3月13日、川勝知事及び難波静岡市長の定例記者会見が開催された。
☆難波市長会見での質問
静岡朝日テレビ
・東海道新幹線の停車回数が増えるが何を期待するか?
・リニアと東海道新幹線どうバランスをとっていくか?
☆川勝知事会見での質問
産経新聞(幹事社)
・リニアモニタリング会議の所感は?
静岡朝日テレビ
・空港新駅について
・リニアが開業していない状況での期待は?
静岡第一テレビ
・JRはボーリング調査を説明したいと発言があったが?
SBSテレビ
・ボーリング調査で流域市町の確認をすると言ったが?
・モニタリング会議にボーリング調査も含めてと言ったが?
中日新聞
・ボーリング調査は流域の総意か?
☆マスコミ各社の報道
静岡第一テレビ
SBSテレビ
静岡朝日テレビ
産経新聞
静岡新聞
リニア以外の川勝知事会見の記事
共同通信
テレビ静岡
静岡朝日テレビ
SBSテレビ
静岡新聞
文化とは、人間により創造されたもの、人工物であり、その社会において後天的に学ぶべきもの全般のことであると言える。 そのような意味で、文化の種類としては言語、宗教、音楽、料理、絵画、哲学、文学、ファッション、法律などが挙げられる。
アラカンおじさんのコメント
難波静岡市長、川勝静岡県知事の定例記者会見が同じ日に行われた。
この日の主役は会見する両者ではなく、質問した中日新聞の記者だったと言えるだろう・・・
記者の質問とそれに答える首長との応酬戦だったと言えた。
マスコミ各社はどのように報道するのかと注目していた。
第一ラウンドの難波市長会見では
駿府マラソンについて難波市長が警察署に出向き謝罪したとする記事はそんな事実はなく間違いだと明らかにされた。
火災時における人身事故の件では質問する記者に一面しか見ていないとマスコミの姿勢に苦言を呈した。
第二ラウンドの川勝知事会見では
JR東海の社長と流域市町の会談で島田市長が記者会見で直ちにボーリング調査を求めたことは全員の合意だとされたことについて過半数の首長は条件を付けていたことが明らかになった。
中日新聞は各首長に再確認したことについて不満を示した。
そして、反発するかのように磐田市に籍を置くなでしこリーグ一部 静岡SSUボニータの川勝知事表敬訪問での面談での発言を批判した。
YouTubeで配信された市長、知事会見を見て、中日新聞記者の質問は重箱の隅っこを突っつき、いちゃもんを付けているように感じたのだが、マスコミの報道は違った。
記事では対立を否定しながら、自らは平然と対立の構成で記事を書く。
いつものことながら前段部分を隠して報道するため違った結論を報道することになる。
要するに知事を貶めることが目的だとして伝わってくる。
「磐田っていうところは文化が高い。浜松よりもともと高かった」がどうして「浜松の文化は低い」となるのか、マスコミの解釈は全く理解できない。
筆者はこれまで札所巡礼の記事を書いてきたが、遠州33観音の1番札所は森町であり、遠江33観音の1番札所は掛川市にある。そして遠江49薬師の一番札所も磐田市である。
地形的にも磐田市は遠州地方の中央部に位置し、中遠と呼ばれている。
浜松まつりで引かれる豪華絢爛な屋台の発祥地は磐田市の掛塚である。
要するに浜松は近代になってオートバイや楽器等を中心に発展した新しい町ということである。
今でこそ現・東海道は浜松市の南部(中心部)を通ているが、古道(本坂道)は見付(磐田市)から浜松を迂回して浜名湖の北側を通って御油(豊橋市)に至っている。
三ケ日に多くの寺院が存在するのもこのためである。
スポーツの普及もある意味で文化である。
磐田市は高校女子サッカー全国大会が初めて開催された場所である。
現在では高校女子サッカーと言えば藤枝市の順心高校(藤枝南)が有名である。
男子の藤枝東高校のサッカーによる活躍が大きい。
従って、藤枝も磐田もサッカーへの認識は高い。
そして、今回話題になったのが磐田市を拠点に活動する女子サッカーチーム 静岡SSUボニータ である。
ボニータは17日にヤマハスタジアムで行う開幕戦のPRのために川勝知事を訪問した。
本来、会談の中身は当事者間の問題である。
要するにボニータの人たちがどう感じたのかに尽きる。
しかし、マスコミの報道により、台無しになってしまった。
一番傷付いたのはボニータである。
知事への訪問で 知事を追い込んでしまった と訪問したことを悔やんでいる可能性さえある。
「知事を追い込むためには何をしてもよい」とするマスコミの姿勢は批判されるべき対象である。
一番文化度が低いのは物事を一面からしかとらえられないメデイアかも知れない・・・
本坂道(Wikipedia)
本坂通は、静岡県遠州から愛知県三河にかけて、本坂峠を越えて浜名湖の北側、三ヶ日を通る東海道見附宿(静岡県磐田市見付町)と東海道御油宿(愛知県豊川市御油町)を結ぶ街道である。
上代には、天竜川の下流は磐田の海と呼ばれる湖で、東側に大乃浦という湖もあったため、この道は東海道の本道として利用され、二見の道(ふたみのみち)と呼ばれていた。磐田海や大乃浦の水が引いた後、東海道が浜名湖南岸を通るようになり往来が盛んになると、二見の道はさびれていき、裏街道としての役割を担うようになった。