県では「ふじの国づくり」をめざし国土交通省のような組織を設置するようだ。

静岡空港を中心に空・陸・海の交通ネットワークを構成するという。空港から10分で東名に繋がった。御前崎港にはもうすぐだ。第二東名も姿が見えてきた。国一を経由して金谷ICで接続されるだろう。第二東名からは山梨や長野に、沼津からは伊豆へ・・・最後は新幹線空港直下駅で完成だ。
ちょっと待て、どこかで聞いたことがある。そうだ、20余年前静岡空港決定時の知事の声に似ている。

そうだもう一度、静岡空港の歴史を振り返ってみよう。

静岡空港の現在地決定が1987年。セントレアの候補地決定が1989年。羽田A滑走路の施設拡張が1988年。D滑走路着工は2007年である。

静岡空港の歴史は1981年の「静岡県民間空港研究会」に遡る。県西部の財界が自衛隊基地を民間で利用できないか模索した。
その後議論は県営空港に移り、遠州灘沖の海上空港と、現在地の2候補地から気象条件や管制が難しく反対者の多いことを承知で現在地を斉藤知事が決定した。
その時の理由が静岡県の中央に位置し、「新幹線がある」「東名に近い」「港に近い」である。建設大臣を経験した当時の知事は鉄道、道路、港とのネットワークを評価し、羽田の補完空港としての位置づけをした。できていれば日本で唯一の高速交通機関本体との接続ができ、日本は変わっていたはずである。
ところがいろいろな事情で開港が遅れ、長所の理由が不要の理由に摩り替わってしまった。

国鉄分割民営化の影響もあったが、世界のトヨタが全面的にバックアップしたセントレアに抜かれ、不要な空港の代名詞になってしまった。セントレアの建設にはトヨタの関連企業も多い西部地区も関わっている。

世間では石川知事が強引に空港建設を進めたように言われる。しかしこれは間違いである。官僚特有の気配りが過ぎて遅れた面もある。もし民間出身の斉藤知事であればもっと時間を意識したであろう。

それにしても「なぜ無駄な静岡空港を作ったのか」という質問は今でも多い。やはりマスコミの影響は大きいのだろう。最近、インターネットで富士山と飛行機を絡めた写真が数多く紹介され、羽田と同じ距離にある静岡空港に富士山の冠をつけるのはおかしいという声は無くなった。実際管制の問題で、一度海上に出て高度を上(下)げるので富士山が飛行機から左右で見れる。遊覧飛行の要素もあり搭乗者からは評判のようである。普天間の問題では静岡空港を推奨する国会議員もいるがあまりにも静岡空港の位置を理解していない発言であきれる。まだ、静岡空港建設を決めたのが石川知事だと思っている人が多い。まだまだ静岡空港の誤解を解くのには時間が掛かりそうだ。