「風が吹いたら桶屋がもうかる」 井上夢人 集英社 ★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

牛丼屋でアルバイトをするシュンペイにはフリーターのヨーノスケと、パチプロ並の腕を持つイッカクという同居人がいる。

ヨーノスケはまだ開発途上だが超能力者である。

その噂を聞きつけ、なぜか美女たちが次々と事件解決の相談に訪れる。


風が吹いたら桶屋がもうかる (集英社文庫)



シュンペイたちが住む倉庫を訪れる女性たちが抱える悩みごとはただの取り越し苦労で、


ヨーノスケの超能力はもちろんのこと、


毎度横から嘴をはさみ、自己満足の推理を展開するイッカクも全く役に立たないというのが決まったパターン。


まるで時代劇でも見ているかのような気にさせられる予定調和は飽きがくるところもあるが、


安心感のようなものを与え、一定の水準を保つための助けにはなっている。



推理の外れたイッカクは「論理に破綻はない」とうそぶき、


ヨーノスケの超能力は毎回、事件が収束した頃にその能力を発揮し、


そしてシュンペイは毎度連れてきた美女に彼氏がいることを告げられ、お決まりのセリフを呟く。




ヨーノスケの能力が人の役に立ったためしはないし、理論屋イッカクの推理が何かを解決したこともない。
結局、こうなるのだ。
そして、もう一つ。
僕の前に、どれだけ可愛い女性が現れようと、彼女はいつだって僕以外の誰かの愛する人なのだ。




さて、ところで、この作品で僕が一番気に入っているところは、実は推理小説部分ではない。


ひとつはイッカクの推理が外れるところ。


彼の推理は本格ミステリの世界ならばおそらくは的中するはずだ。


なぜなら本格ミステリの世界の住人たちは必ず合理的かつ論理的な行動をとることになっているからだ。


その世界では、左利きの人間は決して右側のポケットに鍵を入れたりしないし、


自殺をする人間は絶対に本に栞を挟んだりしない。


イッカクの推理が外れるということは現実世界とあまりにもかけ離れたミステリに対する痛烈な皮肉になっているのだ。

(念のために書いておきますが、僕は本格ミステリが好きだしこういうお約束があったっていいとは思っている)



もうひとつはヨーノスケの超能力を、シュンペイが揶揄するところだ。


ヨーノスケはまごうかたなき超能力者だ。


彼はラーメンを食べるために、指一本触れずに目の前の割り箸をまっぷたつにしてみせることができる。


ただし、それにかかる所要時間は三十分。


割り箸が割れた頃には、ラーメンはすっかりのびきっている。


うまいラーメンを食べたければ、超能力など使う必要はない。


手で割り箸を割れば済む話。


ヨーノスケのことをシュンペイが「低能力者」と呼ぶゆえんだ。


僕が超能力者(と自称する人たち)を好きになれない最大の理由はここにある。


彼らの能力が本物かどうかなんてどうでもいい。


問題なのは彼らの能力がちっとも「超」能力ではないところなのだ。



スプーンが曲げられる?


そんなもん、ちょっとの力で誰だって曲げられる。


そんなものよりも100mを10秒台で走る短距離走者の方がはるかに超能力者と呼ぶに相応しい気がしてしまう。


もし彼らが曲げてみせるものがビルを支える鉄骨だったなら僕だってそれは「超」能力だと認める。

(もちろんそこにトリックが介在していないという前提だが)


彼らが普通の人間には決して真似できないような力を発揮してみせてくれない限り、


誰もが彼らを「低能力者」と呼ぶだろう。