
粋に生きることをモットーとする妊婦の光子が、自分のことはさておき、他人のために奔走する姿と、その彼女を取り巻く人々の悲喜こもごもを描いた人情コメディ。

‘粋’と‘義理人情’を何よりも大切にする24歳の妊婦・原光子。
八方ふさがりの自分の状況なんかそっちのけで、泰然自若にドーンと構え、他人の幸せばかりを考えている。
そんなヒロイン像は、先行き不安で落ち込んでいる今の日本を元気づける……理想の‘ヒーロー’像!?
他人のために泣き、他人のために笑い、他人のために奮闘する光子。
決まり文句は、
「OK!」
「昼寝しよ!気楽に待てば、きっといい風が吹くから」
「ドーンと行こう!」
何の根拠もない勢いだけの言葉なのに、なぜだか妙な説得力があるから不思議。
光子の判断基準は「粋か、粋でないか」と単純そのもの。
義理人情を解し、細かいことは気にせず、ひたすら真っ直ぐ突っ走るのだ。
石井作品の主人公の共通点は~『君と歩こう』の女教師、『川の底からこんにちは』のOL、『あぜ道のダンディ』のオヤジと、世間からはちょっと(かなり?)ズレている変な人格ばかりで、超ポジティブシンキングな人物。
自分は正しいことをしていると信じ込み、よかれと思って行動に移すも……やることなすことタガが微妙にハズれているため、その度に周りの人たちは右往左往。
しかし、その‘勘違い思い込みパワー’と‘異常なほどのポジティブ’さで、いつしか周りの人たちに元気とやる気、小さな幸せをもたらしてゆくと同時に、観客にも元気と勇気を与えてくれる。
『ハラコレ』の主人公・光子も(主人公らしからぬ平凡な名前というあたりも逆にいい)同様のキャラ。
超ポジティブシンキングで、常に周りの人たちを引っ張ってゆく。
すべての判断基準は「粋か、粋でないか」と分かりやすいし、義理人情にあついのもそういった生き方が粋だと思っているから。(ある意味、勘違い?)
では、なぜ光子は‘粋な生き方’に、あれほど執着するのか?
その理由は、合間合間に光子の子供時代の回想シーンが挿入され、その生い立ちと彼女の一風変わった人格が形成されていく過程を描くことにより、明らかにされています。
光子は何か問題が起こると「OK!一旦、昼寝しよ。風向きが変わったらそん時ドーンと行けばいいんだから」と、こればかりで、昼寝して少し経つとその通りに流れが変わって揉め事もいい方向に進み……と基本的にこのエピソードの繰り返し。
だが観ているうちに飽きるどころか、‘くるぞ、くるぞ、そろそろあの台詞がくるぞ!’とワクワクしながら待ち望み、光子が「OK!~~」と言った瞬間に‘出たーー!’と何とも言えないカタルシスすら感じてしまう。
自分自身を犠牲にしてでも他人を助けるなんて生き方は、現代の人間が忘れているものであり、その光子の‘粋’に触れて慕うようになった人たちが長屋に引っ越してきて、錆びれていた長屋に昔の活気も戻ってくる。
このくだりは、お伽話のようであり、または落語の人情噺の舞台のようでもある。
引っ越して来たお隣りさんの部屋に勝手に上がり込んで、お近づきの印にタクアンをお裾分けしようとしたり、脚が悪くて寝たきりの清を「大丈夫だから!」と無理矢理に立たせようとしたり、食堂のお客が増えても光子が「OK!驕り!」ばっかりだから、結局は売上は以前と変わらないなど……光子の強引すぎるくらいの人情の押し付けは下手すると傲慢に映らなくもないのだが、光子のキャラがとても魅力的なので、それは全く気にならないし、観ている側は「全然OK!」と受け入れることができるでしょう。
ラストも興味深い。
「福島へ行こう!」
と陣痛に耐えながら光子が運転する車で福島へと向かう一向。
が、福島に着いて間もなく光子の陣痛がピークに達し……広い高原のど真ん中で、みんなが見守る中での出産となる。
(映画は、子供が生まれる直前の光子のアップで幕を閉じるのだが)
福島で(ただ実際のロケ地は富士山の麓あたりらしい)まさにいま子供が生まれようとしているその時、光子は言う。
「何があってもあんたを守るからね」
この映画がクランクアップした約一ヶ月後に、あの東日本大震災が起こり、福島も甚大な被害に遭った……ということを考えると、もちろんこれは偶然ではあるのだけれど、このラストシーンは非常に強くて重い意味をもってくる!
(その前の陽一と次郎との深い絆を描いたシーンも含めて)
ラストの舞台・福島で、明るい未来を感じさせる爽やかなハッピーエンドとなるのは、予期していなかったとはいえ、とても象徴的で忘れられないシーンとなった。
主人公の光子を演じる仲里依紗は、抜群の存在感と演技力で、完全に光子に成り切っている。(カメレオン女優の面目躍如!)

石井監督の独特の世界観を真正面からドーンと受け止めての熱演。
髪の毛を後ろで無造作に縛り(前髪パッツンが可愛い)化粧っ気もなし、野暮ったい妊婦服でドタドタと不格好なガニ股歩き。
笑顔はほとんど見せず、ずっと眉間にシワを寄せたかのような仏頂面。
この光子のキャラがとにかく文句なしに面白く、且つ愛らしい。
かなり難しい役柄を仲さんは完璧に演じきっています。
特筆すべきは表情の素晴らしさ。
冒頭でテレビを見ている時のメチャ真剣な表情から、ラストの出産シーンで顔を真っ赤にして息む渾身の表情まで、全編に渡って魅せに魅せる!
それからちょっとした仕草も秀逸。
隣人の部屋の前にタクアンを置いて立ち去る前にタッパーを指で‘トントン’とするとことか、リストラ男の座るベンチに小銭を置いてこれまた指で‘トントン’。
何てことない仕草なんだけど、これが妙に可笑しい。
『時かけ』では足の指の演技が見事だった仲さん、今作では手の指の演技がお見事(笑)。
あと映画を観終えた後も、ずっと耳から離れない……
「OK!」
真似したくてもできないくらい独特な言い方なんですよね~この「OK!」が(笑)。
仲さんには、メジャー系作品に助演で出るよりも、『ハラコレ』みたいな小規模な作品でもいいから、これからも主演作中心でいってもらいたいですね。
仲さんの天才的演技力をじっくり堪能するには、やっぱ主演じゃないと~。
主演でこそ一番ドーンと輝く女優です、仲さんは!OK!
光子を取り巻く長屋の住人たちを演じる役者陣も好演。
ずっと光子に想いを寄せていた陽一役の中村蒼。
『行け!男子高校演劇部』のハジケまくりの演技から一転、朴訥とした雰囲気の青年を飄々と演じていました。
石橋凌は、これまでの役柄のイメージを180度覆し、どこにでもいるようなフツーのオッサン・次郎役。
喫茶店のママになかなか告白出来ずウジウジグダグダする様は、本当にじれったい(笑)。
でも、甥っ子の陽一を実の子供のように可愛がっていて(陽一を育てるために独身を貫いている)母親的存在の清を慕い、親身に面倒をみているというメチャメチャ‘いい人’なのです。
次郎の心からの叫び……「ママ!ママ!ママー!」を心して聞け!
それから‘石橋凌ファン’として衝撃的だったのが、光子が次郎の頭をおもいっきりパシンと叩くシーンだ!
いくら演技とはいえ、あの凌さんの頭を何の躊躇もなく叩くとは……仲さん、恐れを知らなすぎる(笑)。
でもこのシーンは大爆笑ものです。
また、凌さんにとってこの作品は新境地を開く記念すべき一本となった?
なぜなら、これまで多数の映画に出演してきた凌さんですが……なんとコメディ映画初出演なのだ。
かつてはヤクザ、現在は逆に刑事や判事などのシリアスな役ばかりだった凌さんが、55歳にして初めて演じたコミカルチックな役。これが見事にハマっていた。
これを機に、コメディにもどんどん挑戦してもらいたい。
あと忘れてならないのが、助演女優賞もののインパクトを残した清役の稲川実代子。
『川底』でのおばちゃん役も強烈でしたが、今回は出番も増えて目立ちに目立っています。
口は悪いし無愛想そのものだけど、人情味あふれる清。
「あたしはね、夫が死んでからこの歳まで‘いやらしいこと’は、全然してないんだよ!」
は、名台詞だ(笑)。
あと石井作品には欠かせない森岡龍と目黒真希が、出演しているのも(ワンシーンのみだが)嬉しい。
ちなみに、仲さん(長崎)、凌さん&蒼君(福岡)、斉藤慶子(宮崎)と、主要キャストはなぜか九州出身者で固められてるんですね~~ま、偶然なんだろうけど(笑)。
ところで、映画を観終えてからふとこう思った……光子はまるで‘女版・寅さん’じゃないか!
ふらりと故郷に帰ってきて、おいちゃんとおばちゃん、心優しき妹に迎えられ(この場合は、次郎と清、さくら的存在なのが陽一ですね)こうと決めたら一直線、よかれと思って周りの人間のために一肌脱ぐも、結局は振り回す形となり迷惑のかけっぱなし。
いい加減な性格で浮き世離れしてもいるけれど、でもどこか憎めず、みんなから慕われ愛されてもいる。
生きるのは不器用ながら義理と人情に熱く、粋な名言の連発……これはまさに‘寅さん的世界’だと、感じてしまったのです。(寅さんフリークの自分には、完璧ツボの世界)
寅さんお得意の口上の如く、光子の口からポンポン飛び出る数々の名言は、心に刻み込まれるでしょう。
ただ観る前の期待が高すぎてハードルを目一杯上げてしまい……『川の底からこんにちは』『あぜ道のダンディ』と比べると、ちょっと落ちるかなぁという感も無きにしもあらず。
いや、前2作と(特に『川底』と)比較さえしなければ、十分に面白い内容なんです!
ネットのレビューを見ても賛否両論に分かれてましたが、やはり『川底』と比べると……という書き込みが目立った。
もちろん、比べること自体がナンセンスではあるのだけれど……でも、どうしてもね


『川底』があまりにも凄い作品だったから、あれを越えるのは石井監督でも並大抵ではいかないのだろうなぁ……。