
【出演】
小林聡美、市川実日子、加瀬亮、光石研、もたいまさこ、薬師丸ひろ子
【監督・脚本】
荻上直子
‘梅干しは、その日の難逃れ’
春まだ浅い頃……この世界のどこかにある南の海辺の小さな町に、不思議な予感が漂う。
「……来た」
「……来た」
プロペラ機のタラップを降り、小さなバッグ1つを手に真っすぐに浜を歩いてくる、めがねをかけたひとりの女。
待ち受ける男と女に向かい、彼女は深々と一礼する。
静かな波が寄せては返す。
時を同じくして、もうひとりの女が空港に降り立った。名前はタエコ。

大きなトランクを引きずりつつ、たよりない手描きの地図を片手に浜を歩き、奇妙な懐かしさをたたえた小さな宿・‘ハマダ’に辿り着く。
出迎えたのは、飾りけのない宿の主人・ユージと犬のコージ。
早速、部屋に案内され、
「こっちが海で、こっちが町。それだけ覚えておけば大丈夫です」
「はあ……あの……宿の看板、小さすぎて目立たないですね」
「あまりお客さんを増やしたくないんで」
「そうなんですか」
「あなたは3年ぶりの春先の客です。迷わずに来た客も3年ぶりです。才能ありますよ」
「才能?」
「ここにいる才能」
次の日、宿の一室で朝を迎えたタエコの足元に、微笑みを浮かべたサクラの姿があった。
「おはようございます、朝です」
「何?」
「今日もいい天気ですよ」
「…………」
それから起こるのは、いちいち不思議なことばかりだった。
毎朝、浜辺で行われる不可思議な‘メルシー体操’。

「一緒にやりませんか?」
「私は結構です」
宿周辺でブラブラしている高校教師・ハルナ。
「あ、また遅刻しちゃう」
人々に笑顔でかき氷をふるまうサクラ。
「氷、ありますよ」
そして……観光したいと告げるタエコに、
「観光するところなんて、ありませんよ」
「え?じゃあ、何をするんですか?」
「うーん……たそがれる」
「たそがれ……ですか?」
「たそがれないのに、一体何をしにここに来たんですか?」
「……無理」
周囲のマイペースさに耐えきれなくなった彼女は、ハマダを出てもう一軒の宿・マリン・パレスへ行く決心をする。
女主人・森下の盛大な出迎えを受けたものの、ここもまた探していた場所ではなかった。
すぐにそこを逃げ出すも……道に迷い、野中の一本道で途方に暮れるタエコ。
とそこに、自転車に乗ったサクラが現れる。

再び、ハマダでの日々が始まった。
その緩やかなペースに巻き込まれ、徐々に自らたそがれはじめるタエコ。
「ここには、何となくたそがれるのが得意な人が集まる」
「私は、ケータイが通じなさそうな場所に来てみたかったんです」
数日後には、彼女を「先生」と呼ぶ青年・ヨモギがハマダにやって来て……さらにゆったりと流れていく宿での生活だった……。

「いつまでいるの?」
「飽きるまで」
「たそがれるコツは?」
「誰かのことをじっくり思ったりすること」

都会から一人旅でやってきたタエコが、海以外に何もない田舎町で、ちょっぴり奇妙な人々と交流することで自分を見つめていく姿を描いた人間ドラマ。
「旅」をモチーフに、本当の豊かな気持ちとは何なのか?……というメッセージを発信しつつ、淡々と、のんびりと、ユル~~い展開で物語は進みます。
どこへ行くでもなく、何をするでもなく、ただただ‘たそがれる’。
そのリラックスした様は、慌ただしい日常から解き放たれて取り戻す自由やその甘美さ、または切なさなどを、抑制の効いた描写の中に息づかせています。
愛すべき登場人物たちとゆるやかな時間を共有するうちに、観ているこちらまで自然と‘たそがれ’ていく!
南国ならではの日差しのもと繰り広げられる、質素だけど美味しい食事、心地よい暮らしの風景、それらをともにする、仲間の存在。
‘たそがれる’ことこそが、旅の醍醐味であり、この作品の醍醐味なのです。
登場人物たちの‘たそがれ度’が、何とも心地良い。

あまりにノンビリしすぎている人たちに違和感を覚えて完全にドン引きしていたが、いつしか自分も‘たそがれ’ていく……タエコ。
その彼女を「先生」と慕う飄々とした雰囲気のヨモギ。
ところでタエコは何の「先生」なのか?この二人はどういう関係なのか?
そんなことはどうでもいいとばかりに、物語の中では全く触れられていません。
それからハルナも不思議な存在。
高校教師のはずなのに、学校に行っている様子はなく(?)ブラブラしているし。
宿の主人・ユージのやる気のなさ加減も面白い。
そして、これまた謎の女・サクラ。
春先だけこの町を訪れては、閑散とした浜辺で‘かき氷屋’を開いている。
摩訶不思議な人たちによる摩訶不思議な癒し系お伽話。
今、こんな時だからこそ、このような温かい映画を観て少しでも心を和らげたいものです。