
【出演】
役所広司、玉木宏、柄本明、柳葉敏郎、阿部寛、吉田栄作、椎名桔平、益岡徹、袴田吉彦、五十嵐隼士、坂東三津五郎、原田美枝子、瀬戸朝香、田中麗奈、中原丈雄、伊武雅刀、宮本信子、香川照之
【監督】
成島出
“誰よりも、開戦に反対した男がいた”

昭和14年夏。
日独伊三国軍事同盟締結をめぐり、日本中が揺れに揺れていた。
2年前に勃発した支那事変が泥沼化しつつある中、日本は支那を支援する英米と対抗するためにも新たな勢力と手を携える必要があった。
強硬に三国同盟締結を主張する陸軍のみならず、国民の多くもまた強大なナチスの力に熱狂し、この軍事同盟に新たな希望を託していた。
しかし、その世論に敢然と異を唱える男たちがいた。

海軍大臣・米内光政、海軍次官・山本五十六、軍務局長・井上成美。
彼らが反対する理由は明確だった。
「日本がドイツと結べば、必ずやアメリカとの戦争になる。10倍の国力を持つアメリカとの戦は何としても避けなければならない」
陸軍の脅しにも、世論の声にも屈することなく、まさに命を賭して反対を唱え続ける。

戦争に勝つことではなく、終わらせることを考えた未来を見据えた五十六。

その五十六を通じて現実と向き合い、真実を追求し世論を代弁する正義の記者・真藤利一。

新聞の使命は国民の意思を導くことであると信じ世論を煽り立てる開戦派の記者・宗像景清。

五十六は真藤に言う。
「自分の目と、耳と、心を大きく開いて世界を見なさい」

やがて三国同盟問題は棚上げとなるが……。
昭和14年8月31日、山本五十六は生涯最後の職である‘連合艦隊司令長官’として旗艦‘長門’着任。

しかし、時を同じくして世界情勢は急転し始める。
アドルフ・ヒトラー率いるナチス国防軍がポーランドに進攻。
それを機に欧州で第二次世界大戦が勃発したのだ!
快進撃を続けるドイツの力に幻惑され、日本国内では再び三国同盟締結を求める声が沸騰する。
その流れに抗しきれず、海軍大臣・及川古志郎は従来の方針を改め、同盟締結に賛成してしまう。
昭和15年9月27日、日独伊三国軍事同盟がついに締結。
その後の日本は急速に戦争への坂道を転がり落ちていく。

およそ40万人の将兵を預かる五十六は、対米戦回避を願う自らの信念と、それとは裏腹に日一日と戦争へと向かいつつある時代の流れのズレに苦悩し続ける。

「戦争は回避せねばならん。戦争に突入すれば、この国は壊滅する」
昭和16年夏、どうしても米国との戦争が避けられないと悟った時、五十六は一つの作戦を立案。
米国太平洋艦隊が停泊するハワイの真珠湾を航空機によって奇襲するというのだ。
世界の戦史に類を見ない前代未聞の作戦を軍令部の反対を押し切ってまで敢行しようとする五十六。
それは戦争に勝つためではなく、一刻も早く戦争を終わらせるための苦渋に満ちた作戦であった……。
「講和あるのみ!」
真珠湾攻撃は成果を上げるが、五十六は……
「真珠湾攻撃は失敗だ。空母は一隻も撃沈してない。浮かれている場合ではない」
しかし緒戦の勝利によって日本中が沸きかえり、自らの企図した早期講和の考えと異なる方向に動き始めたことから、五十六は講和の機会を得るためにも米空母部隊を誘い出して一気に撃破すべく、連合艦隊の新たな旗艦となった戦艦大和においてミッドウェー島を攻略する作戦を立案する。
本土初空襲もあってミッドウェー攻略作戦は採用され、五十六自らも連合艦隊主力を率いて出撃したがミッドウェー海戦は空母4隻を失う敗北を喫し、描いていた早期講和の構想も挫折した形となった。

昭和17年8月に始まったガダルカナル島の攻防戦は激しさを増し、陸軍を支援すべく行った駆逐艦による島への物資輸送も制空権を奪われた状況では損害を増やすばかりであった。
五十六の命令で戦局打開を図るべく米空母部隊と激しい戦いを繰り広げたが損害も大きく、ガダルカナル攻略は中止され連合艦隊は同島からの撤収を支援することとなった。

昭和18年4月、連合艦隊司令部はラバウル基地に移り、ソロモン諸島の制空権を奪還すべく空母の航空隊をラバウルに進出させて‘い号作戦’を指揮。
一定の戦果を挙げたと判断し、母艦搭載機を本土に帰した五十六は周囲の反対を押し切り、前線の視察に赴くことになる。
「どうしても行かれるのでしたら、多数の護衛をつけます」
「いや、それは無用。いつも通りだ……いつもの通りでいい」
だが その行動は米軍に読まれていた……。

米英との開戦に最後まで反対するも、真珠湾攻撃を指揮することになった連合艦隊司令長官・山本五十六の実像に迫るヒューマンドラマ。

山本五十六の知られざる実像に迫る本作。
軍人でありながら最後まで米国との開戦に反対を断固主張するも、日本が開戦すると、戦略家としての才能を発揮しつつ、いかにして講和に持ち込むかをひたすら考え続けた。
戦争スペクタクルやメッセージ性の強い反戦映画とは一線を画し、あくまでも山本五十六というひとりの男の半生を追った伝記ドラマである。
戦闘シーンは意外と地味めで、目まぐるしく展開される会話劇が中心の構成となっており、新聞記者の真藤の目を通して山本五十六の人間像に肉薄していく。
五十六の家族とのふれあいをはじめ、その優しい人柄を描いたほのぼのとしたエピソードも多数登場する。
五十六が夕食のオカズの煮魚を妻と4人の子供に切り分けてあげるシーンや、甘味処の少女にリボンを贈る件りなんかはとても微笑ましい。
この作品では五十六が物を食べているシーンがやたらと多いのも特徴。
彼は下戸で大の甘党なのだが、周囲が唖然とするくらい水饅頭に砂糖を山ほどかけて「うめぇぇ」。
また姉からの手紙を読みながら干し柿を頬張り、少女が店番をする甘味処で汁粉に舌鼓を打つ、スイカにかぶりつく、お茶漬けを啜る……等々、五十六は本当に美味しそうに食べる。
そんな五十六が前線地を視察する前の晩に、飲めない酒を飲み、部下たちと‘最後の夜’を楽しく過ごす。
側近たちが何度も視察回避を懇願するが、彼は譲らない。敢えて危険な視察に出発する道を選ぶ。
「こんな俺でも姿を見せれば、苦しんでいる兵隊たちも少しは元気がでるかもしれんだろう」
五十六の持って生まれた優しさが皮肉にも仇になってしまうワケである。
そして……まもなく前線基地に到着するというまさに時、無数の敵機が現れる。
が、五十六は機内の座席で微動だにもしない。その表情からは‘覚悟’を決めた強い意思が窺えます。
アメリカとの国力の差を把握し、早い時期からそれを指摘、三国同盟に強く反対した海軍次官時代から、開戦後に海軍司令長官の立場として早期の終戦を目指すも、志半ばで命を落とすまで……そんな波乱万丈の人生を丹念に追っていきます。
その生き様は、今の時代に必要なリーダーの在り方を示しているようにも思われる。
三船敏郎版『山本五十六』は、五十六の人間像に迫ると同時にスペクタクル要素も強い娯楽大作でしたが、本作は娯楽性を排除した骨太の戦争ドラマになっており、なかなか見応えがありました。
それと客の年齢層が異常に高かった……しかも9割が男性。
三船敏郎版をリアルタイムで観ていそうなおじいちゃんばっかり


ちなみに上映終了後の喫煙所で、ひとりのおじいちゃんが熱くこう語っていた……。
「結局、今も昔も日本は変わってねえんだよ。情報を操作するとことかさ。政治家にこの映画を観せてえな」