時間が無かった」「バタバタして忙しかった」
決まり文句のように耳にする。
いっつも思うのですが、この言葉は、全うな「理由」ではなくて、
自分の能力の無さをモロにあらわした単なる「イイワケ」です。
ま、その案件の重要度、立て込んでいるときのほかの仕事の優先順位、ホンマに分刻みのスケで
ちょこっとも時間が取れなかったのであれば、「理由」になり得ますが、
はっきり言って、時間が無いなんてことは無い。
今この瞬間だって時間はあるし、持ち帰ればナンボでもこなせる。
ん?普通の一般職の人間が、持ち帰るような形で時間外で仕事はしたくない?
じゃ、がんばって勤務時間内で仕事の切がつくようにやるだけでしょ。
てか、そこのスタッフより、ホンマに分刻みであちこち飛び回っている人はゴマンといる
しかし、そのほとんどの方は、上手な時間の利用、効率の良い仕事運びで何の問題も無くこなす。
だれも、ホンマに時間の無いスタッフをいじめるつもりで、ねじ込ませることまではしない。
ホンの数十分程度のことであれば、トイレに行く回数をヘスだけでも捻出できるはずだ。
しかし、そこでは時間が無い、忙しいといえば、全うな理由としてまかり通るような土壌があるようだ。
その言葉を聴くたびに、ちょっと情けなくなる
何を面と向かって自分の能力の限界を発表しているのだろうか。
そこまで言えば、
そこまで言われる筋合いは無い、そんなに無理しなくてもいいじゃないか
といわれるかもしれないが、
間違ってはいけない、これは部活でも、何かの活動ではない。
仕事だ。
その対価として、毎月のサラリーがある。
そんなはっきりと自分の役割を否定できるのなら、それなりの覚悟が必要だし、
満足なサラリーを得たければ、それに見合った価値を提供しないといけない。
そーんなことを、とっても実感、自覚した。
そして、自分にも問いかけた。
自分もそういう人間になっていないか?
忙しさという間違った理由で正当化していないか?
反面教師。
さぁ、明日もがんばろう。