東海村立図書館で、DVDを借りて来たなり。
「戦場にかける橋」は、有名な映画ですが、今まで観た事が無かったんだよなぁ、1957年度アカデミー賞7部門受賞作品なんですけどね。

以下、DVDのジャケット裏面の粗筋を、引用して記しておきますね。
1943年第二次世界大戦下のビルマ。斉藤大佐を長とする日本軍捕虜収容所に、ニコルソン隊長率いる英軍捕虜が送られてきた。
鉄橋建設を急ぐ斉藤大佐は、米軍のシアーズとともに建設現場で働くことを彼らに命令。
工事は進み着々と橋は完成に近づくが、丁度その頃、同じ英軍の手によって橋の爆破工作が進められていた・・・。
戦下における人間の尊厳や誇りを見事に描き、戦争の狂気を強く訴えた問題作。
と、粗筋は、以上ですね。

映画のストーリーをもう少し、詳しく説明しておきますね。
英国人捕虜が収容されている第16収容所の側を走っている鉄道は、近くバンコク(タイ王国の首都)とラングーン(ミャンマーの都市、ヤンゴンの旧称)を結ぶ計画がある。
そして、クワイ川にかける橋にかける建設の為、イギリス人の捕虜が働く事になった。
脱走の件に関して、斉藤大佐は、「有刺鉄線も囲いも監視塔も必要ない。ジャングルの中の孤島からの脱走は不可能。死ぬだけだ。」と捕虜の一同に釘を刺しておく。
将校の労役への使用はジュネーブ条約27条に違反している為、ニコルソン大佐は労役の服務を拒否するが、斉藤大佐は執拗に働くよう命令する。
しかし、ニコルソン大佐が全く折れない為、狭い煉瓦内の場所に、不遇な扱いをしながら、監禁する事になった。
そして、ニコルソン大佐が、いつまで経っても屈伏しない為、斉藤大佐は、ニコルソン大佐に労役の服務に就かない事を許可する事になる。
一方、アメリカ海軍のシアーズ中佐は、死ぬ覚悟で脱走する覚悟を決めていた。
しかし、ニコルソン大佐に「私も部下もある法的な制約を受けている。我々はシンガポールで司令部から降伏を命じられた。命令だから脱走は軍律違反も同然なのだ。」と言われる事になる。
それでも、シアーズ中佐は脱走を決行し、同じ脱走した仲間は射殺されたり溺死したりしたが、何とか脱走に成功し、セイロン(スリランカ)の病院に無事、収容される事になる。
しかし、その病院内で、建設中の橋の爆破工作に加わる命令を受け、階級詐称していた事も話したが、シアーズ中佐は、現地に詳しい為、爆破工作に加わる事になる。
と、映画のストーリーを詳しく説明すると、こんな処ですね。

映画の中で最も感情移入して感興を催す処は、ニコルソン大佐がジュネーブ条約の遵守を一途に拘り、労役を依怙地になって拒否しているシーンなんだよなぁ。
ジュネーブ条約について説明しておくと、武力紛争の際の傷病者、捕虜、文民の保護に関して規定した国際条約で、赤十字条約とも呼ばれているんだよね。
日本は、1953年4月に加入という事になっていて、1943年の時点の効力については不明な部分があるにせよ、何故に瀕死の状況にありながら、ニコルソン大佐は折れなかったのか、解せない処があるんだよなぁ。
結局は、労役を拒否する権利を得る事に成功する訳だけど、それに関して、シアーズは、軍人らしく生きるより人間らしく生きるべきだと、否定的な考え方をしてるんだよね。
まぁ、確かに私もシアーズの考え方に関しては首肯せざるを得ないけど、ニコルソンとしては大佐のプライドと部下からの忠誠の問題があって、畢竟、それだけ戦争の状況は人を狂わせる、という事なんだよね。
そして、ニコルソン大佐は、その後、鉄橋の建設に誇りを持って全力を尽くす訳ですが、英国人の技倆を形として残す目的があるにせよ、敵国である日本の味方をする反逆行為とも言えなくは無いんだよね。
只、気持ちが少し理解出来るのは、私も10年以上、力とルールに支配された不自由な生活の中で、自分の生き方や哲学を残したいという考えがあった訳で、ニコルソン大佐も捕虜にありながら指揮命令の威厳を保ちたいという考えがあるんだよね。
しかし、戦略として考えると不利益になる行動であるし、何かもう少し違った形で尊厳を保つ方法があったのではないか、と思うんだよねぇ、映画のラストで、ニコルソン大佐は、戦争の本来の目的に気付く訳なんだけどね。
まぁ、それにしても、映画全般に緊張感が迸っており、特に、最後の鉄橋の爆破と列車の墜落のシーンは、固唾を呑みながら観ていた訳で、圧巻としか表現しようが無いクオリティですねぇ。
誰もが同様に思う事だけど、必死の努力で作った橋が破壊される事を考えると、ニコルソン大佐側とシアーズ側、どちらも味方をしたくなる感情になるんだよねぇ。
そして、これも誰もが同様に思う事だけど、せっかく映画を観ているのだから、鉄橋の爆破のクライマックス・シーンは観ておきたい、という感情になるんだよねぇ、どれだけ製作費が掛かってるんだよなぁ。
戦場にかける橋、だけでなく、製作費がかかる橋、なんだよなぁ。このシーンを撮影するのに、相当な緊張感がスタッフの間で漲っていた筈なんだよね。
まぁ、しかし、戦争映画をエンターテイメントとして観てしまう心理に関して、疚しい感覚はあるんだよなぁ、本当は戦争に於いて何が正しいかを思索する事が肝要なんだよねぇ、基本的に真摯な反戦映画ですからね。
それと思う処は、第二次世界大戦下に於いて、ドイツ・イタリア・日本と三国同盟を結んだ日本人の英米のイメージは、1957年に於いても、ドイツ程では無いにせよ、相当、悪かったと映画を観ていて感じるんだよねぇ。
まぁ、映画の中で、最も肝要と思われる部分に話を移すと、戦争という状況の最中でも人間の名誉と誇りは大切だという考え方はあるけれど、物事を冷静に本質的に考えると、違う答えが出てくる、という事なんですね。
これは、現代にも通じる話で、戦時中もプロパガンダや軍規などで国民が洗脳されていて、今、現代でも支配者が国民を洗脳して異常な思考にさせようとしている事は変わらない訳で、異常な状況に於いても、人間として大切な本質を見極める事が大切だ、という事ですね。
(2026/1/25)