『石橋凌・語録』
○NHK大河ドラマの出演オファーを断った際、プロデューサーから「普通、大河ドラマとなると役者は逆立ちしても頼みにくるのに、なぜあんたは断るの?」と高飛車に問われ、カチンときて…。
『すみません、僕は腕の筋肉が弱くて逆立ちはできないんですよ』
○ARB解散を決意した時、他のメンバーに…。
『5年間役者で頑張ってみて、自分が納得できるところに行けたら、もう一回歌う。でも行けなかったら音楽は完全にやめる』
○ARB結成前、事務所の方針でベイシティ・ローラーズのライヴを見に行かされ…。
『タータンチェックの服なんか着たくねぇと思った(笑)』
○初の全国ツアーの最終日、東京でのライヴ中に客席に向かって…。
『東京は死んどる!』
(東京の客が冷めた目で 、見てやってるって感じだったから、ああいう発言になった…と後に告白)
○プロテスト・ソング「ユニオン・ロッカー」を作った理由について…。
『日本には本物のロックバンドがたくさんいた。九州にはサンハウス、関西にはサウス・トゥ・サウス、金沢にはめんたんぴん、名古屋にはセンチメンタル・シティ・ロマンス、関東には外道。でもメディアから流れてくるのは上っ面だけのロックだった。こういうシステムを切り崩したくて「ユニオン・ロッカー」を作った』
○高い評価を得ながら、なかなかビジネス的には成功しなかったことについて…。
『同じレーベルにサザンがいたから。宣伝費はみんなサザンに持っていかれた(笑)』
○結成10年目での初の武道館ライヴを振り返って…。
『武道館で1万人の前でやるのも、新宿ロフトで200人の前でやるのも同じだと。武道館はロフトの拡大版…正直にそう思えた』
○ARB再結成時を振り返って…。
『40代のおっさんでも若い奴に負けずに楽しく豊かに物を作っていく姿を見せようと思った。それで何かを感じてくれればいいんじゃないかと』
最後に、凌さんが師と仰いでいた松田優作に言われたという言葉…。
『ミュージシャンでも役者でもなく、‘表現者’になれ』