遠江四十九薬師霊場

遠江四十九薬師の巡礼が始まったのは江戸中期の享保17年2月だとされています。

享保17年に奉納された御詠歌の板額が複数現存しているが

昭和に入り多難な時代が続いたことから、忘れ去られていました。

昭和46年大東町の元中学校長の鷲山氏が眼病平癒を願って全札所の所在地や沿革などを調べました。

昭和52年7月油山寺の鈴木住職が初代会長として「遠江四十九薬師奉賛会」が発足しました。

薬師如来は遥か東方の地面が瑠璃(るり)で出来ていている国の教主です。

その名の通り医薬を司る仏で、医王という別名もあり、人々の病気を治す仏とされていて、このため左手に薬壷を持っています。

私たちが生きている間に、救いの手を差しのべてくれる現世利益の仏として昔から信仰されてきました。

 

今は無き、磐田市の国分寺を第一札所とする浜松市、袋井市を経て磐田市の第四十九札所慈恩寺まで番外を含め52の寺院、その道のりおよそ150kmを車ではありますが巡ることができましたので、その証として記録しておきます。