レンタル落ちDVDで100円で購入、安いっしょ~。
「十戒」は、20年位前の昔、県立図書館から、VHSを借りて観ているなり。
その時期は、基督教や宗教に関する知識に興味を持っていて、曽野綾子や三浦綾子や阿刀田高の作品を読んだり、聖書を購入して読んだり、その他、宗教学関連の書物を繙いたり、といった処。
聖書は、旧約聖書の途中までと新約聖書の所々しか読んでいませんが、神話と史実が混合されていて、物語として感興を催しますね。
「十戒」は、旧約聖書の中の「出エジプト記」に焦点を当てたストーリーの映画で、莫大な製作費が掛かった大作で見応えがありましたね。
しかしながら、上映時間、232分は相当な長さで、観るのに苦労を伴いましたが、巨大なセットや石像は本当に造ったのか?と、西川きよしのように瞠目する映像が多くあり、上映時間の長さに値する満足感がありましたね。
まぁ、「十戒」は、1956年の時点では、映画史上、最大の製作費(1350万ドル)だったんだよねぇ、1万5千人のエキストラと1万頭の家畜も使っているしねぇ、凄いですねぇ。
以下、DVDのジャケット裏面の粗筋、その他を、引用して記しておくなり。
真に壮観でスペクタルな巨編といえば、セシル・B・デミル監督による1956年の、リメイクにして最高傑作の「十戒」だろう。
これに肩を並べる映画はまずない。撮影はエジプトとシナイ山に、映画史上かつてない巨大なセットを造って行われた。
このリメイクではモーゼ(チャールトン・ヘストン)の生涯が描かれている。
一時はファラオ(ユル・ブリナー)の兄弟として育てられたモーゼは、王子という身分を捨て、彼の民に自由をもたらそうとする。
セシル・B・デミル本人による貴重なプロローグ付き。
と、粗筋、その他は、以上なり。
まず、映画の冒頭で、監督のセシル・B・デミルによる「十戒」の紹介があり、「映画のテーマは、モーゼによる自由の誕生である」とコメントしていますね。
映画のストーリーとしては、エジプト人から酷い迫害と差別により奴隷労働をさせられているヘブライ人の苛酷な姿と、自由を得る為に必死に脱出する姿が描かれていて、それは、今、世界で起きている紛争や内戦にも繋がっており、深く思索する必要性がある内容だと思いますね。
ストーリーの中で、肝要な処としては、老婆が石材の下敷きにされている時に、ヨシュアとモーゼが老婆を助け出す訳ですが、後々、老婆はモーゼの本当の母親だったと判明する訳ですね。
そして、モーゼは、エジプトのファラオの王の後継者にもなれたにも関わらず、任侠と自分の出生が大事だと考え、王子という身分を捨て、イスラエルの大勢の民と一緒にエジプト脱出を試みる訳ですね。
モーゼは、シナイ山での神の啓示によって、上記の行動を決める訳ですが、神は「皆人の中にある」、という言葉通り、ここで言う神の啓示は、哲学用語で言えば、人間としての格率を意味していると、私は考えています。
又、モーゼはヨシュアの救助の為に総督を殺害し、その後、ファラオの王から追放の処罰を受け砂漠に放り出させる訳ですが、偉大な事を成し遂げようとする者はそれだけ大きな試練を受ける、という事で、神から人間力を試させられている、と換言する事が出来ますね。
(映画上では、モーゼが砂漠に追放されるシーンで、「神に選ばれた聖者や預言者が必ず受ける試練である」、というナレーションが流れる。)
映画の印象として、前半は相当な緊張感と感情移入があって、時間を忘れる位の面白さがありました。
しかし、段々と後半になるにつれて、緊張感が失われて来るのは、神の業が絡んで来るとリアリティが失われる故にあり、基督教信者以外が観る場合、感想自体が大きく変わってくる可能性がある、と思いますね。
余談ですが、紀元前13世紀となってくると、何処までが事実なのか不明な点が多くなるとはいえ、モーセの歴史の記述として、紅海の水を分ける事が記されているのは、色々と宗教的な事情があると考えられますね。
ダーウィンの進化論に関しても、基督教信者と論争になる位だから、無宗教の日本人としては理解し難い感覚だと言えますね。
私の場合、迷信を信じる事無く、科学性と論理性を重要視する事を旨としていますが、誰もが科学を知れば知る程、森羅万象の不明な点が増大してくる訳で、意外と神の存在に関しては、それ程には否定的では無いですね。
映画の中でも、モーセが主の名を神に問うた後、神が「私は有って有る者」と答えていたのが印象的でしたが、現代でも、グレイトサムシング、という言い方をする事があり、そういう形而上的な存在を否定する事は、逆に難しいと思いますね。
まぁ、人間がこの世界に存在していること自体が不思議な事実ですからね。
そして、これは、「十戒」という映画の中で、最も重要な事実だと思うのですが、そもそも宗教というものは、政治的な役割を担う処もある訳で、「十戒」は法律に該当する訳ですね。
何故、「十戒」という法律が必要かと言えば、例えば、殺人について言うなら、道徳的心理と社会的因習だけでは殺人を防ぐ事が不可能であり、要は、法律が許すなら人を殺す人と殺せない人が居る訳で、人間の集団と社会的システムが法律を必要とする、という事ですね。
又、戦争は、云わば法律で許される殺人であり、そもそも人を支配する側が殺人を許せば、どんな形であっても殺人は許される事になり、乃至、国民の大多数が殺人を許してしまえば殺人は許される事になる訳です。
国民の意識次第では、現代のテクノロジーが発展したインターネット社会に於いて、水面下で暗黙的に差別や殺人が許される社会になる訳で、根本的に犯罪が許される社会になるかどうかは、国民の道徳的な意識と人間的感情に掛かっている、という事ですね。
畢竟するに、この映画は、出エジプト記について知識を得る事だけでなく、人間の存在と自由、神、森羅万象、政治、法律、道徳、その他についてまで考える事になる壮大なスケールの映画であり、改めて観賞して良かったと思いますね。
折檻されていたヨシュアを救う為に、モーゼが総督を絞殺して捕まった後、モーゼに問い質すファラオの王との会話を抜粋して、以下に記述しておきますね。(この会話の後、モーゼとファラオの王は、袂を分かつ事になる。)
-「何故わしに背く?」
「ご恩は忘れません。我が同胞は家畜のように追い使われ、苦しみ卑しめられ、希望も信仰も踏みにじられています。人種と宗教を異にするだけの為に、これが神意ではありますまい。やむを得ぬ行動です。」
以下、初期のイスラエル史について、引用しながら詳しく説明しますね。(引用元、ブリタニカ国際大百科事典)
ヘブライ(イブリ)人は言語上、北西セム語族に属し、古代に於いては主としてパレスチナに定住し、古くからイスラエルあるいはユダとも呼ばれていた。
旧約聖書によると、ヘブライ人の祖先(「族長」たち)はメソポタミアの遊牧民であったが、たぶん中期青銅器時代にシリア、パレスチナの砂漠周辺に移動し、一部はエジプトに入った。
現在では、前3千年紀末から前12世紀までのエジプト、メソポタミア、シリアなどで不特定の職業につく流浪の民ハピルとヘブライ人が同じものであったこと、そして旧約聖書の示す初期ヘブライ人の社会制度が北部メソポタミアのマリやヌジのような都市国家にもあったことなどが認められている。
前13世紀後半にエジプトのヘブライ人の指導者モーセが同胞を部族組織にまとめ上げて民族移動を起こし、カナン定着を目指した。
前1010年頃、初代の王サウルが戦死するまでの約250年間、士師と呼ばれた宗教的戦士がカナン人、ペリシテ人、アンモン人、モアブ人などと戦い、ダビデにいたってエルサレムを中心とする統一王国の建設に成功した。
次に、モーセについて、以下、引用しながら詳しく説明しますね。(引用元、ブリタニカ国際大百科事典)
前13世紀頃在世のイスラエルの立法者、預言者。
エジプトでレビ族の家系に生まれ、エジプト圧政下のヘブライ人を率いて脱出に成功した指導者。
イスラエルの子孫の力を恐れたエジプトのパロ(王)は出生した男児の殺害を命じたが、モーセはパロの娘(モーセの命名者)に救われ宮廷で成人した。
しかし、彼は苦役に従事する同胞を見、同胞を打ったエジプト人を殺したことからミデヤンに逃れた。
同地の祭司エテロの娘チッポラを妻として亡命生活を送っていたが、シナイ(ホレブ)山で神が彼に現れ、イスラエル人のエジプト脱出を命じたので、再びエジプトに戻った。
兄アロンの助けによって人々の説得に成功した彼は、パロの頑強な反対にあいつつも、出エジプトを決行、奇跡によって紅海の水を分け脱出を成功させた(出エジプト記1~14章)。
出エジプトの3日後、モーセはシナイ山で神と契約を結び十戒をはじめとするさまざまの掟が示された。
酬恩祭として捧げられた雄牛の血は契約の血と呼ばれている。
その後もモーセは約束の地カナンへ向けて長く困難な移動を指揮したが、40年の後、カナンへ途次モアブの地ネボ山に没した。享年120歳と伝えられる(申命記34章)。
(2026/2/1)