『幕末太陽傳』 | エルドラド 「時をかける言魂」 『時かけ』と仲里依紗に魅せられて

エルドラド 「時をかける言魂」 『時かけ』と仲里依紗に魅せられて

ただの戯れ言?!またはエッセイのようなもの。
そしてボクは時をかける。

『幕末太陽傳』


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【出演】
フランキー堺、左幸子、南田洋子、石原裕次郎、金子信雄、山岡久乃、岡田真澄、青木富夫、小沢昭一、芦川いづみ、菅井きん、西村晃、熊倉一雄、殿山泰司、榎木兵衛、二谷英明、小林旭、関弘美、加藤武


【監督】
川島雄三




“銭がなくとも、その身ひとつで時代を駆ける!”




文久2年11月下旬。明治維新まであと6年という幕末の混沌たる時代に世情もひとしお暗い頃。

ここ品川宿の飯売旅籠の町並だけは、弦歌嬌声に賑わっていた。

その旅籠の一軒・相模屋の表で異人と争った3人の青年がいた。
これは長州藩士の志道聞多、大和弥八郎、伊藤春輔といった志士たちだったが、その時に彼らの落とした外国時計を拾い、ニヤリとして相模屋へ入った町人があった。
この男、佐平次といって、仲間3人を連れてのお遊びだった。


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相模屋には、こはるという売れっ子の女郎がいた。
こはるの部屋には、高杉晋作をはじめ、志道ら3人が入り浸り、御殿山英国公使館焼打ちの謀議を凝らしていたが、楼主の伝兵衛や妻のお辰は、彼らの積もる勘定に手を焼いていた。


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一方、佐平次はといえば、口八丁手八丁で早くも美女を侍らせて上機嫌。
ところがこの男、懐中無一文で、混血児の若衆・喜助の持ってきた勘定書にも、ああだこうだと御託を並べた挙句、追い帰してしまうのだから大変な奴。

かくして佐平次の‘居残り’が始まった。


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荒神様の祭の前日は、晴着だ草履だと女たちは金策に四苦八苦。

おそめはまったく客がつかず暇を持て余しており、毎晩荒稼ぎに繁盛するこはるが怨めしくてならず、「いっそ誰かと心中し浮名流して世を去ろう」と貸本屋の金造を騙し、桟橋から海へザブン……が、飛び込んだのは金造だけ。
後を追うはずのおそめは、顧客の梵全坊主が来たとの知らせに、死ぬのをやめて引き返したというのは、死んだ(?)金造には全く浮かばれない話。


さて、この相模屋に徳三郎という道楽息子がいた。
この日も長い放蕩から朝帰りして親爺に勘当だと怒られても馬耳東風。
しかも「遊びと恋は別もの」と女中おひさにのぼせているとは誠に勝手な男である。


明けて荒神様の祭。
佐平次は依然として居すわり、勘定に来る喜助を泣かせていた。

伝兵衛これを知って「喜助にゃ給金はやれん」と怒り心頭。

そこへ佐平次がやって来て伝兵衛に、
「それ、お肩を、それ、算盤を」
とちょっかいを出す。
挙句の果てに、行燈部屋に籠城となってしまった。


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ところがこの男、黙って引っ込む代物ではない。
いつの間にやら玄関へ飛び出して番頭まがいの仕事を始めてしまったのだが……その要領のいいこと。

例の拾った時計を修繕して高杉に届け、これを勘定のカタにと預かって来て帳場へ出したり。


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一方で、倉造、清七という親子が同じこはるが目当てで通い続けたのがばれて、親子喧嘩となると……これもまんまとうまくまとめるといった具合。

しかもその度に、ご祝儀を頂戴して懐を温めるというのだから、番頭仲間がひがんだり、ぼやいたりするのも無理のないこと。


こうして図々しい居残りが数日続くうちに、仕立物まで上手にこなす佐平次の器用さは、遂にこはるを惚れさせてしまった。


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そんなある時、死んだはずの金造がやって来たのだった。
おそめがぶるぶる震えだしたのは当たり前。
ところがこれが本物のお化け(?)だというのだから二度びっくり。
実は、心中の遺恨晴らしに仲間に棺桶をかつがせて嫌がらせに来ただけだったのだが、これも佐平次が見事に見破り撃退してしまったから、今度はおそめが感激し……佐平次は、こはる、おそめの二人から口説かれるということになった。


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ところが佐平次は、こんな二人には目もくれずに大奮闘!

「あっしはね、胸を患ってから女絶ちしてやすから」


その頃……徳三郎は、おひさの父・大工の長兵衛が金に窮して、おひさを女郎にしようという話を聞いて憤慨し、賭けで儲けておひさを引き取ろうとして大穴をあけ、これが親爺にばれて座敷牢へ閉じ込められてしまっていた。

おひさは、
「女郎になるくらいなら、徳三郎さんの妻になる方がまだまし」
と結婚を決意し、その橋渡しを佐平次に頼む。
佐平次は、これを手数料十両で引き受けたというのだからどこまでちゃっかりしたものやら。


この夜、高杉らは焼玉の実験に成功した。

明けて12月12日。高杉らが公使館焼打ち是非の大論争をしているところに佐平次が入って来て、炭もろとも焼玉を炭取に始末し出した。

「こら!手を出すな!」


高杉らの狼狽は大変なもので、「あいつクサい、斬ろう!」ということになった。


一方御内所では、例の勘定のカタの時計がたったの十五両と判り、侍ども追い出しとなったが、この役も佐平次が買って出た。

ここでまた一策を弄し、長州藩江戸詰見廻役鬼島の前で、侍どもに恥を忍んで大芝居を打たせ、百両せしめて、御内所へ回したから伝兵衛はほくほく、佐平次は一挙に名誉挽回してしまった。

「首が飛んでも動いてみせまさぁ」


橋渡しを頼まれたおひさ、徳三郎の一件は、おひさが座敷牢を破るのを伝兵衛に見つかるように仕組み、結局おひさも牢に入れられて、一応めでたしめでたし。

その上、佐平次は長兵衛が御殿山工事場へ出入りしているのを利用して長兵衛に異人館地図を作らせ、「これを持ってくればおひさを救い出してやる」と持ちかけた。
そして地図は高杉らに渡し、焼打ちの舟に徳三郎、おひさを便乗させて駆け落ちさせるというあっぱれな名案を編みだし、これが図にあたったのだから、高杉らは狂喜乱舞。長兵衛もおひさも涙を流して喜ぶ。
何とも才たけた男である。


その夜のこと。こはるとおそめは今夜こそ佐平次に言い寄ろうと色をなしてしのぎを削っていたが、その時御殿山に火が上がった。

この事件の隙に、佐平次は御曹司駆け落ちの責めを感じ、ここらが退け時と旅支度を始めた。
そこへ、こはるとおそめが侵入して来て、佐平次の奪い合いに。

佐平次が困り抜いているところへ、喜助が飛び込んで来て、こはるの客、杢兵衛大尽が、こはるがいないと騒いで眠らないから取りなしてくれと拝みだした。
佐平次は渡りに舟と行ってみると、なるほど大変なもの。
そこで佐平次は、こはるは急死したとごまかしてその場を繕い、翌朝早く旅支度をして表へ出てみると、なんと杢兵衛がいる。

「こはるの墓へ案内しろ」

ちょっと手こずったが、そこは佐平次、近くの墓地でいい加減な石塔い加減な石塔を指し、
「これがこはるの墓で……」

杢兵衛は喜んで拝んだが、ふと頭をあげてみるとこれが子どもの戒名。

ことここに至ってとちるのは佐平次の面目にかかわると、真っ赤になって怒る杢兵衛を尻目に……。

「墓石を偽るとは、地獄に落ちねばなんねえぞ!」
「けっ、地獄も極楽もあるもんけえ。俺はまだまだ生きるんでえ!」

荷物を担いで東海道の松並木を韋駄天のごとく走り去っていく佐平次であった……。




落語『居残り佐平次』から主人公を拝借し、『品川心中』『三枚起請』『お見立て』などを随所に散りばめ、その落語的世界を幕末の志士たちが駆け抜ける時代劇コメディ。


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冒頭で、舞台となる相模屋の撮影当時(1957年)の姿である‘さがみホテル’が登場し、「北品川カフェー街と呼ばれる16軒の特飲街」と紹介される。

この場所は赤線地帯で、撮影当時は売春防止法成立直前であり、カメラは滅びつつある風景を映した後に……まだ女郎屋が繁栄していた時代の風景へと遡っていき、物語は始まる。
時代劇としては、ユニークで斬新な導入部だ。


映画の途中から、佐平次は結核を暗示する咳をやたらと繰り返し、徐々に体調が悪化していくようにも映るが、持ち前の明るさとバイタリティで数々のトラブルを解決しての八面六臂の大活躍!


ラストで、顔色が悪く尋常ではない咳をする佐平次。
一杯食わされた杢兵衛が「体調不良は天罰だ!地獄に落ちるぞ」と罵られると……「地獄も極楽もあるもんけえ。俺はまだまだ生きるんでえ」
こう捨て台詞を吐き、海沿いの道をどこまでも走って逃げていく。


「さよならだけが人生だ」
この言葉を座右の銘にしていた破滅型の川島監督らしいエンディングであり、佐平次は川島監督の分身だと解釈できるシーンでもあり、去り行くその後ろ姿が悲哀を誘う。


川島監督は当初、佐平次がセットを飛び出して、現代の品川の町を走り抜けていく……そんなラストシーンにする予定だったらしい。
ところがこれがあまりにも斬新すぎると会社、スタッフ、はたまたキャストまでが猛反対し、結局は幻に終わったという。



面白い!とにかく面白い!文句なしに面白い!大大大傑作!

テンポが抜群によく、シニカルなユーモア、エネルギッシュな登場人物など痛快&爽快。
笑いあり涙ありの江戸の粋な心に、生きることの喜びを感じさせ、元気と知恵、そして喝を入れてくれる珠玉の時代劇。


今から54年も前の映画だというのに、全く色褪せていない。
さすが、日本映画史上に残る名作である。

ただ古い作品なので、オリジナルネガの状態が悪いようで、全編にわたり傷が目立ち画質はイマイチ。
それと当時の録音技術のせいか、台詞が良く聴き取れない箇所もちらほらある。(黒澤作品などでもたまにありますが)

しかし日活百周年を記念して「デジタル修復版」として蘇り、今月の23日から装いも新たにリバイバル公開されます。(画質も見違えるように綺麗になっていることでしょう)



50年代を代表する日活オールスターキャストが総出演。

その超豪華メンバーを脇に置いての主演、フランキー堺が素晴らしい。

軽妙な台詞回しに軽快な動き、底抜けの明るさの中に潜む肺病患いという一抹の暗い陰を抱えていて、時おり見せる不安げな表情。
まさに名演技!そして何よりも‘粋’!

フランキー演じる佐平次のキャラクターは、『ハラがコレなんで』の光子みたいな感じ。
まさに「粋だね~」なのです。



当時まだ23歳の石原裕次郎が超カッコよく、太陽族のイメージを時代劇に引きずってきている。
時おり豪快に笑う際の笑顔と八重歯が凄くチャーミング。


そしてガリガリに痩せていてバタ臭い顔をした若者は誰かと思ったら、岡田真澄だった。(当時22歳)


幼い雰囲気の若侍も最初は誰だか全く分からずも……よく見たら小林旭。
こちらはなんと19歳。

当たり前ながら3人とも若い!
でも演技は……まだまだキャリア不足の頃とあって大根役者ぶり全開ですあせるあせる
ただスターのオーラを出しまくっていて、大物感が漂っているあたりはさすがだ。


女優陣では芦川いづみが、ビックリするくらい可愛いくて可憐そのもの。

南田洋子と左幸子も、社会の底辺で逞しく生きる女郎を好演。