友人の作家・有栖川有栖と休養に出かけた臨床犯罪学者の火村英生は、手違いから目的地とは違う島に連れて来られてしまう。
通称・烏島と呼ばれるそこは、その名の通り、数多の烏が乱舞する絶海の孤島だった。
俗世との接触を絶って隠遁する作家。
謎のIT長者をはじめ、次々と集まり来る人々。
そして奇怪な殺人事件が起きる。
※物語の核心部分に触れています。未読の方はご注意を。
舞台設定が特殊なわけではないし、トリックにも派手さはない。
普通、孤島ものと言えば最低でも半ダース近くの人が連続殺人の被害者となるものだが、
殺されるのは別荘の管理人と、ホリエモンあたりがモデルと思われる新進企業の若手社長ハッシーの二人。
一般的な孤島ものにありがちな禍々しさは一切ない。
次々と人が殺されていくのを名探偵がボーッと眺めているなんていう不自然な状況もない。
その分、電話線が切られて外界と隔離される理由などにはリアリティがある。
ハッシーの死を知った管理人は、株価の暴落を予想しそこで一儲けを画策した。
だから市場が動き出す月曜までは「ハッシーの死」という、島にいる人間しか知らない「インサイダー情報」を外界に漏らしたくはなかったのだ。
そのことが判明してからは、解決までは一本道。
ハッシーの死体を動かしたのは、発見を遅らせたかった管理人。
さらに管理人は殺人者を恐喝したため、殺されてしまった。
では、ハッシーを殺したのは?
それぞれのアリバイと、高所恐怖症というファクターを重ね合わせて、火村は論理的に犯人にたどり着く。
毎度毎度のことだが、条件をもとに一人ひとり容疑者を消しこんでいく推理プロセスは有栖川有栖さんのパターンで、
その論理性に毎回、僕はゾクゾクさせられる。
謎解きシーンの面白さは、有栖川ミステリの真骨頂だ。
それから。
本作の眼目は、実はもう一つある。
それは、乱鴉の島に集まった人々に隠された秘密。
若き妻を失った老作家が、お互いのクローンを作り、また出会いからやり直す。
島に集まった大人たちは老作家のファンで、生まれ変わった二人の世話係。
島に連れてこられていた少年と少女はその遠大な計画のシミュレーションだ。
僕は現在のクローン技術について知識がないので、これがどれほどリアルな話なのか判断がつかないけれど、
こんな風に考える人がいてもおかしくはないと思う。
僕は決して賛成することはできないけれど。
花は散るからこそに美しいなんて、手垢のついた言葉を使うつもりはない。
だが、人間はやはり有限の命を生きるべきだと思うのだ。
永遠の命を望むのはいい。
失った人をもう一度この世に蘇らせたいと願うのもいい。
僕にもその気持ちは十分に理解できる。
だが、それらは決して叶うことのない願いだから祈ってもいいのだと思う。
もし本当にそれが現実になったとき、果たして本当に人は幸せになることができるのだろうか?
人は有限の命を持つものだからこそ、誰かを真剣に愛すこともあるのではないだろうか。
人のできることには限りがあるからこそ、誰もがその瞬間を一生懸命生きるのではないだろうか。
ありきたりで当たり前の意見だけれど、僕はそう思うのだ。