誰もが「大人」になるため、挑まなければいけない謎がある。
神山市が主催する合唱祭の本番前、ソロパートを任されている千反田えるが行方不明になってしまった。
夏休み前のえるの様子、伊原摩耶花と福部里志の調査と証言、課題曲、ある人物がついた嘘――折木奉太郎が導き出し、ひとりで向かったえるの居場所は。そして、彼女の真意とは?(表題作)
時間は進む、わかっているはずなのに。
奉太郎、える、里志、摩耶花――〈古典部〉4人の過去と未来が明らかになる、瑞々しくもビターな全6篇。
※ねたばらしを含む感想です。未読の方はお読みにならないように。
「箱の中の欠落」
神山高校の生徒会長選挙。
全校生徒の数よりも40票ほど多い票が集まってしまった。
選挙の様子を確認していた里志が「不正が入り込む隙間がない」と断言するシステムの穴はどこにあるのか。
里志から相談を受けたホータローがしぶしぶながら推理を展開する。
クラスごとに集められる箱に余分に40票も余分に入っていたら当然、誰かが気がつく。
40票を複数のクラスに分散すれば(たとえば5票ずつ8クラスに)、気がつかれにくいけれど、その代り8人もの選挙管理委員が不正に加担していたことになり、それは考えづらい。
ならば……とホータローが出したアイディアは、箱そのものをもうひとつ用意すること。
投票用紙は簡単に複製が作れるとしても、箱を複製するのは難しいと反論する里志に対して、ホータローは「箱は余分がある」と断言する。
「今はいち学年8クラスだけれどかつては9クラスだった時代もあっただろう。クラスが減ったからと言って、箱を破棄したとは思えない」
この推理には伏線があって、冒頭でホータローの姉にクラス会のお知らせが来ているのだが、そのクラスが「Iクラス」なのだ。
A、B、C、D、E、F、G、H、I……と数えていけばこのときは9クラスあったことがわかる。
さすがにこの伏線に気がついてホータローと同じ推論を導き出すことは難しいかもしれないけれど、推理のプロセスと結論は美しいと思います。
「鏡には映らない」
一人称は麻耶花。
彼女はひょんなことからホータローが中学時代にやらかした事件を思い出し、その真相が知りたいと思うようになる。
中学の卒業制作で大きな鏡の周りに木彫りのレリーフを作ることになった麻耶花たち。
鳥だの、蔓だのが入り組んだデザインを考えたのは鷹栖亜美という絵画が得意な女子。
麻耶花は自分のパートを一生懸命掘ったけれど、ホータローは入り組んだ蔓のデザインを全く無視して、一直線の蔓を彫ってきただけ。
「面倒だろう」というホータローに対し鷹栖さんは泣くし、クラスメイト達は非難轟々。もちろん麻耶花も当時は「ふざけてるな」と思う。
しかしこのホータローの行動に対して僕(と多くの読者)は違和感を覚える。
確かにホータローは怠け者だ。必要性が無ければ積極的に何かをすることなどない。
「やらなくていいことならやらない」がホータローのモットーだが、同時に「やるべきことなら手短に」も彼のポリシーでもあるのだ。
やるべきこともやらずに済ますのはホータローらしくないし、そもそも他人を傷つけて平気な顔をしているなんて、僕らの知っているホータローではない。
中学時代は「折木なら仕方ない」と思っていた麻耶花も、高校に入ってホータローと長い時間を共有する中で「折木ってそんな人間じゃないんじゃない?」って思うようになったということだよね。
そして、その麻耶花の想像はやっぱり当たっていた。
よかったホータローがろくでなしじゃなくて僕らが思っているホータローで。
「連峰は晴れているか」
これもまたホータローの中学時代の話。
授業を中断して窓の外を跳ぶヘリコプターの編隊をじっと見つめていた教師。
その教師は「ヘリコプターが好きなんだ」と言い訳をした。
そしてその教師の「三度も雷に打たれたことがある」というエピソードから、ホータローはある推論を導き出す。
ホータローの慧眼……というよりも、彼の優しさというか、思いやりが導き出した推理のように思える。
「わたしたちの伝説の一冊」
再び一人称は麻耶花。
というより、漫研のもめごと(漫画を読むだけ派vs漫画を描きたい派の対立)が中心になるため、ホータローの出番は無し。
ミステリらしさはこの一篇にはほとんど無いけれど、麻耶花の飛躍の物語である。
この短編集は「過去の物語」であることが多いのだけれど、ここにきてはじめて「未来の物語」が登場した。
漫研を退部した麻耶花がどんな飛翔を見せるのかはわからない。
もしかしたら飛べないのかもしれない。無様に落下するのかもしれない。
でもこの決断をした麻耶花にたぶん後悔はない。がんばれ麻耶花。
「長い休日」
ホータローがなぜ「やらなくていいことはやらない。やるべきことは手短に」というモットーを口にするようになったのか。
省エネが彼のポリシーとなったのか。
小学生のときにあった、ちょっとした出来事が語られる。
ああなるほどと腑に落ちる。
そして「やらなきゃいけないことじゃなかったらやらない」と口にした幼きホータローに、
「あんたはこれから長い休日に入るのね」と達観したように言い、
さらに「きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから」と言ったお姉さんはまさに慧眼と言うべきだろう。
その「誰か」が誰なのかは、ホータローも読者もよく知っている。
「いまさら翼といわれても」
表題作であり、物語のすべてをタイトルで語りつくしてしまっているという稀有な作品。
千反田さんの「未来の物語」(の序章)だ。
今は彼女は、戸惑っている。
だから「いまさら翼といわれても、困るんです」と言い、自由に憧れる歌詞の歌を歌えなくなってしまっている。
だけど大丈夫。
きみはきっといつか飛べる。
きみがホータローの休日を終わらせたように、きみの戸惑いを終わらせてくれる誰かが、きみにはいる。
だから大丈夫。