時は乱世。天下統一を目指す秀吉の軍勢が唯一、落とせない城があった。
武州・忍城。周囲を湖で囲まれ、「浮城」と呼ばれていた。
城主・成田長親は、領民から「のぼう様」と呼ばれ、泰然としている男。
智も仁も勇もないが、しかし、誰も及ばぬ「人気」があった―。
のぼう、すなわち「でくのぼう」の略。
かつて、領民にこれほど馬鹿にされた呼称があっただろうか。
いやない。(反語)
同時に、これほど領民に愛された領主がいただろうか。
いやいない。(しつこい)
「漆黒の魔人」と呼ばれた正木丹波、
戦うために生まれてきたような鬼神、柴崎和泉、
自らを毘沙門天の生まれ変わりと称する酒巻靱負。
武芸にも秀でその美貌は太閤も注目した甲斐姫。
それから、城下の農民たち。
百戦錬磨の将兵をはじめ、数多くの人々に
「こいつは自分たちが支えてやらなきゃ」と思わせる不思議な魅力で国をまとめ上げ、
十倍近い数の敵、それも戦国の雄、石田三成が率いる軍勢と互角以上に戦い、
ついに落城することがなかった、のぼう様は本当に「でくの棒」だったのか。
結論から言えば、たぶん長親は「でくの棒」だったのだと思う。
ただし、ただの「でくの棒」ではない。
筋金入りの、本物の「でくの棒」だ。
「でくの棒」もとことん極めれば大いなる武器になるという……。
長親は今の言葉で言えば「KY」というヤツだ。
太閤と密約を交わし降伏・寝返りが確定していた状況で開戦を望み、
絶望的ともいえる三成の水攻めにも泰然とし、
あいての開城要求も当たり前のように突っぱね、
戦に負けたほうなのに相手に要求を出す……これを「KY」と言わずして何と言おう。
でも、そんな長親だからこそ、誰もが愛し、誰もが守りたいと願ったのだろう。
間抜けだけどどこか憎めない、ちょっと出来の悪い子供を持った親のような心境で、
皆、この城と長親を護り抜くと誓ったのだろう。
長親は言った。
「武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これが人の世か。ならばわしはいやじゃ。わしだけはいやじゃ」
戦国の世にあって、こんなにも正直に感情を吐露できる男だから、
この「のぼう様」は皆に愛されるのだよなあと思う。
この「のぼう様」を中心に魅力溢れるキャラクターたちが、暴れまわる。
アクションも満載でエンターテインメント性に富んだ歴史小説。
コアな歴史小説ファンには(ライト過ぎて)受け入れられないかもしれないけれど、
僕にはとても面白かった。