豪華客船船長の父親と少年をつなぐ寄港地への手紙。父の大切な薔薇を守る少年が告げた出来事とは――表題作「薔薇盗人」。
人間の哀歓を巧みな筆致で描く、愛と涙の六短編。
「あじさい心中」
リストラされたカメラマンと場末のストリッパーのつかの間の、そして深い哀情の物語。
人って…これほど簡単に死ねるものでしょうか。
偶然出会って、そして身の上話をして、それで「じゃあ一緒に死のうか」という話になるなんて。
百歩譲って、二人ともこの先の人生に何の希望も見出せていないのならば、自殺という決断自体はわからないでもありません。
でもね、僕がとても不思議に思ったのはそれが心中であるということです。
二人が生きてきた何十年という時間を考えたら、彼ら二人が一緒にいた時間なんてそのうちのたった何時間かでしかないのに、最後に一緒にいる相手として互いを選ぶことがとても奇異に思えました。
心中って…もっと深く結びついた二人がするものなんじゃないでしょうか?
分別もあり、酸いも甘いも噛み分けてきた大人が、こんな衝動的な行動にでるなんて…。
ただ、それでも、この物語を「非現実的」とか「納得いかん」とか思ったりはしないのです。
なんだかとても自然なことのように思えて…。不思議なものです。
ラストシーンはとても印象的。
雨に打たれ、腰をかがめ頭を垂れる中年ストリッパーの姿は一般論として決して美しいものではないでしょう。
なのに、指でファインダーを作らずにはいられなかった男の気持ちは…何となくわかるんですよね。
「死に賃」
心から信頼できて、愛する大切な人に死に際を看取ってもらうこと。
その人に優しく抱き締めてもらい、心からの言葉と涙をもらえること。
たとえ肉体的な苦痛が伴うとしても、これほどに幸せな最期はないでしょう。
それこそ、何億出そうともお金では手に入れることが出来ないものだと思います。
死の間際に、大内はそのことを理解します。
できることならば…大内の心のうちを美也子に伝えてあげてほしかったと思いますが。
「奈落」
会話だけで構成された一編。
登場人物たちが皆、異口同音に「何だったのか」と言いますが、読者である僕も同じことを思いました。
一体、何だったのでしょうか、この話?
「ひなまつり」
この短編集の中で一番のお気に入りはこれですね。
冒頭から描かれる少女の孤独感と、欠落した何かをせつないほどに求める必死さが痛いほど伝わってきます。
このへんは浅田次郎さんの得意分野ですね。
少女はとても聡明で、身体はちいさくとも歳よりもよっぽど大人びています。
悲しいことだけれども自制することも知っているし、自分の心も大人たちの気持ちをきちんと理解しています。
だからこそ、そんな彼女だからこそ、少女の生涯でたったひとつの願いは母親の心も揺さ振ったし、読者の心にも届くのです。
お願いよ、おかあさん。もうひとりぼっちはいやなの。
「薔薇盗人」
巧いですね。そう言う以外に言葉はありません。
表現力というのは凄いなあとつくづく思います。
ジゴロめいた男と、母親のちょっとした背信。
ただそれだけのありきたりな物語を、少年から父親への書簡という形で表現しただけで――それは平凡な物語ではなくなります。
少年は、純粋にただ無垢に自らの淡い恋物語を、自分が最も尊敬する父親に告白しているだけに過ぎません。
けれど、父親はその手紙から少年の身の回りに起こったことをきっと正しく理解したでしょう。
無邪気な少年の言葉で綴られているだけに、その事実はどんな形で知るよりも一番辛く彼の胸に突き刺さったに違いありません。
本当に皮肉な物語です。