姉を殺害された犯人に事件現場で襲撃された片桐稔は、その後遺症から通常の「匂い」を失い、代わりにイヌ以上の嗅覚で「匂い」を視覚的に捉えることができるという能力を得た。
稔はその能力を使って、失踪したバンド仲間の捜索と、姉を殺害した犯人を探し出すために奔走する。
※ねたばらしがあります。未読の方はご注意を。
SF的な設定で描かれた本格ミステリ。
人間には五感がある。
それは、触覚、視覚、聴覚、味覚、そして嗅覚だ。
今まで考えてもみなかったが、五つの感覚の中でも、嗅覚はかなり特殊な能力だ。
たとえば、お気に入りのアーティストの声を頭の中に再現することは容易いことだ。
大好きな風景を頭の中に思い浮かべることも誰にでもできることだろう。
柔らな布団の感触を自分の手に思い出すこともそれほど難しくないだろうし、
自分の好物の味を反芻することだって可能だろう。
だが、匂いを再生することは極めて困難だ。
たとえば、バラの香りがどんなものだかを想像するのは、たぶんほとんどの人にはできないことだろう。
また、鼻というのは簡単に麻痺する。
同じものを見続けていたからといって、それが見えなくなってしまうことなどはない。
だが、匂いというのはずっとその中にいればすぐに慣れてしまい、わからなくなってしまうものだ。
嗅覚というのは極めて不安定で脆弱な能力であり、恒常性もないものだということになる。
しかし、稔は「匂い」を視覚的に記憶することができる。
また、誰にも嗅ぎ取ることができないような微かな「匂い」を嗅ぎ取ることもできるし、
「匂い」を分解して取り出すこともできる。
あえて、人間の最も弱い能力である嗅覚を題材にし、
それをミステリの材料として活かしたこの作品はそれだけでかなり楽しめるものになっている。
テレビ局や警察、大学の研究室まで巻き込んで探偵活動を行うという展開は、ストーリーにうまく強弱をつけており、テンポよく読める。
敢えて瑕疵を挙げれば、
姉を殺害した犯人が、たまたま稔のバンド仲間と接触していたというのは、
いささか偶然が過ぎるかなというところと、
犯人が被害者から血液を抜くという理由がなんだかよくわからないところか。