遠江における勢力図を決定付けた 高天神城の戦い における前哨戦の地、徳川勢の本陣が置かれた 馬伏塚城 と 岡崎の城山 の現地を訪れてみました。

 

 

高天神城の支配者

今川 →(徳川)→ 武田 → 徳川 → 廃城

 

高天神城の戦いで、徳川家康は横須賀城を拠点に高天神城を奪還します。

馬伏塚城岡崎の城山 は目的を終え廃城となりますが、横須賀城は横須賀藩として掛川城(掛川藩)と共に存続します。

 

§2 岡崎の山城

 

郷土資料館から袋井市浅羽支所前の道を東に向かって進むと岡崎の山城が見えてきます。

今回は②のコースです。(所要時間徒歩3時間)

お弁当持ちで馬伏塚城と併せた③のコースもあります。

途中、龍巣院で休憩するのも良いですね。

 

 

尤も、当方は車で行ったので現地滞在は30分くらいです。

城山北側にある「子之神社」を起点に探訪しました。

二の曲輪跡に建つ北八雲神社とは別のものです。

 

 

子之神社南側には当時の堀を連想させる小川があります

 

さらに進むと(多分)切堀、左側には民家がありました

 

うろ覚えですが、多分切堀を北側に向けて撮影

 

表示が無いので推定ですが南側の虎口、進めば二の曲輪

 

こちらは北八雲神社(二の曲輪跡)の入口

 

道に沿って進むと正面に北八雲神社が見えます

 

案内板があるので城山について確認します

 

北八雲神社に行ってみます

 

西側の本曲輪跡は草木が生い茂ています

 

本曲輪東側の空堀

 

北八雲神社入口に戻り城山西側に回りました

 

途中西側の虎口(舟着場)は撮影を忘れた、北側の横堀?

 

 

・高天神城(後に廃城)

今川氏が築城した武田勢と徳川勢の境界線上にあった山城

義元死後、家康の持ち城となったが武田勝頼が奪還しその後家康に奪還され後に廃城となる

・横須賀城(横須賀藩として継続)

高天神城奪還のための拠点として家康により築城された

・馬伏塚城(後に廃城)

家康は高天神城奪還のため拠点として改修した

・岡崎の城山

高天神城攻略の補給拠点として築城した

 

往時の馬伏塚城や岡崎の城山の周囲には低湿地や潟湖が広がっており、小舟が往来する水上交通網が発達していた。さらに南には浅羽湊、横須賀湊があり、家康は横須賀城と湊を結ぶ水上交通網による兵士ならびに物資の大量輸送ルートの構築に着手した。家康はたびたび来城しており、高天神城奪還に対する並々ならぬ決意と執念がうかがえる。