「サクリファイス」 近藤史恵 新潮社 ★★★ | 水底の本棚

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「ただ、あの人を勝たせるために走る。それが僕のすべてだ」
二転三転する真相、リフレインし重きを増す主題、自転車ロードレースの世界を舞台に描く、青春ミステリ。

サクリファイス (新潮文庫)


※物語の核心部分に触れていますので未読の方はご注意を。




驚いた。


正直言って、この動機には本当にびっくりした。そんなことがあり得るのか、と思った。



と言っても、ここで僕が驚いたと言っているのは、袴田が石尾に仕掛けた罠のことではない。


それは十分に予想がついた。


石尾のペットボトルにだけマークがされているという伏線にはどうしたって注目せざるを得ないし、


そこに気がつけば袴田が仕掛けられることはそう多くはないとわかる。


袴田は卑劣で矮小な男だとは思うが、


彼が復讐を願う気持ちそのものは心情的に十分に理解できる。



僕が驚いたと言っているのは、石尾が仕掛けた命を賭けたトリックだ。


これを理解できるという読者がいるのだろうか?


もしいるのならば、ぜひ意見を聞いてみたいと思う。


僕にはまったく理解不能だった。



僕はプロスポーツ選手についてそう詳しく知っているわけじゃない。

プロボウラーの知り合いは山ほどいるが、彼らは純然たる個人スポーツの選手で、


ロードレーサーとはまったく質が異なるだろうから参考にはならない。


だが、プロスポーツ選手と言っても、同じ人間なのだし、心情が丸っきり理解できないとは思えない。


思えないのに…どうしても、石尾の気持ちが欠片もわからない。



ロードレーサーは一人で走っていると言っても、チームスポーツなのだということは理解できた。


日本人レーサーが欧州で活躍できるチャンスはめったにないのだということもわかった。



だが、それを踏まえた上で考えても、


僕にはそのために顔面からブロックに突っ込むという行動が取れる石尾の気持ちがわからない。


本当に、そんな人間がこの世に存在するのだろうか?


たとえ、彼がチームメイトの夢や嫉妬を食らい、


それらを踏みつけにして戦ってきたのだとしても、


その行動は理解しづらい。


いや、石尾はむしろそういう人間だったのだから、


自分の座を脅かす若手二人を葬り去るチャンスだと思うほうが自然ではないか?

それはとても卑劣な考え方だけれど、そういうほうがよっぽどプロスポーツ選手らしいし、


石尾らしいと思う。




サクリファイス。


「犠牲」という意味だ。


日本人はナニワブシの人種だから「犠牲」という言葉が結構、好きだ。


プロ野球なんかでも、チームのために献身的になる脇役に妙にスポットライトが当たったりもする。

あくまで個人的な意見でしかないが、僕はこういう考え方があまり好きではない。


それを美しいとは思えない。


プロスポーツ選手とはそういうものじゃないだろうという思いもある。



もちろん、僕だってずっとサッカーをやっていて、


自分がヒーローにならなくちゃ嫌だなんて思ったことは一度もない。

僕がボールと全然関係ないところで動いて、


その無駄走りがゴールへの一助になれば嬉しいし、


自分のゴールよりもチームの勝利のほうが何倍も嬉しい。


だけど、この小説で語られている「サクリファイス」はそういうこととは本質的に違うことのような気がするのだ。


うまく言えないけれど…。