ヨ・ラ・テンゴ、まとめて、アルバムをレビュー
Painful / Yo La Tengo

ペインテックス・・・、じゃなくて、「Painful」ですね。(ペインテックスとは、手芸の一種で、顔料を用いて布・革・紙などの上に絵や図案を描くものの事。)
「Painful」は、三十路を越えてから、ブック・オフで中古で1200円で購入した訳だけど、ヨ・ラ・テンゴにしては、安く買えた方だヨン。
まぁ、ヨ・ラ・テンゴの存在は20代後半になるまで、恥ずかしながら存じ上げ無かった訳で、20代前半までは、ハイプ(誇大宣伝)に依って配布されたロック・バンドをメインに聴いていた訳で、その頃は、連日、聴いている音楽のレンジが狭かったと思うんだよねぇ。
それは、兎も角、ヨ・ラ・テンゴは、ニュージャージー州ホボーケンを拠点に80年代から活動するインディ・バンドで、元々は、アイラとジョージアの二人体制で、プロジェクト的な形態を採っていたヨン。
「Painful」(1993)は、ヨ・ラ・テンゴが、マタドールに移籍してからの初のフル・アルバムで、バンドの形態も現在のアイラ、ジョージア、ジェイムズの3人体制に落ち着いて制作されたアルバムで、バンドにとって重要な意義を持つ作品になっているヨン。
まぁ、90年代前半の頃のヨ・ラ・テンゴは、ディストーションが全開になったフィードバック・ギターのノイズが最も際立っていた時期であり、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやライドなどのシューゲイザー、或いは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどのガレージ・ロックが好きな人にとっては、「Painful」が最も好きなアルバムになると憶測するヨン。
以下、「Painful」の収録曲について、ピック・アップして解説していくヨン。
1曲目「Big Day Coming」は、サイケデリック風のオルガンが印象的であり、アルバムの空気感を決定的にする名曲ですが、まぁ、それは兎も角、私の2010年以降の人生の展開は、「Big Day Coming」の連続で、それは、今も継続しているヨン。
2曲目「From A Motel 6」は、歪んだギターが全開になっていて、そのエネルギーをダイレクトに感じる事が出来る名曲で、1曲目と共にシングル・カットされているヨン。
9曲目「The Whole Of The Law」は、ジ・オンリー・ワンズのカヴァー曲で、デカダン的な雰囲気を漂わせるこの曲は、ヨ・ラ・テンゴの意図的な遊び心をリスナーに感じさせる事に成功しているヨン。
12曲目「Shaker」は、映画「愛・アマチュア」のサウンドトラックにも収められている曲で、ボーナス・トラックとしてアルバムに収録されているヨン。
13曲目「For Shame Of Doing Wrong(Slide Version)」は、リチャード&リンダ・トンプソンのカヴァー曲で、上記と同じくボーナス・トラックとしてアルバムに収録されているヨン。
14曲目「Ashes On The Ground」は、ハーフ・ジャパニーズのカヴァー曲で、上記と同じくボーナス・トラックとしてアルバムに収録されているヨン。
「Painful」の曲の中で、社会的メッセージ性のある着目すべき歌詞を以下、抜粋。
-「約1マイル先から、すごい日がやってくる スゴイ日がやってくる、もう待ちきれないよ」-(「Big Day Coming」)
-「君がいなくなっても僕にははっきりわかるんだ 君は支離滅裂になりたいんだろ」-(「From A Motel 6」)
Electro-O-Pura / Yo La Tengo
エレクトロルミネセンス・・・、じゃなくて、「Electro-O-Pura」ですね。(エレクトロルミネセンスとは、蛍光体が電場の中で発光する現象の事。表示素子などに利用する。)
「Electro-O-Pura」(1995)は、レンタルしてリッピングして聴いていますが、「Painful」を購入した時に、このアルバムも中古で同じ値段(1200円)で売っていて、今、思えば、その時に購入しておけば良かったなぁと後悔していて、心が「Painful」になっているヨン。
因みに、「Electro-O-Pura」は、リッピングしているだけではなく、MDにもダビングしていて、2000年代後半から2015年までは、夜、車(デミオ)のカー・ステレオで、このアルバムを頻々に聴いていた訳で、まぁ、「Painful」、「Electro-O-Pura」、「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」の3枚のアルバムは、夜のドライブに、非常にですね、近藤マッチ、すると思うヨン。
(基本的に、夜のドライブに似合うオルタナティヴ・ロックというのは数が少なく、まぁ、大体やね、夜のドライブの時には、ジャズ、デトロイト・テクノ、HIPHOP、R&B、といったブラック・ミュージックを中心に聴いていた事が多かったと思うヨン。そして、現在は、他者の色々な策略に依って、私は、車の運転が出来ない状態にされてしまいましたけどねぇ・・・。)
まぁ、それは兎も角、ヨ・ラ・テンゴの中で最も印象に残る曲としては、「Painful」に収録されている「Big Day Coming」が、個人的に筆頭として挙がるけれど、ポップな曲として最も印象に残るのは、このアルバムに収録されている4曲目、「トム、買ったねぇ・・・」、じゃなくて、「Tom Courtenay」なんだよねぇ、まぁ、個人的な意見というよりは、皆、そう思うだろうけどねぇ。
又、このアルバムの白眉は、14曲目の「Blue Line Swinger」で、この曲のギター演奏に関して言えば、ネオ・サイケデリック・ロックの旗手としての本領を発揮している、と言えるのではないか、と思う位に、ワンダホ~だヨン。
最後に総括するなら、「Electro-O-Pura」のアルバムとしての所感は、ポップ化された収録曲が増えて、全体的に聴き易い雰囲気になっていて、ヨ・ラ・テンゴの入り口として聴くのに適したアルバムになっている、と個人的には思う訳だヨン。
「Electro-O-Pura」の曲の中で、社会的メッセージ性のある着目すべき歌詞を以下、抜粋。
-「過去に深くリタイアして オレとこのチャンスにかけろ、なぜってこれが お前の最後のチャンスなのだから」-(「Decora」)
-「オレの目はおまえの見えないところが見えるんだ オレから隠れてるのはそう簡単なことじゃない どこへいっても話し声が聞こえる どこへいっても笑い声が聞こえる」-(「Flying Lesson (Hot Chicken #1)」)
-「輝く星はお前のものじゃない プールそばのいいなりの愚かさ 哀れなにやにや笑いがぴったりだ トリックの練習、底無しの穴 お前を見てるとオレのなりたくないものに気付くんだ」-(「(Straight Down To The) Bitter End」)
Genius + Love = Yo La Tengo / Yo La Tengo

地に明日、降らす、雷雨、スコール、夜、天候・・・、じゃなくて、「Genius + Love = Yo La Tengo」ですね。(スコールとは、急激に起こる強風で、数分間続き突然止むもの。一般に降水や雷雨を伴う。)
「Genius + Love = Yo La Tengo」(1996)は、ゼロ年代前半に、輸入盤を中古で500円位で購入していて、このアルバムが私が最初に手に入れたヨ・ラ・テンゴのアルバム、という事になっているヨン。
まぁ、このアルバムは未発表曲を集めた企画盤であって、特に気に入っている訳では無いけれど、ジャクソン・ブラウンのカヴァー曲「Somebody's Baby」等、意外と印象に残る収録曲は、何曲か、有る有る探検隊ですねぇ。
特に、「Evanescent Psychic Pez Drop」、「Demons」、「Fog over Frisco」、「Hanky Panky Nohow」、「Something to Do」、「Cast a Shadow」、辺りの曲に関して言えば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやソニック・ユースを髣髴させるというよりは、更に進化させた曲だと言えると思うヨン。
まぁ、それは兎も角、ヨ・ラ・テンゴは、「愛と才能が満ち溢れた分だけ、美貌を放棄してしまったバンド」、若しくは、「世界一、体脂肪率が高い3ピース・バンド」と形容されていますが、私は、親心として、納豆やオクラやメカブなどのネバネバした食品を食べて、血液をサラサラにしたら良いべよ、とメンバーに言っておきたい処ですねぇ。
I Can Hear the Heart Beating as One / Yo La Tengo

「I Can Hear the Heart Beating as One」(1997)は、2005年辺りに、水戸市の内原AEONにあるタワーレコードで、購入していますね。
まぁ、ヨ・ラ・テンゴのアルバムの中では、「I Can Hear the Heart Beating as One」が、一般的には最高傑作として評価されていて、まぁ、私にとっては、最も好きなアルバムとは言えないけれど、最高傑作との評価には、異論が全く無い心太(ところてん)ですねぇ。
そして、このアルバムの雰囲気としては、気怠く美しいサイケデリック・ミュージックに依って、都市部のロマンチックで幻想的な世界観を巧みに表現している訳で、まぁ、何て言えば良いんですかねぇ、何かこう、やる気が起きない夏の日の午後の時間帯に、四畳半の畳の部屋で、マッタリ・グッタリ・ゲンナリしながら、聴きたくなる感じなんだよねぇ。
それは兎も角、「I Can Hear the Heart Beating as One」の収録曲の中で、最も好きな曲を挙げるなら、REMを髣髴させる「Stockholm Syndrome」で、まぁ、実際にこういった名称の心理的症状が有る訳ですが、支配と依存の関係が如何に危険かという事を、国民は切実に考えた方が良いと思いますねぇ。
又、それ以外で印象に残る曲と言えば、先行シングルの「Autumn Sweater」ですが、私は、セーターを着る機会が今までの人生で少なくて、明日からの人生も、セーターを着る機会は少ないと思いますねぇ。
そして、次にシングル・カットされた「Sugarcube」も印象に残る名曲で、「君が何を欲しがろうと、何を望もうと僕はやるよ」という歌詞の一節が意味が深く感じられて、心に刻まれる事になるけれど、私はコーヒーに角砂糖は入れる事は無く、必ずブラックで飲みますねぇ。
まぁ、余談ですが、ヨ・ラ・テンゴのアイラとジョージアの二人は、ソニック・ユースのサーストン・ムーアとキム・ゴードンに次ぐ、オルタナティヴ・シーンで2番目に有名な鴛鴦(おしどり)夫婦と呼ばれていて、まぁ、鴛鴦は、いつも雌雄一緒に泳いでいる事から、仲の良い夫婦の例えとして「鴛鴦(おしどり)夫婦」という言葉を使うという訳で、まぁ、鳥のトリビアリズムなんだけどねぇ。
最後に総括するなら、「I Can Hear the Heart Beating as One」の感想としては、ポスト・ローファイを意識した音の質感で有りながら、モダニズム、且つ、シックで洗練された雰囲気を併せ持っていて、ゼロ年代に聴いた時は、「これが21世紀のオルタナティヴ・ロックだろ!」と、誰かに話して少しスッキリしたい気分だったのを憶えているヨン。
「I Can Hear the Heart Beating as One」の曲の中で、社会的メッセージ性のある着目すべき歌詞を以下、抜粋。
-「毎日彼らは僕の窓の外で金切り声をあげる すさまじい音をたてる車は絶対衝突しないようだ」-(「Deeper into Movies」)
-「空が灰色になった、未完成のまま目覚める 空中に漂う、あえて言う勇気もないけど」-(「The Lie and How We Told It」)
And Then Nothing Turned Itself Inside-Out / Yo La Tengo

「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」(2000)も、上記と同様に、2005年辺りに、水戸市の内原AEONにあるタワーレコードで、購入していますね。
「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」は、私のブログのランキングで、ROCK部門で10位にしている訳で、相当に気に入っているアルバムなのですが、まぁ、ヨ・ラ・テンゴには、他のオルタナティヴ・ロックとは一線を画する音楽性のレベルの高さを感じるんだよねぇ。
つまり、どういう事かと言うと、レモンヘッズや初期のREMみたいなシンプルだけど飽きない、といった魅力とは異なり、最初に聴いた段階で、音楽性のレベルの高さに衝撃を受けるといった感じで、まぁ、それは、オルタナ第二世代のフレーミング・リップス辺りにも通じる感覚では有るけれど、ヨ・ラ・テンゴのレベルまでには達していないと思うんだよねぇ。
まぁ、「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」で言うなら、「Painful」の1曲目「Big Day Coming」の衝撃と同様に、アルバムの1曲目「Everyday」のドローン風の響きと陰鬱で気怠いハーモニーの美しさに衝撃を受ける訳ですが、衝撃度で言えば、ジム・オルークの「Eureka」を最初に聴いた時と双璧のレベルだと、個人的には感じているヨン。
以下、「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」の収録曲について、ピック・アップして解説していくヨン。
1曲目「Everyday」は、曲も素晴らしいけれど、歌詞のレベルも高く、資本主義のマネー・ゲームが支配するアメリカの社会で、魂の安息する居場所を求める光景を表現していて、まぁ、それは、今の日本国民の現況としても、考慮しなくてはいけない処が有るのではないか、と思いますねぇ。
3曲目「Saturday」は、ファースト・シングルとなった曲で、ハウスを取り入れながら、ジャズ的なアプローチもしていて、静謐で心地よい曲に仕上がっているヨン。
7曲目「You Can Have It All」は、70年代のディスコでヒットした、ジョージ・マックレーのカヴァー曲で、単なるノスタルジーに陥る事の無い存在感と透明感をこの曲で感じる事が出来るヨン。
12曲目「Tired Hippo」は、チープなキーボードが響くインストルメンタルの曲で、さりげない日常のセッションや語らいの風景を切り取った佳作の曲になっているヨン。
最後に総括するなら、「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」は、静謐で薄暗いトーンで統一されていて、そして、都会の孤独や閉塞感を感じさせる雰囲気のアルバムに仕上がっていて、それは、リスナーに精神的な落ち着きを与える処もあって、ヨ・ラ・テンゴのアルバムの中では、個人的に最も繰り返して聴くアルバムになっているヨン。
「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」の曲の中で、社会的メッセージ性のある着目すべき歌詞を以下、抜粋。
-「だから、僕はやってみようとしている」「僕たちの力の限り」-(「Our Way To Fall」)
-「部屋は話し声でいっぱい 聞いているだれかのために」「顔にはそれを出さなかった 見ているだれかのために」-(「Saturday」)
-「空っぽの感情が黒から青へと変わる」「君には決して起こらないとは思えない」-(「From Black To Blue」)
Summer Sun / Yo La Tengo

サマー・ハウス・・・、じゃなくて、「Summer Sun」(2003)ですね。(サマー・ハウスとは、高原・海浜などにある避暑用の別荘の事。)
「Summer Sun」も、上記と同様に、2005年辺りに、水戸市の内原AEONにあるタワーレコードで、購入していますね。
通算10作目となる「Summer Sun」は、ヨ・ラ・テンゴが、フリー・ジャズに入れ込んでいた時期の作品だヨン。
「Summer Sun」の音楽性として、フリー・ジャズの影響は、美しい不協和音、意表を突く変拍子、フリーキーなインスト曲、エキセントリックに響くピアノ、多彩な表情を持つフルートやトランペットの音、等に感じる事が出来るヨン。
又、ジャジーでファンキーなグルーヴだけでなく、ポスト・ロック的な佇まいもあり、音の質感に拘りを感じますねぇ。
そして、アルバムの掉尾を飾る「Take Care」は、ビッグ・スターのカヴァー曲で、哀感を誘うペダル・スティールの音が印象的だヨン。
「Summer Sun」のアルバムの全体的な印象は、「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」と同様に、静謐で薄暗いトーンで統一されていて、「Painful」の頃のフィードバック・ギターのノイズ・サウンドは鳴りを潜めているけれど、過去の作品と比較すると音楽性は更にハイレベルになり、シックで洗練された雰囲気になっていて、魅惑的な倦怠感を惹起するアルバムに仕上がっていますねぇ。
最後に言うておく事として、「Summer Sun」は、私にとって、恐らくは「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」の次に、再生回数が多いアルバムであり、個人的には、この位の時期のヨ・ラ・テンゴが、バンドとして音楽性が熟成していて、キャリア・ハイの時期だと思っているヨン。
「Summer Sun」の曲の中で、社会的メッセージ性のある着目すべき歌詞を以下、抜粋。
-「なにかがまちがってしまって とても深いところへ沈んでしまう」「突然転んで とても深いところへ沈んでしまう」-(「Season of the Shark」)
-「むかしいつも なんて言ってたか覚えてる?」「いつだって 人を強くするのは苦しみだから 今日がその日、今日がその日」-(「Today is the Day」)
I Am Not Afraid of You and I Will Beat Your Ass / Yo La Tengo

「I Am Not Afraid of You and I Will Beat Your Ass」(2006)は、水戸市にある県立図書館で借りて来て、リッピングして聴いていますね。
まぁ、忌憚の無い感想を言うなら、このアルバムは前作と比較すると、曲のクオリティが少々、劣化している感があり、ヨ・ラ・テンゴのアルバムを購入するのに見切りを付ける切っ掛けになったアルバム、という次第になる訳だヨン。
とは言え、全体的には、まぁまぁ良質な作品だと言える訳で、只、2曲目の「Beanbag Chair」の曲調がポップ過ぎて、それが、アルバム全体の印象を悪くしている感があるんだよねぇ。
又、このアルバムから、何かこうね、良くも悪くも、マンネリ感が出てきたと言うかねぇ、目新しい感覚が殆ど無くなっていると言うかねぇ、フィードバック・ギターのノイズ・サウンドは、復活しているけどねぇ。
でも、「Painful」以降、数枚は傑作のアルバムを制作し続けてきた訳で、まぁ、良く言えば、今回は、アルバムのクオリティが、安定して落ち着いてきたとも言えるんだよねぇ。
私が思うには、スミスみたいに解散した方が印象が良いバンドが居る一方で、長く活動を続けていて、多少はクオリティが下がっていても、アルバムを出してくれるなら、それはそれで嬉しいと感じられるバンドも居る訳で、ヨ・ラ・テンゴは後者に該当すると思うんだよねぇ。
そして、この際に、重要な事を記すなら、奥山貴宏というライターが末期癌でありながら、小説を完成させた事は、クオリティ云々の問題では無く、大勢の人たちに勇気や希望を与えた行為であり、私も、僭越ながら、現在、相当に厳しい健康状態であっても、そういった観点で制作活動を命がある限り、頑張りたいと思っています。
(2026/10/18)