熱い気持ちで医療をすゝむ。 -6ページ目

熱い気持ちで医療をすゝむ。

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今年もまた、年末年始を利用してMSF(国境なき医師団)に参加することになりました。

国境なき医師団から、2019年11月19日に一通のメールが届きました。

Dear Tomohiro,

Hope this email will find you well.

OCP is looking for a surgeon who can file a gap from 23rd December until 9th of January in Aweil project South Sudan. I wonder if you can be interested and available?

 

OCPというのは、Operation Center PARIの頭文字です。国境なき医師団パリが外科医を探しているという内容で、国境なき医師団日本が私にmissionをオファーしてくれたのです。去年も参加したmissionなので興味があり、すこし悩みながら、クリニックのマネージャーに相談をして、参加することを決意しました。 参加するに当たっては、クリニックの体制をしっかりしなければならず、できる限り、患者さまに迷惑をかけないように、準備をしなければなりません。 これには、マネージャーを含めみんなが連携をして、患者さまに連絡をして、お許しをいただきながら、フォローしていただきました。 きてくれる先生もみんな協力してくれて、私が心配なくこのミッションに参加できるように、準備してくれました。感謝感謝です。 嵯峨根先生や高木先生が、"one team”で頑張りましょうと言ってくれたのには、心がじーんと熱くなりました。

 私が、国際医療支援活動をし始めたのは、2008年でした。当時、クリーブランドクリニックから帰国して、慶應の医局を飛び出し、当初からの念願の国境なき医師団に入ることができ、もう10年が経過します。毎年1ヶ月ぐらいmissionに参加できればと考えていました。戸塚共立病院の理事長である横川秀男先生にお会いでき、私の働き方を相談し、理解をいただいた恩師です。

 横川先生は、ラガーマンで同じ心臓血管外科医であり、気持ちを理解してくれたのかもしれません。勤務医時代には、MSFのミッションの参加も認めていただき、様々なmissionに参加しました。ナイジェリア、パキスタン、イエメン、イラクなど、もちろん東日本大震災の際には、戸塚共立グループ(TMG)の支援活動として山田町に入りました。国境なき医師団もきていて外から国境なき医師団の活動をみる良い機会になりました。

 そんな私は、2015年に開業をし、開業をしたらもっと自由に参加できるのではないか、また、このような活動を知ってもらう良い機会になるのかとおもっていましたが、開院後3年間は参加なんてできるどころの話ではありませんでした。

 地域の患者さまに貢献するという使命の方が強くなり、必死に地域医療を行ってきました。3年がたち、理解してくれる仲間が増え、ようやく、2018年年末から2019年の年始に、南スーダンのmissionが決まり、皆さまの協力のもとに活動できました。この時も、嵯峨根先生や高木先生や、スタッフが一枚岩となって頑張ってくれました。

 南スーダンは、2011年に独立した世界で一番新しい国と言われていますが、その2年後に政府と反政府勢力が衝突し、内戦に陥りました。今でも全人口の約3分の1にあたる約430万人が、避難生活を続けています。2017年に(国連平和維持活動)PKOとして派遣されていた陸上自衛隊が撤退し、ニュースが届かなくなったように感じますが、今でも首都のジュバでさえ、避難キャンプもあり、夜になると警察が検問に立ち、警戒を続けています。 地方はさらに深刻です。私が、参加したmissionは、Aweilというところの医療支援です。医療が届かない地域で、治療の必要な子供たちが多く治る病気でさえ、簡単に死んでしまうのです。昨年、このmissionに参加し、一年後にどうなっているか興味がありました。今回、missionに参加する理由もそこにありました。前回のmissionでは、南スーダンの若い医師も教育して、育てなければなりませんでした。サージカルスキルやナレッジといって、技術と知識をもっと高めて、色々な治療ができるように育てなければなりませんでした。彼に、治療の全てを一緒に考え、血管吻合や診察の仕方、指先の感覚、エビデンスを含めた治療を意識させることが多かったと思います。

 その彼がどのように成長しているのかも気になるところで、南スーダンの現状を見に行きたいと思ったのです。 

 道には、がれきやゴミが散乱し、擦り切れ汚れた服をきている子供たちが多く、日本も戦後直後は、同じような環境だったと思います。日本と同じように、人々が平穏に暮らせる日が来ることを願ってやみません。 

 missionに行くことを許してくれた患者様やスタッフの皆さま、家族にも感謝しなければなりません。高木先生の"one teamで頑張りましょう”という言葉には、勇気づけられ、感謝の気持ちでいっぱいです。"One team" 良い響きですね。