「悲嘆の門」 宮部みゆき 毎日新聞社 ★★★☆ | 水底の本棚

水底の本棚

しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

怖いよ。怪物がくる!
日本を縦断し、死体を切り取る戦慄の殺人事件発生。
ネット上の噂を追う大学一年生・孝太郎と、退職した刑事・都築の前に、“それ"が姿を現した。

ミステリを超え、ファンタジーを超えた、宮部みゆきの新世界、開幕。

大ベストセラー『英雄の書』に続く物語。


悲嘆の門(上)




ミヤベさんは僕にとって永遠に、日本一の、いや世界一のストーリーテラーだと思う。


だが。


それは、ミヤベさんが書くミステリと時代物に限っての話だ。


ミヤベさんのファンタジーは絶望的に面白くない。


というか、最後まで読み切ることすらできないので評価ができない。


唯一、読み切ったのは「ブレイブ・ストーリー」。


それは手当たり次第に本を読んでて、年に700冊くらいの読書量があった時期で、


ほとんど何も考えずに勢いで本を読んでいたから。



ホントはこの「悲嘆の門」を読むなら「英雄の書」は読んでおくべきだよなあと思ったのだけれど、


過去に二回も途中で挫折している作品なので、


そっちを先にとか思っていたらいつまでたっても「悲嘆の門」にたどり着かないだろうな、と。



本作の冒頭はミステリ。


苫小牧・秋田市・三島市で遺棄された絞殺死体が発見される。


身体の一部が切断されているという共通点があるため、ネットでは「羊たちの沈黙」バッファロウ・ビルにこじつけ、このシリアルキラーに「指ビル」と名付けた。


主人公の孝太郎はサイバーパトロール「クマー」でアルバイトする大学生。


この「指ビル」事件にも当然、クマーは関心を示し、熱心にネットを監視している。



……と、このあたりまでは、


ネット社会の暗部やシリアルキラーを題材にした社会派ミステリの感触。


僕の大好きなミヤベさんだ。



ところが、ガーゴイル像の鎮座する廃ビル・通称「お茶筒ビル」で、


その動くという噂の像を調べに来た元刑事の都筑と孝太郎が出会うあたりからだんだん怪しくなってくる。


廃ビル屋上で二人の頭上に舞い降りてきたのは、


昼間はガーゴイル像に擬態していた漆黒の翼持つ美貌の女戦士。


2メートル越える長身に髪をなびかせ、死神の大鎌と左の瞳に二つの瞳孔持つ戦士は、彼らに語りかける。


その後、謎の少女が現れて、いろいろ説明してくれるのだけれど、それがまたちんぷんかんぷん。


輪、領域、無名の地、始源の大鐘楼…。

いや待て。何言ってるんだ。


わからない部分をナナメ読みしつつ、耐えていくと、

次第に、現実の殺人事件と女戦士ガラのファンタジー部分がうまく融合し、

物語に少しずつ惹きこまれていく。

特に、上巻のラスト部分で「クマー」の女社長が殺害されたときには、

ガラの力を借りてでも事件を解決したいと願った孝太郎の気持ちがよくわかり、

もはやこのへんではファンタジー部分にも違和感を覚えなくなっており、夢中でページを繰った。


都筑、孝太郎の現実的な調査、推理(ミステリ)と、ガラの異界の力(ファンタジー)が融合した、何とも奇妙な物語なのに、まったく違和感はない。

ミヤベさんの筆力恐るべし。



ガラに通じる闇の左目得たことで、孝太郎には<言葉>の形・動き・色が見えるようになる。

憧れだった鮎子社長を連続殺人犯の犯行に見せかけ、殺害した犯人をガラの大鎌の前に差出し、

正義という名の復讐遂げる孝太郎。

「ここで手を引け」ガラの言葉に従わず、次々と犯人の<渇望>を狩る孝太郎。


もはや、孝太郎は誰の言葉も聞かない。

ガラも、都筑も、ユーリも、家族も、誰もが彼を止めようとするのに、

自分の正義に、盲目的に孝太郎は突き進んでいく。


このとき、孝太郎がガラからもらった力で人を裁くことに酔っていた。

正義は、時として悪よりも染まりやすい。酔いやすい。

正義という名の免罪符はすべてを許容し、人を思考停止に陥らせる。

どこから、孝太郎がおかしくなっていったのかはわからない。

でも、気が付いたら孝太郎は怪物になっていた。


ガラの力など借りずに、自分の力だけで護れるものを護っていたならよかったのに。

それをしなかった報いというにはあまりにも厳しい結末だったけれど、

孝太郎が大切な妹のように思っていた少女は、悪魔の手に掛かり、孝太郎はその悪魔を喰らうために怪物になった。


「オレはもう、この世にいられない。いや」
自分で自分にかぶりを振る。
「この世にいたくない」
美香のような少女が、ゴミみたいにブルーシートにくるまれてしまう世界。
山科鮎子のような女性が、指を全部切り落とされ、亡骸が空地に捨てられるような世界。
その世界を少しでもよくしたいと思った。救いたいと思った。
だからオレは怪物になった。
もう、戻れない。


孝太郎のような青年が、怪物にならざるを得ないような世界。

僕たちの生きているのはそんな世界なのか。

そうであるならば、この世界に希望はない。


でも。違うのだ。

希望はある。

ミヤベさんはそれを物語の最後に示してくれた。


もう、取り返しがつかないことはたくさんある。

後悔してもどうにもならないことはいくらもある。

でも。

取り戻すことができたこともある。

そして、唯一、取り戻すことができたものは、とてもとても大切なものだった。


そんなラストが希望でなくて何であろう。


物語を紡ぐものとして、言葉を積み重ねるものとして、宮部みゆきは決して、読者を絶望させない。

それがミヤベさんなのだ。