「虚ろな十字架」 東野圭吾 光文社 ★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

家族を殺されたら、あなたは犯人に何を望みますか。

別れた妻が殺された。
もし、あのとき離婚していなければ、私はまた、遺族になるところだった──。
東野圭吾にしか書けない圧倒的な密度と、予想もつかない展開。
私たちはまた、答えの出ない問いに立ち尽くす。


虚ろな十字架



※冒頭から強烈にねたばらしが入りますので、未読の方は戻ってください。

















「あの時、主人に出会っていなければ、あたしは間違いなく死んでいました。

息子も生まれてはきませんでした。

主人は二十一年前に一つの命を奪ったかもしれません。

でもそのかわりに二つの命を救いました。

そして、医師として多くの命を救い続けています。

主人のおかげで、どれだけ多くの難病を抱えた子供たちが助かっているか、あなたは御存じですか。

身を削り、小さな命を救おうとしているんです。

それも主人は何の償いもしていないといえますか。

刑務所に入れられながらも反省しない人間など、いくらでもいます。

そんな人間が背負う十字架なんか、虚ろなものかもしれません。

でも主人が背負ってきた十字架は、決してそんなものじゃない。

重い重い、とても重い十字架です。

中原さん、かつてお子様を殺された御遺族としてお答えください。

ただ刑務所で過ごすのと、主人のような生き方と、どちらのほうが真の償いだと思いますか」




この疑問に対する答えは実際、簡単ではない。


僕は短絡的だし、正論好きだし、杓子定規な人間だから、


どれだけ反省しようと贖罪をしようと、法治国家においてルールを破った人間は、


ルールに基づいた罰を受けるべきなのだ、と言ってしまうかもしれない。



でも、そんな僕でも実際は「それが正解なのかな?」と心のどっかで思っている。



答えはおそらくでない。



加害者、加害者の家族、被害者遺族……立場が違えば意見が変わってくるのは当然だ。



物語の登場人物たちも、誰一人、正解にはたどり着けずにいるし、


そもそも正解があるような問題でもない。



そういう意味で、いろいろ考えさせられる作品だと思う。




ただし。


ひとつ苦言を呈するのならば。


小説は社会的な問題提起をするためのものなのだろうか。


死刑制度の是非を問いたいのであれば、論文を書けばいい。



実際は、東野圭吾がそれをする必要もない。


多くの専門家がそれを考えていることだろう。



小説はどんなテーマを扱っていようとも、小説として面白くなければ意味がない。


読者に、「うーん」と考え込ませるだけのものであるならば、


それは小説として失敗ではないだろうか。



小説としてまったく面白くないと言うわけではない。


ストーリーは起伏があって、キャラクターも結構良く描けていると思う。


大きな瑕疵もなく、よくまとまっている。


だが、あまりにも平凡でありきたりでフツーだ。


「よくまとまっている」は決してほめ言葉ではない。


感想としてどうしても「死刑制度の是非」や「罪と罰」の方が先にきてしまうのが、その証拠だ。


物語が平凡すぎて、テーマに押し潰されている。




相手が東野圭吾でなければ、ここまで言わない。


たとえば「容疑者Xの献身」がヒットしたのは、「無償の愛」という内包されたテーマが優れていたからか?


そのテーマをしっかりと読者に伝え、考えさせたからか?


いや違う。


テーマ云々以前に、「容疑者Xの献身」は本格ミステリとして面白かったから売れたのだ。




そういう作品が東野圭吾には書けると思うし、それが求められているのだと思う。