「図書館革命」 有川浩 メディアワークス ★★★★★ | 水底の本棚

水底の本棚

しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

図書館シリーズ四部作、ここに完結!
原子力発電所を襲ったテロ事件に端を発し、作家の表現の自由を奪おうと、良化委員会の魔手が迫る。図書隊は、郁は、今日も走る!


図書館革命 図書館戦争シリーズ4 (角川文庫)



このシリーズは、本当に物語の王道って感じがとても好きでした。

正義の味方の王道、本好きの王道、ハッピーエンドの王道、そしてラブコメの王道。


主人公の笠原郁のように、単純で、真っ直ぐで、力強くて、そして優しい作品。


「楽しいだけ、面白いだけの本で何が悪い!」って大声で言いたくなるような、そんな作品でした。

有川浩さん、ありがとう。
これからもこういう楽しくて面白い作品をたくさん読ませてください。


第一章「その始まり」
はじまりと終わりはラブコメ。
その中に、原発テロを発端として表現の自由を奪おうとする良化委員会と、それを守ろうとする図書隊、この機に乗じて中央に踊り出ようとする未来企画の三者の戦いがサンドされています。


はじまりのラブコメは、郁と堂上。

毎日のように顔を突き合わせている二人ですが、オフに一緒に外出するなんていうのは初めてのこと。おまけに目的は二人でカモミールティーを飲むことってんですから、これをデートと言わずして何と言いましょうや。


内部心理的にはともかくとして、表面上はまるで遅々として進まなかった二人の関係ですが、第四部にしてやっと一歩前進。
まだるっこしい恋愛は、ラブコメの王道ではありますが…それにしても、とても成人した男女の恋愛とは思えねー(笑)


で、終わりのラブコメは、なんとも意外(?)なことに、柴崎と手塚。
こっちは郁たちとは逆に「お前ら、非常事態だっつーのにイチャついてんじゃねえ」って言いたくなるような。
ま、どちらもお幸せに、というところでしょうか。


さて、原発テロに端を発した今回の騒動ですが、図書隊きっての論客、柴崎が手塚慧との直接交渉によって新しい道を切り拓きました。

柴崎の言葉じゃないですけれども、図書隊と未来企画って根幹を成す思想は同じなんですよね。
ただ、その思想を現実化するためのやり方が違うってだけで。

だから、彼らも決して悪人ではない。

もちろん、そういう意味で言えば、良化委員会ですら悪人ではないわけです。
人の心を傷つけたり、人に悪影響を及ぼすようなメディアを排するという思想そのものは決して間違っているわけではないのですから。


「自分が主導したわけではないにしろ、検閲と戦うために人を傷つけ殺す手段を選択した図書隊は、その選択をした時点で決して正義の味方にはなれません。けれど、もう武器を捨てることはできない。武器を捨てたら自分たちが殲滅されるから」


この柴崎のセリフにははっとさせられました。
僕はこの物語を読む上で、図書隊を「本を守る正義の味方」だと認識していましたから。

普段は、どんな状況、どんな理由であっても暴力だけは絶対に肯定しないと僕は思っています。
親が、教師が愛情をもって子を叩くことですら、許したくはないと考えています。

ならば、僕のその論理をもってすれば、図書隊もまた許されざるべき存在ということになるでしょう。


図書隊だけではありません。
正義の味方の代名詞である、ウルトラマンだって仮面ライダーだって、誰一人「正義の味方」を名乗ることは許されないことになります。


けれど、現実はそれほどお気楽ではないし、正論を振りかざしていれば済むような問題でもありません。

だから彼らは武器を持った。
彼らにしても苦渋の決断なのだということを僕は忘れていました。


そういえば、郁にせよ、堂上にせよ、もちろん柴崎にせよ、彼らは彼ら自身をただの一度も「正義の味方」だと言ったことはありません。
正義のために戦っているのだと言ったことすらありません。


戦いたくなんかない。

それが、彼らの本音なのでしょう。

何かを守るってことは。そう、奇麗事ではすまないってことなのでしょう。


彼らは力を行使することの罪に対して無自覚ではない。
だから、自分たちの進む道を「正義」だとは決して言わない。
そんな彼らだから惹かれるのです


第二章「急転を駆けろ」

図書隊の官舎では、いずれ当麻を守りきれなくなると判断したタスクフォースの面々は、彼を稲嶺顧問の個人宅に移します。
すべてが常識外れな作戦。
この大胆にして不敵な作戦は…さすが玄田隊長の部隊だと言わざるを得ません。

この章では、良化隊員たちの襲撃を受けた郁と堂上が大立ち回りの末、当麻を再び基地に連れ帰ることになるわけですが、第一章では乙女モード炸裂だった郁も、ガレージのシャッターを手動で跳ね上げるわ、満タンの灯油缶をぶん投げるわで、本性丸出しのアクションを展開しています。

それでこそ、我らが笠原郁


「つまり、本を読まない人間にとって当麻先生の事件は他人事だ」


玄田隊長のセリフです。確かにそうですね。


たとえば、もし何らかの陰謀で日本でセパタクローが禁止されたとしますよね。
(ここでセパタクローを挙げたことに他意はありません。念のため)


大部分の日本人にとってそれは「他人事」です。もちろん僕にとっても。
おそらく、セパタクローを愛する人たちは反対運動を起こすでしょう。
けれどそれに賛同し協力する人は多くないはずです。


それが自由を奪われる最初の一歩になるのだと薄々感じてはいても「まあ、セパタクローが出来なくても俺の人生に何の支障もないしなあ」と日々の生活に追われ、危機感は薄まっていくのだと思います。


次は水球。その次はサッカー。その次は野球……と、気がついたころには地球上からすべてのスポーツが消えてしまっているかもしれないのに。


幸い、本はそれがなくなったら多くの人が反対の声を上げるだろうというくらいには関心をもたれています。
けれど未来にわたってもずっとそうである保証はどこにもありません。

読みたい本が読めなくなる。
書きたいものが書けなくなる。
そしてそれを叫んでも、誰も聞いてはくれない。

そんな世の中になったら。


想像しただけでぞっとします。


第三章「奇貨を取れ」
第二章のアクションシーンから打って変わって、この章では図書隊の取った行動は極めて政治的で、真っ当な作戦でした。

よって、我らが笠原郁の存在感はどんどん薄くなるというわけで。

それにしても会議のシーンになると、まったくセリフがなくなる主人公って何だ、一体(笑)


ところがですね、マスコミを動員して、同時並行で裁判まで仕掛けたものの、なかなか状況は好転しません。

彼らの会議もまた行き詰まってきたところで……郁の一言が新たな展開を呼ぶのです。

曰く、「いっそどこかの国に亡命でもしちゃえばどうでしょうねー」。


これには一同驚愕。
国内では書けない。
だったら余所の国に行って好きなもん書けばいいじゃん。
郁としてはその程度の軽い気持ちの発言だったのでしょう。
まったくもってシンプルなご意見で、郁らしくて良いです。


「悪意じゃなくて、そいつらの正義に辟易してるのよ」


これは「片手落ち」という言葉を作中で使った当麻に読者がクレームを付けてきたというエピソードに対し、郁が「指摘するほうに悪意を感じる」と言ったときの、柴崎の返答。


柴崎の言うこともわかるし、差別用語を規定することで新たな差別を生み出すという馬鹿げた構造になっているのもまた事実。


さて、皆さんはどちらが正しいと感じるでしょうか。

僕は……これは逃げかもしれませんが、正直、判断できません。

個人的な感情としては、「片手落ち」は差別用語ではないと思うし、それで傷つく人なんていないとも思う。

思いたい。

だけど、現実問題として本当にそれで傷つく人が皆無なのかは僕には確かめようはない。
また、そうやって何でもかんでもありにしてしまったら、表現がエスカレートし過ぎることだってある。
どこかに線を引かなくてはいけないことはわかっている。
でも、その線を引く位置をどこにするかは……難しすぎて答えが出ない。

本当にこれは難しい問題です。


第四章「嵐を衝いて」

郁のお馬鹿発言、見事に採用。
図書隊は最高裁の判決を受けて、当麻を亡命させることに決めます。当麻先生本人も乗り気。
この先生も、鷹揚でなんだかいい感じの人ですね。
図書隊も常識外れだけど、この先生も大概です(笑)


嵐の中、決行された逃亡劇は、途中、堂上が被弾するという悲劇に見舞われます。
そりゃもちろん、悲劇なんですが…ここで、待ってましたというようなラブコメの王道が展開されるのです。
堂上から憧れのカミツレを託された郁は、当麻先生を守って、一路大坂へ。


「だから『やれちゃう』んだ。極限まで、徹底的に、互いを信じ切って。そして全力を尽した結果がこれだ」


無茶をする人間がいたら、もう片方はそれを止める。
片方がアクセルなら片方はブレーキ。
それが理想のコンビであるような気がします。

堂上と小牧、郁と柴崎なんかはその典型的なパターンですね。


それに対し、堂上と郁は無茶と無茶、アクセルとアクセルの組み合わせ。
走り出したらどこまでも。


じゃあ、それが最悪の組み合わせかっていうと…そんなことはもちろんないですよね。

彼らだから出来ることがある。
彼らにしか出来ないことがある。

彼らは間違いなく最高のコンビなのだと思います。思いますけれど…でも、それって恋愛関係としてはどうなのさ、という気もしないではないですが。


第五章「その幕切れ」

図書隊の迅速なフォロー、郁の活躍、そして関西のオバチャンパワー(笑)
さまざまな人たちの奮闘によって、無事、当麻はイギリス領事館にたどり着くことに成功しました。

最後に待っていたのは、もちろんハッピーエンド。
良化法が改正されたわけじゃなし、まだまだ図書隊の戦いは続くのですが、それでもとりあえずのハッピーエンド。

郁の純愛ももちろんハッピーエンド。

つーか、郁が堂上に告白するのを躊躇する必要なんてどこにあんのさ?
誰がどう考えたって、ここはくっつくパターンでしょうが。

まあ、それは端からだから言えることで、当人にとったらよっぽどのことがない限り確信なんて持てないもんなんだよなあ。


「エピローグ」

ベタ甘な新婚生活のほうはまあ、知ったこっちゃないのでどうでもいいとして(笑)


図書隊と良化隊員の戦いから火器が撤廃されたのは、本当に嬉しいことです。

まだそれでも傷つく人はでるのかもしれないけれど、それでも人死にが出る可能性が低くなっただけでも、素晴らしいことじゃないですか。

彼らはこれで「正義の味方」に一歩近づいたことになります。


僕は、彼らが本当に正義の味方を堂々と名乗れるようになり、そして、いつか正義の味方を名乗ることすら必要がない世の中になることを心から願っています。


そのときは、きっと郁は図書館のカウンターでモタモタと慣れない手つきで司書をやっているんでしょうね。
柴崎や手塚あたりがからかい、堂上が雷を落とし、玄田と小牧は苦笑しながらそれを見つめている。


そんな図書館なら、僕も行ってみたいなと思います。