新聞に連載小説を発表している私のもとに一通の手紙が届く。
その手紙にはミステリー界最後の不可能トリックを用いた「意外な犯人」モノの小説案を高値で買ってくれと書かれていた。
差出人が「命と引き換えにしても惜しくない」と切実に訴える、究極のトリックとは?
※ねたばらしを含んだ感想です。未読の方はご注意を。
アンチミステリというジャンルがある。
僕個人としては、ミステリ、または小説としての枠や概念を飛び出して、トリックを仕掛けてくるミステリと解釈している。
作中の登場人物を対象にするのではなく、読者そのものに直接仕掛けてくるトリックという意味では叙述ミステリの亜種と考えてもいいかもしれない。
代表的な作品としては中井英生の「虚無への供物」や、
辻真先の「仮題・中学殺人事件」などがある。
両者はいずれも「読者が犯人」という結末に落ち着くのだが、
辻真先はそれ以外にも「作者が犯人」とか「編集者が犯人」などという異色の犯人を扱ったミステリを書いている。
また、鯨統一郎は「ミステリアス学園」で「読者以外の人(この小説を読んでない人)が犯人」というオチを用意している。
僕はこのアンチミステリというジャンルの作品を読んで面白いと思ったことは一度もない。
いずれも程度の低い言葉遊びや作者のひとりよがりにしか思えなかった。
読者(僕)が存在するのは三次元で、
作中の人物が存在するのは二次元の世界である。
別世界に存在する両者の次元を同じものに錯覚させない限りは、
このジャンルのトリックは(僕には)認められない。
本作に関して言えば、随分と工夫はしているとは感じた。
対人恐怖症やサイ能力について作中で言及しており、
唐突に「自分達のことを知らない人々の思念の質量が、
無視のエナジーとして部員達を襲った」などというオチをもってくる鯨統一郎の作品に比べればかなりマシだとは思う。
しかし主人公の書く新聞小説を読んでいる読者は僕ではなく、
あくまで「作中に登場する新聞購読者」、つまり「二次元世界に登場する読者」でしかない以上、
これを読んで「おれが犯人だ」と思う人間はいないだろう。
一生懸命考えたのね、よしよし頑張ったねと誉めてやりたいが、
所詮はこの程度だよなというのが正直な感想である。
いずれにせよ「読者が犯人」という手法をとるために結局、作中作という使い古されたパターンを使っているところも不満。
また、解決編部分で「ほら、こんなにフェアに書いてますよ。伏線だって張ってるんですよ」とページ数まで指定して必死に説明をしているがこれは不要だ。
コントの面白さを芸人が自分で説明しちゃうような滑稽さがあり、
かえって作品の質を落とす行為だからやめたほうがいい。
第一、作中作という体をとっているのだから一人称の地文に虚偽があってもアンフェアではないだろう。
香坂の少年時代の手記は物語にとって何の意味もないがよく書けていると思うし、
奇策でなくまともなアイディアで勝負できるなら、ちゃんとしたミステリ作家になれる可能性もある。
……と、初読のころは思っていたのだが。
深水黎一郎は僕が想像しているはるかにまともなミステリ作家になった。
というより、もはや僕は深水黎一郎のファンだ。
参りました(笑)