静岡空港の航空貨物目標の1%  衝撃の記事だ。
 
今から40年近く前当時の竹山知事が提唱した小笠山国際貨物空港の構想が静岡空港の原点だ。
 
1970年代に入って小笠山国際貨物空港を作りたいという動きがあった。
袋井市などの地元住民の反対運動で頓挫した。
 
1985年浅羽沖の遠州灘への誘致計画が立てられた。
1986年中遠に空港を作りたいという圧力が斉藤知事の空港設置取り組み表明となった。
 
1986年6月に14ヶ所の候補地が挙げられ、9月に3ヶ所に、12月には榛原で空港建設を決定した。
 
もともと、浅羽を中心とした遠州灘に空港を作ろうとしてきた歴史があることから
当時の栗原浜松市長は
「空港は拡張の可能性がある浅羽が客観的に最適、西部と中・東部が綱引きして政治問題化しているのは遺憾である」と述べている。
 
住民への説明はほとんど無く県議会の審議も無い中、斉藤知事は議会各派の代表者会議で「榛原に決定する」と言って決まった。
 
浜松商工会議所の会頭は新聞記事で
「将来、国際空港、フルタイム空港、貨物空港などになり得る可能性の無い場所に決まり、税金の無駄遣いに感じる。産業の多い西部としては利用価値は無いとはっきり発言している。
 
その後、西部の財界はセントレアの建設に協力している。
 
静岡空港の建設地を決定した時点で貨物空港は断念している。
 
静岡空港は東名から近い、需要も充分ある。後は利便性の問題だ。
静岡空港には貨物空港としてのスペースがあるだろうか?
地元は夜間飛行を容認できるだろうか?
精精、旅客機の貨物スペースを使用して運ぶのが限度だろう。
 
静岡空港の未来には苦難が伴う。
建設地決定にあたり客観的事実によって決定していないからだ。
利活用向上のためには、建設時に約束した気象対策や新幹線駅などの問題を解決することだ。
 
県内にあった数ある空港の諸問題の歴史を無視して、6ヶ月という短期間で決めてしまった十字架は重い。