脚本家として順調に生活する鈴音(36歳)が、高校時代の友達・水絵に突然呼び出された。
子連れの水絵は離婚し、リストラに遭ったことを打ち明け、再就職先を決めるために一週間だけ泊めてほしいと泣きつく。
鈴音は戸惑いつつも承諾し、共同生活を始めるが……。
人は相手の願いをどこまで受け入れるべきなのか?
揺れ動く心理を描いた傑作サスペンス。
読んでいる最中、ずっとスッキリしない感じが身体にまとわりついていた。
十年も音沙汰がなかった高校時代の友人に子連れで住み着かれた鈴音の方が、
読んでいる僕よりもずっとモヤモヤしていたかもしれないけれど、
それは鈴音の優柔不断が招いた自業自得というものだ。
確かに、子連れで困っている友人を見捨てるのは寝覚めが悪いだろう。
だが、鈴音が作中で何度も心の中で叫んでいるように、
水絵が困窮しているのは、別に鈴音のせいじゃない。
鈴音が友人の世話をできるくらい余裕のある暮らしができていることだって、
鈴音自身ががんばった結果であり、何も恵まれていたわけではない。
水絵に「鈴音はいいわよね」などと羨ましがられる筋合いはない。
それなのに、鈴音は不満を口にしながらも水絵母子を追い出すことができない。
その二人の関係を象徴する場面がある。
水絵が泊りにいた最初の夜。
はぶらしを借りた彼女は「買ったら返すね」と言う。
そうしたら普通は買ってきたほうを返すだろう。誰だってそう思う。
でも水絵は「新しく買ってきたからこっちは返すね」と使用済みのはぶらしを返却してきた。
そんな馬鹿な話はないと、鈴音は思う。
にもかかわらず「そんなに目くじら立てることでもないか」と、非難することもなく受け取ってしまう。
この瞬間に、二人の関係は決まったと言っていい。
「はぶらし」がタイトルに使われているのも、この象徴的なシーンがあるがゆえだろう。
そんな身勝手な水絵を追い出すことができない鈴音に苛立ち、
とても不快な気分を味わいながら、それでも(いや、だからこそ)ページをめくるのを止められない。
イヤーな話だし、モヤモヤするし、イラッともする。
なのに、一気読み。
それはやはり傑作と言ってよいのだろう。
最後は、水絵以上に不愉快な感じの元夫が現れて、耕太をつれていく。
水絵は結局、耕太を放り出したまま、鈴音と喧嘩をして戻って来ない。
最後の最後まで不愉快なお話だなあと思っていたら、
エピローグで、青年になった耕太が鈴音に会いに来る。
耕太がまともな青年に育ったことが、おそらくこの不愉快な物語の唯一の救いだろう。
きっと、鈴音もそう思ったに違いない。