「人間の尊厳と八〇〇メートル」 深水黎一郎 東京創元社 ★★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

このこぢんまりとした酒場に入ったのは、偶々(たまたま)のことだ。
そこで初対面の男に話しかけられたのも、偶然のなせるわざ。
そして、異様な “賭け”を持ちかけられたのも──。

あまりにも意外な結末が待ち受ける、一夜の密室劇を描いた表題作ほか、
極北の国々を旅する日本人青年が遭遇した二つの美しい謎「北欧二題」など、
本格の気鋭が腕を揮ったバラエティ豊かな短編ミステリの饗宴。
第64回日本推理作家協会賞受賞作を表題とする、5つの謎物語。

収録作品
「人間の尊厳と八〇〇メートル」
「北欧二題」
「特別警戒態勢」
「完全犯罪あるいは善人の見えない牙」
「蜜月旅行 LUNE DE MIEL」



文芸書担当者に、
「この本面白かった? 積んだら売れそう?」
と訊かれました。


何が売れるかがわかったら、本屋なんて何の苦労もないんじゃ、ぼけ。


とは口にせず。


「あくまで個人の感想だけど」と僕。


「通販番組のテロップみたいな前置きは要らない」


「面白かったと思う。理屈っぽさが好き。人情噺みたいなストーリーを書いていてもロジックを大切にしていると思った」


「ふーん。なんだかよくわかんない」


「なんでだよ? 要するに本格ミステリのお手本みたいな作品ってこと。魅力的な謎と美しい着地。ミステリの必要十分条件だろーが」


「それは必要条件であって十分条件じゃない……ってまえにアンタが言ってたけど」


「上司をアンタよばわりすんな」


「上司なら発言に責任を持て。それより、結局どんな話なの?」


「えーと。表題作は、酒場で見知らぬ男に800m走で勝負しないかと持ちかけられる話」


「ツッコミどころ満載だけど……とりあえず訊きたいのは、まずなんで800m?」


「それは物語の前半部分で延々と説明してくれる。たまたま入った酒場で、偶然会った男と、何の必然性もないのに、800m走という陸上で最も過酷と言われるレースを行うという、蓋然性の低い行為をするということが人間の尊厳の証明になるらしい」


「酔っ払いの馬鹿さ加減の証明にしかならない気がする」


「まあそう言うな。読んでいると意外なことに結構、納得できるから。

 話を持ちかけられた方の男は、走るのがあまり得意ではない。相手のほうが酔っているようだが勝てる見込みはあまりない。
 でもその話に乗ってみていいかも…と思い始める」


「さすが酔っ払いだね。アタシなら見知らぬ人と駆けっこなんかしないわ」


「まあまあ。
 で、いざ勝負……という前に男は提案をしてくる。『お前は幾ら賭けるんだ?』と」


「ああ。そういう展開ね」


「賭けを持ちかけられた男は財布の中身を全部吐き出させられる。
 一方、言いだしっぺの男は持ち合わせがないからと、何と自分の土地の権利書を出してくる」


「あー、もういいわ。延々聞いててもただの酔っ払いのタワゴトだわ。
 ねえ。それどこがミステリなの?」


「この物語の結末がどこにいくかがすごく魅力的な謎じゃん。
 この二人は持ち合わせ全額と土地の権利書を賭けて800mを実際に走るのか?
 勝つのはどちらなのか? そして彼らは本当に人間の尊厳を証明できるのか?
 気にならない?
 この物語はね。2回ひっくり返されて、それから最後に美しく着地する。
 まさに人間の尊厳を証明してね」


「何、恰好つけて締めようとしてんの。結局面白いの、これ。よくわかんないんだけど」


「だからさ、面白いか面白くないかっつったら僕は面白かったよ。
 表題作もだけど、特に『蜜月旅行 LUNE DE MIEL』なんか、シニカルで最高だった。
 それから『特別警戒態勢』も星新一さんのショートショートみたいな面白さがあったな。
 持って回ったばかばかしさというか。
 一人の人間にドッキリを仕掛けるのに100万人のエキストラを使っているような……ああ、あまり言うとネタバラシになるな」


「ふうん。じゃあ売れるかな」


「だから売れるかどうかはわかんねーって。一般受けする本じゃないことは確かかもね」


「でも装丁は結構売れそう」


「そう思うんだったら積んでみりゃいいじゃん」


「うーん……ちょっと考えてみる」


ほぼノンフィクションで書店員同士のリアル会話を再現してみました。
……ハナシにオチがありませんが。
すいません。
もし面白いかもと思った人はぜひ読んでみてください。