「図書館内乱」 有川浩 メディアワークス ★★★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

相も変わらず図書館は四方八方敵だらけ!
山猿ヒロインの両親襲来かと思いきや小さな恋のメロディを 叩き潰さんとする無粋な良化「査問」委員会。
迎え撃つ図書館側にも不穏な動きがありやなしや?
どう打って出る行政戦隊図書レンジャー!
いろんな意味でやきもき度絶好調の「図書館戦争」シリーズ第二弾、ここに推参!
図書館の明日はどっちだ?


図書館内乱



「両親攪乱作戦」では、郁の働きぶりをチェックするために両親が図書館を来訪。

非戦闘員であるということになっている郁は、部隊の面々に協力してもらって、何とか事なきを得るが…これ、どう考えてもお父さんには、ばれていますよね。


「あんた純粋すぎてたまにいじめたくなるのよ。でももしそれであんたが物分りのいい顔したら、あたしはきっとがっかりすんのよ。他のみんなも」


さすが柴崎、いいこと言うね。
みんな、真っ直ぐで純粋な郁のことが大好きなんだ。

誰も綺麗な舞台で戦う正義の味方ではいられない。
清濁あわせ飲む覚悟がなければ、大切なものを守ることもできやしない。
けど、それを後ろめたく思わないわけじゃない。

だからこそ、郁のように、真っ直ぐに正義の味方であろうとするようなヤツがいてくれることが嬉しいんだ。


「恋の障害」は小牧二正が主人公。

彼を慕う中途失聴者の女子高生と、小牧のラブロマンス。
うわ、読んでるこっちが恥ずかしくなるようなセリフ言ってるよ、小牧さん。

普段は郁の突発的な暴挙に悩まされている堂上や手塚だが、今回ばかりは柴崎も味方しているように、郁の暴走のほうが正しい!


それにしても、この話、非常に重要なテーマを含んでいますよね。

差別などが問題で自主規制されたり、事実上の絶版になったりしている本はたくさんあります。
今は復刊したみたいですが、一時期「ちびくろさんぼ」は全国の本屋から姿を消していましたし、同じ理由で藤子・F・不二雄さんの「ジャングル黒べえ」も全集以外では読むことはできません。


この問題はデリケートだと思うし、簡単に結論を出していいことでもないとは思っています。
「ちびくろさんぼ」は虎がぐるぐる回ってバターになっちゃうという、本当に牧歌的で愉快なお話だし、僕も子供の頃に親しんだ一冊だから正直、絶版になったときはとても憤りました。
けれど、もし僕らが楽しんでいる裏で「ちびくろさんぼ」のことを「人種差別だ」と悲しんでいる人がいるとしたら、犠牲になるべきは僕らの楽しみのほうだと思います。

ただ、僕が疑問に思うのは、本当にそれらが当事者による批判なのかどうかってことですよね。
騒いでいるのは本当に当事者たちなの?


僕は左利きですが「ぎっちょ」という用語が子供の頃には普通に存在しました。
今はすっかり差別用語として廃れたこの言葉ですが、現実問題としては僕はこの言葉を言われても何とも思いません。

たとえば、「ぎっちょの少年」なんていうタイトルの本が存在したとしても、その本が面白ければ受け入れると思いますし、絶版にしろなんて考えもしないと思います。

それがもし左利きの人間は右利きよりも劣っているというような差別的な内容であるなら問題だと思いますが、それは読めばわかることですし。


そう。差別を意図して書かれているかどうかなんて、読めばわかりますよ

そして「ちびくろさんぼ」は決して内容も挿絵もそういうものではないと思うのですけどね。

どうも日本では(他の国もそうかもしれませんが)、関係のない人間が声高に叫ぶことで、差別表現というもののを規定してきたような気がします。
だから、なんとなくピントがずれている気がするのですよね。


本作でも、中途失聴者の毬江ちゃんは「レインツリーの国」に感動していたのに、それを曲解した良化特務機関は無理やり差別問題にすりかえて利用します。

毬江ちゃん本人にしてみたら「あんたたち、私の気持ちなんて考えてないくせに」ってところですよね。


「美女の微笑み」は柴崎を主人公としたちょっとしたサイドストーリーであり、この後に続く物語の伏線。
ついでに玄田隊長と折口さんのお話も。


「兄と弟」「図書館の明日はどっちだ」では、小牧救出のときに手塚が頼った人物=手塚の兄=手塚慧=「図書館未来企画」のリーダーが登場します。


地方行政である図書館を、良化特務機関と同じ国営レベルまで引き上げることで検閲をなくそう、ただしそれには時間がかかるからしばらくは検閲を受け入れるというのを落としどころとしよう、というのが「図書館未来企画」の思想。


ちなにみ図書館内にも、あくまで図書館法に則って図書を守るぞと誓う郁ら「原則派」と、根本的な使命は同じくするもその執行について意見のわかれる「行政派」があり、そもそもの敵である良化特務機関と戦う以前に、なぜか思想を共にするはずの人々とも戦わなくてはいけないという…まさに「図書館内乱」

みんながみんな、郁みたいにシンプルならいいのにね。


郁はその内乱のごたごたで査問委員会にかけられるし、手塚は兄から執拗な勧誘を受け、そのせいで郁を巻き込んだことに落ち込んでるし。


いろいろと大変なのですが、最終的には今まで正体を隠していた人たち(新館長とか柴崎とか)の実態がわかり、ついでに「王子様」の正体が郁にわかっちゃったりして、正直、「図書館の明日はどっちだ」ってことよりも「笠原郁の明日はどっちだ」ってことのほうがよっぽど心配だったりします。

それにしても、柴崎と手塚ももしかしたら、ちょっとイイ感じかもね。


検閲のない社会ってどんなだろう。本が狩られない世界。読みたい本が自由に読める世界。本屋さんが検閲にびくびくしなくていい世界。そして―
図書館が武装しなくていい世界。
それってすごいかも! 想像しただけで気持ちが高揚した。


郁が生まれたときから既に検閲は存在し、彼女は自由に本が読める世界を知らない。
そして、この現実に生きる僕らは、郁が気持ちを高揚させているような世界を知っている。
もしかしたら僕たちは喜ばなくてはいけないのかもしれない。

この当たり前の世界を。