
【出演】
佐藤浩市、妻夫木聡、深津絵里、綾瀬はるか、西田敏行、小日向文世、中井貴一、天海祐希、山本耕史、谷原章介、鈴木京香、寺脇康文、堀部圭亮、唐沢寿明、市川崑、梶原善、阿南健治、榎木兵衛、近藤芳正、戸田恵子、伊吹吾郎、香川照之、寺島進、甲本雅裕、浅野和之、小野武彦、市川亀治郎、香取慎吾
【監督・脚本】
三谷幸喜
“最後に笑うのは誰だ?”

街を牛耳るマフィア‘天塩商会’のボスの愛人・マリに手を出してしまった手下の備後登は、命を助けてもらう代償に、伝説の殺し屋・デラ富樫を探し出すことを約束してしまう。

だが期日が迫っても、デラは見つからない。
窮地に陥った備後が取った苦肉の策は……無名の俳優を雇い、殺し屋に仕立てあげることだった!

かくして三流役者・村田大樹は、二つの組織がしのぎを削る、その港町・守加護へとやって来る。

すべてを映画の撮影と思い込み、幻の殺し屋になりきって……。

相手が本物のギャングとは知らずにデラ富樫を熱演する村田。

村田と天塩商会に嘘がばれないよう四苦八苦する備後。
村田をデラ富樫と信じる天塩商会の面々。

それぞれの思いやすれ違いが行き交う中、次々と予期せぬ展開が待ち受けるのだった!

知らず知らずのうちに抗争に巻き込まれる売れない俳優と、映画監督のフリをして彼を操ろうとするしがないギャングの友情感動爆笑ストーリー。

主人公の‘だまされる男’村田大樹は、売れない三流役者。
その脂っこい演技でなかなか大役を手にすることができず、スタントやエキストラの仕事ぐらいしかもらえないが、裏方スタッフとは仲良し。
映画監督に成りすました備後の口車に乗らされ、偽の映画でデラ富樫役として初主演を務めることとなり、映画のセットのような不思議な街、守加護にやってくる。
得意の暑苦しい演技で、それが演技とは知らない天塩幸之助に気に入られて天塩ファミリーの一員になるが……街で起こることはすべて映画の撮影だと思い込んでいる。
何ともお茶目でオバカな愛すべき男なのだ!
そして口から出るのはデマカセばかり、その場しのぎの小狡い‘だます男’の備後、暗黒街の顔役の天塩、この3人の男を翻弄するファム・ファタール=魔性の女のマリ。
他に備後のことを秘かに慕い、彼を守るために想像を絶する行動に出るクラブ従業員・夏子や、偽カメラマンとして奮闘する「撤収!」が決まり文句の鹿間など、濃いキャラが集結!
三谷作品らしいスッ惚けた展開と台詞の連続ですが、一番笑ったのは村田が天塩のアジトを初めて訪れるシーン。
本人は映画の撮影だと信じ、殺し屋の役に成り切っており……テーブルの上に置いてあったナイフをペロリと舐めて~~
「俺がデラ富樫だ。俺に何の用だ?」
ところが展開が危なっかしくなってくると備後は慌てて村田を外に連れだしダメだし。
撮り直しだと思った村田は、またもやナイフを舐めて、
「俺がデラ富樫だ。俺に何の用だ?」
これを何回も繰り返すくだりは大爆笑ものです。
しかもその度に、ナイフの舐め方を変えてくる念の入れよう(笑)。
嘘の世界の嘘の話で巻き起こるドタバタ劇。
いつその嘘がばれるのかとヒヤヒヤしとしまうスリリングさと、互いの勘違いから巻き起きる絶妙なやり取り。
凝った脚本に演出、そして随所に散りばめられた伏線が、最後にひとつにまとまった時のる爽快感。
お見事です、三谷監督。
クライマックスは、村田と本物のデラ富樫との対決!
ホテルの滞在客の温厚な老紳士……実はその正体はデラ富樫だったのだ。
大ピンチの村田に‘ある仕掛け’で協力するは、映画スタッフ陣だ。
『スティング』を思わせるかのような(?)大どんでん返しの痛快劇!
映画の裏方の助力によって、三流役者の村田が魅せる一世一代の名演技。
そして……鹿間の例の決め台詞「撤収!」で、物語の幕は閉じる。
また各シーンに見られる数々の映画へのオマージュも面白く(あれだこれだと探すのも楽しい)舞台となっている架空の港町は、『カサブランカ』風でもあり、往年の日活の無国籍映画シリーズ風でもある。
それから2008年に亡くなった巨匠・市川崑監督が監督役(本人役?)で出演しているのも見逃せない。
エンディングでは‘市川崑監督の思い出に’とのスーパーも表記されます。
また三谷作品の特徴として、他作品の登場人物がカメオ出演する遊び心も嬉しい。
この作品では『THE 有頂天ホテル』の只野(香取慎吾)がワンシーンだけ登場し、ギターの弾き語りを披露。
その『有頂天~』には『みんなのいえ』の飯島夫妻(田中直樹、八木亜希子)が、チラッと出演。
そして今作の主役である村田は『ステキな金縛り』に登場し、三流役者ぶりを見せ付ける(笑)。
(そういえば『有頂天~』のコールガール・篠原涼子も、同じようなキャラで出てましたね)
ちなみにタイトルの『マジックアワー』の意味は、「日没後の太陽は沈み切っていながら、まだ辺りが残光に照らされているほんのわずかな、しかし最も美しい時間帯」を指す写真・映画用語。
転じてこの作品では「誰にでもある‘人生で最も輝く瞬間’」を意味しているそうです。