こんにちは、親として、教員として、大学院生として教育問題に悩む、3足ワラジのジュンコです。懇談会のあとの、楽しみにしていた感謝祭休みですが、もうそれも終わろうとしています。新学期は始まってからは、全速力で走り続けているようで、随分ブログもお休みしてしまいました。やっぱり三足ワラジは無理なんだろうなあ。

 

突然ですが、今週、私の大切な友人が亡くなりました。グレッグ マルタニ氏。彼は、日系人収容所の歴史教育の普及に力を注いだ人生を送られました。日本育ちで、日系アメリカ人の歴史を何も知らなかった私が、彼のサポートなしに、フレッドコレマツ劇を通した人権教育集会を行うなんて考えられません。私の行う劇による人権集会のたびに、こっそり泣いてくれていたのも、彼でした。(私の劇には、彼のおじさん、ウイリアムマルタニ判事が、日系人に対するアメリカ政府の謝罪に貢献したシーンがあります)

 

グレッグが、まもなくいなくなることは、彼の病気からわかっていましたが、この何日間か、このぽっかり空いた心の穴は、私のこの歴史教育への熱意にかなり影響していることに気づきました。それだけ日系人の歴史教育を推進していても、日本人として、日系社会に認められることは難しい。もちろん、日系社会が複雑なので、誰に非があるわけでもないんですが、これが、一個人としての印象です。移民の、日本人の、外れた位置にいる自分を支えてくれたのは、グレッグとの友情や信頼があったからこそ、です。ここまで来れたのも、個人のつながり、人としてのつながりがあったからこそ。それなしに、これからも、今までのように熱意を持ってやっていけるのだろうかと、不安。

 

私は今まで、こういったことは自分の信条に影響せず、正しいことは続けていくタイプだと思っていましたが、ちょっと疲れてるのかも。ストレスの多い職業です、教師は。

 

ただ、自分のグレッグに対する友情が大切なら、グレッグが私にいったことを忘れてはいけないと思い、ここに記すことにしました。亡くなる少し前に、グレッグの病状について私ができることはないかと聞いた時、今やっていること(日系人歴史を通した人権教育)を続けてくれ、と言っただけでした。(ご飯を作ってずっと持っていったんですが、口にあったかどうか。)

 

何年か前に、母校の大学の同窓会会報に、私のアメリカでの教育経験を元にしたエッセーを書きましたが、グレッグのことを書いていたので、初心に戻り、それを今日はシェアしたいと思います。

 

************************

「人権集会」

 

 「私はどの役もやりたくないけど。」最後に残った役を見て、教え子の一人、キャサリンが言った。えっ、ちょっと待って、何でもいいと言ってたじゃない、と思ったが、とりあえず子どもたちの前では平静を装った。劇の発表まであと二週間しかなかった。

 今年一月、日系アメリカ人人権活動家フレッドコレマツ氏の日にちなんで、全校の人権集会を担当した。コレマツ氏の弁護士団代表、デールミナミ氏を招いて、第二次世界大戦中の日系人強制収容の歴史の理解と人権意識の向上を図ろうという行事だ。幼稚部の児童にもわかるように、四年生担任である私は、クラス全員でコレマツ氏の一生を劇にして発表することを計画していた。子どもたちの意気込みは半端ではなく、たった二日ほどで、ほとんど全員がセリフを覚えてきた。

 キャサリンは頭が良くて、芯が強い。彼女が自分の役に納得しなければ、彼女との間にわだかまりできて、今年一年全体の取り組みに影響するだろう。「こんな役はどうかな。」コレマツ氏と同様、米政府の命令に抵抗した他二人の日系人の名前を挙げてみた。「じゃ、ゴードンヒラバヤシにする。」それから三日間、ヒラバヤシ氏について調べ、台本を変えたが、しっくりこない。今は退職されているが、元日系アメリカ人市民同盟、歴史教育担当の友人、グレッグマルタニ氏に見てもらうことにした。

 「ジュンコ、ヒラバヤシを入れるんだったら,ヤスイを入れないと、おかしいよ。でも、フレッドコレマツに焦点を当てているんだろう。別の役がいいかも。」グレッグの言うことは理解できるが、時間がないという焦りでいっぱいになった。私の英語力で、今からやり直しなんて到底無理だ。「ほかに、どんな役ができる?キャサリンは、どんな役でもいいという子ではないから。」

「戦後、カーター大統領時代に発足した日系人収容に関する調査委員会のメンバーはどうかな。政府に謝罪や補償のアドバイスをしたんだ。実は、僕の叔父は、そのメンバー九人に入ってたんだ。唯一の日系人として。」「え?本当?どうしてそんな大事なこと今まで言ってくれなかったの?」「まあね。資料がいるんだろ。今から届けてあげるよ。」

 一日たりとも無駄にできないと、週末の間にキャサリンの保護者に連絡を取り、彼女自身から役の変更について承諾を得た。それから必死で新しいシーンを台本に加えた。

 グレッグは、日系アメリカ人の歴史を知らずに日本で育った私を、ことあるごとに助けてくれている。時には、鋭い指摘も受ける。「日系人は、そこで万歳とは言わないよ。」戦後40年、コレマツ氏が受けた最高裁の有罪判決を無効とする裁判のシーンについてだった。グレッグの少しいらっだった短い言葉から、私の無知さによって日系人の感情を傷つけたことを思い知ったこともあった。

 人権集会当日、劇は大成功に終わった。子どもたちの素晴らしいチームワークと無限の可能性を目の当たりにして、鳥肌が立った。達成感いっぱいの彼らの笑顔を見て、改めて教師という仕事について考えさせられた。

 会場を出る児童や保護者に紛れて、グレッグの後ろ姿が見えた。「グレッグ、来てくれて...」ありがとう、と言いかけて、彼が泣いているのに気が付いた。歴史と人権の重さを感じた瞬間だった。

 

****************************

グレッグ、今までありがとう。