予備校受験のために上京した受験生・孝史は、二月二十六日未明、ホテル火災に見舞われた。
間一髪で、時間旅行の能力を持つ男に救助されたが、そこはなんと昭和十一年。
のちに「雪のニ・ニ六事件」と呼ばれ、我が国では稀有な大規模な軍事クーデターとして記録される大事件の真っ只中に孝史はタイムトリップしてきたのだ。
日本SF大賞受賞長篇。
タイムトリップした場所は、退役軍人の蒲生大将閣下の住まい。
そこで、孝史は蒲生大将の自決という事件に遭遇する。
「龍は眠る」や「クロスファイア」などでも成功しているように、ミステリとSFとの融合はミヤベさんの得意技だ。
そして今回はそこにもうひとつ「歴史」という要素をミックスした。
「ニ・ニ六事件」について無知同然の孝史を僕は笑うことができない。
この作品を読むまでは「ニ・ニ六事件」については教科書に書いてある程度の知識しかなかった。
(それは何も知らないことと同じだ)
かつては皇道派であり、あることをきっかけに180度の変節をしたという蒲生大将の自決をきっかけにして、否応無しに「ニ・ニ六事件」のことを考えなくてはいけなくなった孝史とともに、僕もこの作品で「ニ・ニ六事件」について深く関心を持ち、そして勉強をし、祖母に話を聞いたりもした。
それだけでも本作を読んだ意味がある。
(祖母は当時、都内の女学校に通っていて下校することができずに、その日は学校に泊まらされたのだそうだ)
さて、ストーリーの方だが、この物語には二人の超能力者が登場する。
一人は、孝史をホテル火災から救出し蒲生邸に連れて来た平田という男。
平田は蒲生邸に住み込みで従事し、この時代に骨を埋めるつもりでやって来たのだと言う。
そして、もう一人はかつて蒲生邸に滞在しており、今回の蒲生大将自決について大きくかかわっている黒井という女性。
この二人のタイムトリッパーは同じ能力を有していながら、その考え方は対極と言っていいほど違う。
平田は自らを「まがいものの神様」と言い、時間旅行の能力を持て余している。
歴史の流れというあまりにも激しく強い力に屈し、それに逆らって生きることがいかに無為であるかを知っている。
そして、歴史に対し何もできない自分を許せずに責め続けている。
黒井ももちろん歴史の大局を変えることなどできないことを知っている。
ひとつの飛行機事故を防いだところで、別の飛行機が落ちるだけだということをちゃんと認識している。
だが黒井は、それを認識した上で、なお人を救おうとするのだ。
蒲生大将に未来を教え、大切な珠子に罪を犯させないように精一杯、努力をした。
もちろん、それで歴史が変わるわけでもない。
けれど、黒井はそれをするのだ。
「まがいものの神様」であることを認めた上で、自分にできる最大限の努力をする。
彼女はきっと、孝史が言うように「歴史は人が作るものだ」と思っているのだと僕は想像した。
歴史はその時代、その場に居る人間が試行錯誤し、作っていくものなのだ。
臆病者となじられた貴之にせよ、叔父と父の愛人を許せなかった珠子にせよ、孝史が愛したふきにせよ、そのとき、そのときを懸命に生きている人たちがいるから、歴史は作れらてきたのだ。
もちろん「ニ・ニ六事件」に参加した青年将校たちも(それが正しいかどうかは別として)自分たちの考えのもとに行動し、そしてそれが結果として歴史の一部となっているのだ。
だから、僕は黒井のしたことは無駄だったとは思わない。
事件を解決するために奔走した孝史や、辛い未来が待っているとしてもこの時代で生きると決断したふきもとても正しいと思う。
これは物語だから、時間旅行なんてものが現実として存在している。
けれど、本当はそんなものは絶対にない。
誰も自由に過去に行ったり、未来に行ったり、そんなに都合のよいことができるわけもない。
だから、自分の生まれたその時代を精一杯、生きるしかない。
そんな当たり前のことを、僕も孝史もこの事件を通して学んだ。
「孝史さんはお帰りになるんです。だけどあたしは逃げ出すことになってしまいます。できません。それはしちゃいけないことです」
必ず負けるとわかっている戦争がはじまる。
東京にも爆弾が投下され、火の海になる。
食べることも満足にできない、辛く苦しい生活が待っている。
そのことがわかっていても、ふきはこの時代に留まると言った。
わたしはこの時代に生まれたのだから。ふきはそう言ったのだ。
そう、それこそが人間として正しい姿だ。