ロックバンドの逸話。
○ARBは結成当時、事務所がアイドルバンドとして売り出すつもりだったらしく、参考のためにと無理矢理ベイシティ・ローラーズのライヴに連れて行かれたのだとか。(キースがアイドルって…無理ありすぎじゃ?↑どう見ても○○ザ…。因みに若い頃からこんな感じ)
○レッド・ウォーリアーズのユカイとシャケがラジオ番組に出演したときのこと。
「シャケさんはレベッカにいた事があるそうですが」と聞かれたシャケが「あぁ、うるせえガキがいたバンドな」と不機嫌そうに言ったとか言わないとか…。
因みにベースのKIYOSHIは、スライダーズや尾崎豊のローディーをしていたことは有名。
○RCサクセションのバンド名の由来は、「(バンドを)ある日作成しよう」という捩りから…という諸説があるらしいけど、真相は?
○INU時代の町田町蔵(現・康)があるライブハウスに姿を見せたとき、入口付近に屯していたパンクスが、あまりの目付きの鋭さに圧倒されて思わず道を開けたらしい…。
○フラワー・トラヴェリン・バンドは、73年中止になったストーンズの来日ライヴのオープニング・アクトを務めるはずだったらしい。
もし実現していたら、超豪華な日英共演になったんだなぁ。
○あのCharがなんと…まだデビュー前の米米クラブでサポートメンバーとしてギター…ではなくドラマーとして参加していたことがあるらしい。
とても信じられないが、以前本人がラジオで話していたからマジなんだろうな?!
○ストリート・スライダーズのデビューのきっかけは、あるコンテストで優勝したからだが…実は欠員が出たための代役出演だった。
もしも欠員が出ていなかったら…。
○田中一郎がARBを脱退する際、「ARBは解散しないの?」と問われた石橋凌は「あんたは甲斐バンドみたいなぬるま湯のようなところに行くかもしれないけど、俺達はやめる気はない!」と言い放つ。