東京のベッドタウンに住み、建築デザインの仕事をしている石川一登と校正者の妻・貴代美。
二人は、高一の息子・規士と中三の娘・雅と共に、家族四人平和に暮らしていた。
規士が高校生になって初めての夏休み。友人も増え、無断外泊も度々するようになったが、二人は特別な注意を払っていなかった。
そんな夏休みが明けた9月のある週末。規士が2日経っても家に帰ってこず、連絡すら途絶えてしまった。
心配していた矢先、息子の友人が複数人に殺害されたニュースを見て、二人は胸騒ぎを覚える。
行方不明は三人。そのうち犯人だと見られる逃走中の少年は二人。息子は犯人なのか、それとも……。
息子の無実を望む一登と、犯人であっても生きていて欲しいと望む貴代美。揺れ動く父と母の思い……。
望み……という言葉には、ふたつのイメージがあると思う。
ひとつは「希望」。
こうある、こうなる、という目標に向かうポジティブな「望み」。
一方でネガティブな「望み」もある。
こうあったらいいなあ、こうなりたいなあ……という絶望の淵から空を見上げるような、悲痛な「望み」。
さて、この作品における「望み」はどちらだろうか?
こたえは「どちらでもない」。
父親の願い。
それは、息子が被害者であっていてほしいということ。
自分の仕事、平穏な生活、妹の受験……それらを考えれば、息子が加害者であっては絶対にいけない。
自分の息子が卑劣な殺人犯であってほしくないという想いもそこには強く存在している。
母親の願い。
それは、息子が加害者であってほしいということ。
これからのどんな辛い現実にも立ち向かっていく覚悟はある。
ただただ、息子に生きていてほしい。それだけが彼女の願い。
どちらにしても、もう今までと同じ生活は戻ってはこない。
最悪にしてもせめて……という虚しい願いでしかない。
こういう、少年犯罪を扱った社会派ミステリ(サスペンス?)は最近とても多い。
薬丸岳あたりが得意。(得意って言うか、ほぼそれしか書いてねえ)
そんなわけで、正直こういうタイプの物語には食傷気味。
ただ、雫井脩介なら薬丸岳のような、何の捻りも無い作品は書くまいと信じて読んでみた。
この物語の主人公たる少年は冒頭に登場して以降、ほとんど姿を現さない。
携帯電話も繋がらず、連絡もとれない。
彼は同級生を殺害し逃亡している殺人犯なのか、それともその同級生とともに殺された被害者なのか。
それがわかるまで、相反する「望み」を持つ父親と母親の心情が延々と描かれていく。
このあたり、ちょっと冗長で退屈する読者もいるかもしれないけれど、結末に向かっていくための布石であるから我慢。
単純に「息子は加害者でした」とか「被害者でした」とかで終わったらどうしようと思いながら読み進めたのだが、(薬丸岳の作品は全部これ)、そこはやはり雫井脩介。
そんな単純なオチにはしない。
少年の強い意思に、誰もが涙するはず。
救われたのは、両親の心だけではない。読者もだ。